55. 歴史から消された
加勢にやってきたのはライノールと冒険者ギルドの冒険者たちだった。
本来なら状況確認のために先行しているルルシアたちが戻るのを待って林の中に入るか否かを決めるつもりだったようだが、ランバート家の馬が人を乗せずに怯えた様子で駆け出して来たため、内部で異常事態が起きていると判断して入ってきたという。
林の外と町の防備は冒険者ギルドの支部長のグラッド指揮のもと、対応できる冒険者をかき集めて態勢を整えているところらしい。
ルルシアたちの前に現れた二頭の魔獣は、セネシオの言っていたとおり魔獣になりかけている途中段階で、残った熊の方もやってきた冒険者達とライノールの魔法ですぐに倒された。
「思ったよりはあっけなかったな」
最初に熊の魔獣に突っ込んでいった両手剣の剣士が息を整えながらひとりごちた。ルルシアにも見覚えのある、つい最近町の外で立ち寄った休憩地で出会った人物だった。
「魔獣自体混乱状態みたいだったからな。前の狼の時みたいな魔法もどきも使ってこなかったし」
「魔獣の子供ってとこか?完全な状態だったらかなりやばかったな…にしても、ルルシアちゃんたちはたった三人でよくやったよ」
話を振られたルルシアはぱちくりとまばたきをする。
「えーと、…ジョージさん?」
「誰だよ。ナスターだよ。…今回は本当に忘れてたな?」
「…ナスターさん。ギルドの皆さんも、ありがとうございました」
「いや、感謝するのはこっちだよ。ルルシアちゃんたちの知らせがあったからギルドが動けたんだし、対応が遅れてたらあいつらがテインツの町の方に突っ込んで行ってたってことだからな。考えただけでゾッとするな」
ナスターの言葉に隣にいた冒険者の一人があたりを見回した。
「でも、完全な状態じゃないって言ったってこんな町の近くで二体も魔獣がうろついてたってことでしょ?ってことは他にも残ってるかもしれないよ。…最近妙に魔物が多いし、こんなの明らかに異常だよね…」
「魔獣がうようよしてる可能性があるとなると、このメンツだけだとキツイな。人員揃えて出直そう」
「いや、多分もうああいうのはいない…というか、ああいうのがまた出てくる前に決着をつけたほうがいい。俺は別行動するよ」
ナスターが撤退の判断を下したところに、異論を唱えたのはセネシオだった。
「お前は…たしかセネシオか。いないっていい切れる理由は?」
「魔獣の気配がしないからさ。――ルルシアちゃん、瘴気の気配が変わってるのわかる?」
「え?」
言われて、ルルシアは意識を集中させ気配を探った。
「…確かに。さっきまでより、弱いっていうか、全体的に薄くなってきてる」
ザワザワした嫌な物はまだ感じるのだが、言われてみると林に入ったときよりは弱まっている。
「だろう?発生源が弱ってるんだ。力が尽きたのか、あるいはそうせざるを得ない事情があったのか…どちらにせよ、今が好機ってこと」
「…発生源の力が尽きるって言ったが、発生源ってのは土地とか霊脈とかじゃなくて何かの生き物ってことか?弱った魔獣とか?」
「生き物だけど、魔獣じゃない」
ナスターの疑問に答えてへらりと笑ったセネシオに、冒険者ギルドのメンツは顔を見合わせる。まるで木々の向こうにいる相手が見えているかのような物言いに戸惑っているのだ。
瘴気を操るシャロの存在を知っていればそういう発想になってもおかしくはない。現にルルシアはこの奥にいるのがシャロではないかと疑っている。だが、シャロの存在については現時点で情報がまだ表に出ていない。今ここにいる中ではルルシアとライノールしか知らないはずなのだ。
ルルシアはちらりとライノールの方を窺う。彼は難しい顔で口を引き結び、何か考え事をしているようだった。
「この奥にいるのは魔族だよ。魔族は魔獣を意図的に作り出すことが出来る。さっきの二体は作りかけだった」
「…は?……魔族って、昔話にでてくるあれか?」
「そう。歴史から消された哀れで可哀想な魔族さ。信じるかどうかは任せるよ。なんにせよ俺は奥に進むつもりだし、別に一人で大丈夫。瘴気につられた魔物が集まってきているのは事実だから、みんなは戻って町の防備のほうに回るべきだよ」
「いや、しかし一人でっていうのは…」
セネシオはへらへらした態度を崩さない。おそらく誰もが胡散臭いと思っているに違いない。あまり関わりたくない、だが何をしでかすかわからないし放っておくのも不安…といった表情だ。
そこに、しばらく黙っていたライノールが口を開いた。
「俺がついてくよ。もしそいつが変なことしないように冒険者ギルドで見張りつけたいってなら――ディルついてこい」
「え、俺?構わないけど…」
「わたしも行く」
ライノールから『お前は戻れ』と言われる前にルルシアは慌てて手を挙げた。既に魔力をだいぶ使っているが、まだもう少し余裕はあるので矢を射つことは出来る。それに、セネシオの言う『魔族』が何を指しているのかはわからないが、今感じるこの気配はやはりあの時教会で感じたシャロの纏っていた瘴気と非常に似ている気がする。できれば自分の目で確認したい。
ナスターは少しだけ考えたあと、渋々といった様子で頷いた。
「…わかった、ただし万が一魔獣がまだ残っていたらすぐに退避することは約束して欲しい」
「ああ。なんかあったら通信魔法でウチの局長に連絡する」
***
ナスターたち冒険者ギルドのメンバーが去るのを見送り、ルルシアたちは林の奥にある採石場へ向かった。
近づけば近づくほどルルシアの中で確信が深まる。やはりこの気配はシャロのものだ。ルルシアは先頭をスタスタ歩いていくセネシオの背に声をかけた。
「この先にいるの、きっと魔族じゃないよ」
「お?ルルシアちゃんはこの瘴気の正体を知ってるんだね」
「…セネシオさんは知ってるの?」
「うん。さっき言ったのは本当のことだよ。この先にいるのは魔族で、魔族は魔獣を作れる」
でも、と言い募るルルシアをライノールが手で制する。
「…瘴気を操るエルフが魔族ってことか」
「あは、やっぱりお兄さんはわかってたね。そうだよ」
セネシオが笑いながら振り返り、「よくわかったねぇ」と後ろ歩きしながら手を叩いた。ルルシアは「エルフが魔族…?」と首をかしげる。エルフを指すそういう蔑称でもあるのだろうか。ただ、エルフをそんなふうに呼ぶなど、今まで一度も聞いたことがなかった。
「エルフの中にはね、たまーに、自分の魔力から瘴気を作り出せるヤツが生まれることがあるんだよ。そんな彼らをエルフは『魔族』って呼んで、自分たちとは違う生き物だって言って虐げたんだ。で、そうやって虐げられた魔族たちは手を取り合って、エルフに復讐しようと戦いを仕掛けた。そっから泥沼の戦いを経て、結局数の多いエルフが勝って、魔族なんてものはいなかったことにされましたとさ――っていう歴史があるんだ」
「聞いたことがないけど…わたしが知らないだけ?」
残念ながらルルシアはあまり博識ではない。単純な勉強不足だろうか…と恐る恐るライノールを見上げる。ライノールはルルシアの考えていることがわかったらしく苦笑した。
「大丈夫だ、俺も知らなかった。お前の家にあったジルさんのあの暗号みたいな研究資料の中にそういう考察があったんだよ。魔族とエルフの関係に関するやつと、魔物に瘴気を与えることで人為的に魔獣を作り出せるんじゃないかっていうのが」
「あれ読めたんだ。――っていうかそれって、結構際どい研究だったんじゃ…」
「お前の父親はそういう人だったから…捨てようとしてたお前の判断は正しかったよ」
ライノールは肩をすくめる。ルルシアも渋い顔になる。
だが、確率がどれだけ低かろうと、たまに生まれるという存在をそんなに完璧に隠せるものだろうか。
「過去に実際にいた人たちのこと、そんなに完璧に隠せるものなのかな?…それにたまに生まれるってことは、何人いるかはわかんないけど今でもどこかにいるってことでしょう?誰も知らないなんてことある?」
「ほらぁ、エルフには古代種っていうありがたーい生き証人がいるだろ?彼らが『魔族なんて作り話』っていえば作り話になるんだよ」
「あの老害共か」
「老害かぁ。言い得て妙だね」
ライノールの暴言にセネシオは楽しそうに笑う。
「で、現代に魔族は生まれてないのかって話ね。――泥沼の戦いでエルフはだいぶ数を減らしたんだ。今は古代種とか呼ばれてる純血種のエルフってもともと繁殖能力低かったし、他の種族との混血が繰り返されるうちにそういう子供も生まれなくなっていったんだよね」
「…じゃああの子は古代種の生き残り?私と同じくらいの歳に見えたけど」
「あれは先祖返りだろうね。先祖返り自体そうめったにあるものじゃないけど、まあ現代にも一人二人くらいは魔族もいるかも知れない。その一人が彼女さ」
そう言いながらセネシオが指し示した先――採石場の跡地の、岩が切り取られてできた広場の真ん中あたりに、うずくまり泣きじゃくる白い髪の少女がいた。その少女の前には血まみれの男が横たわっている。
「その能力を恐れられ、虐げられて、挙句の果てに利用されて捨て駒になった哀れなエルフだよ」
セネシオの声にはかすかないらだちが含まれているように聞こえた。