48. エル事さん
階段を上がりきる少し前のところで繋がれていた手がするりと離れた。
二階は一階ほど混雑していないため、手を繋いでいると目立ってしまうからだろう。ほっとしたのと残念なのとが複雑に混じった気持ちのまま、熱を持った顔を少しでも冷まそうと解放された手であおぐ。
「ルルシア、そこの壁の向こう側だぜ」
「あ、うん」
先を行くフォーレンが振り返った。長い尻尾が『壁の向こう側』を示すように壁をたしんたしんと打っている。
「かわ…っ…」
その尻尾の動きに思わずかわいいと言いかけて言葉を呑み込む。隣のディレルが顔をうつむけて肩を揺らしているが、気付かなかったことにしておく。
「ちなみにあいつ、可愛いって言うと怒るから」
「…言ってません」
「かろうじてね」
完全に面白がっている声だ。ルルシアはむくれながらフォーレンのところに駆け寄る。壁に貼られている案内書きには『住民相談受付―意見・要望・陳情等はこちら』と書かれていた。壁に隠れるように窓口があるのは相談の性質的にプライバシーへ配慮しているためらしい。向こう側を覗き込むとちょうど今は窓口に住民は来ていないようだ。
「すみません、エルフ事務局のものですが書類を届けに来ました」
「あ、お疲れ様です。エル事さんですね~」
「…えるじ」
エルフ事務局だからエル事。だったらドワーフ事務局はドワ事で、ハーフリング事務局はハー事なのだろうか。そんなことを考えている間に、窓口のウサギ系半獣人の女性は届けた書類を処理して別の書類を揃え、封筒に入れてくれる。
「ではこちらが今回のエル事さんへの届出です~」
「ありがとうございます」
「こちらに来られるの初めての方ですよね。新人さんですか?」
「そうです。よろしくお願いします」
「こちらこそお願いします~」
封筒の中はそれほど枚数はなさそうだ。窓口の女性によればエルフはあまり表立って活動していないのでトラブルも意見も少ないらしい。逆に多いのは人間とドワーフ。そのあたりの多寡は人口比によるものだろう。
窓口の女性はほわほわとした笑顔で手を振り見送ってくれる。さすがウサギ系、癒やし効果が絶大である。
受付嬢の笑顔につられてふわふわした気分で戻ると、ディレルとフォーレンは窓口に近い廊下の端で待ってくれていた。ルルシアはぺこりと頭を下げる。
「無事お使いできました。ありがとうございます」
「うんうん」
「あっ、そうだ」
ルルシアは鞄をごそごそと漁って、魔術紙の折り鶴を二つ取り出す。いつ出会ってもいいように持ち歩いていたのだ。
「ディレル、フォーレン。これあげます。鶴っていう鳥」
「…は?なにこれ。鳥?」
「…紙?」
畳んだ状態で渡したので何の形なのかよくわからないようだ。ルルシアはもう一つ取り出し、二人の目の前で羽を広げて見せる。ちょうど魔術文様が描かれた部分が鶴の背になるように折ってあるので、羽を開くと文様が見えるようになっている。
「お、すげえ。鳥っぽい」
フォーレンは貰った鶴を同じように開いて「おおー」と目を輝かせた。尻尾も耳もピンと立っていて非常に可愛らしい。ルルシアはなるべくその様子を視界に入れないようにディレルの方へ顔を向ける。
「祭りで飛ばすやつか。こんなふうに作ってあるの初めて見た。今ってこんなの売ってるんだ?」
「売ってないよ。ジャスミンさんから紙をもらったので、わたしが折って作ったの」
「…ルルが?エルフの文化?」
「ううん、違うけどまあそんなかんじ…」
ルルシアに前世の記憶があることを知っているのは神の子とその護衛、ライノールの五人だけ。ディレルには話していないのでもにょもにょとぼかしておく。
「そうそう、エルフといえば」
「なんか露骨に話を逸らしたな」
「気のせい。で、家の整理してたときに父が書いた魔術文様のメモを見つけたの。わたしの弓に使われてる文様も描かれてた。――ディレルいるかなって思ってとっておいたんだけど、いる?」
「え、欲しい」
「じゃあ今度お家に持ってく。…ただ、文様は良いんだけど、文字が汚すぎてメモ書きはほとんど読めないと思うからあんまり期待しないでね」
「ありがとう…でも俺しばらく留守にするから、誰かに渡して――」
「あ、ルルシアさん!」
廊下に明るい少年の声が響く。
声の方に視線を向けると、ちょうど廊下の突き当たりにある大きな扉が開いて、部屋の中から人が出てくるところだった。ちらりと見える部屋の内装は豪華で、おそらく応接室なのだろう。部屋から出てきた人々の中から子供が二人ルルシアの方へ駆けてくる。
「ハオル様、ルチア様」
「ルルシアさん、ちょうど会いたいって思ってたんです」
駆け寄ってきたハオルが息を弾ませながらそう言って嬉しそうにほほえむので、つられてルルシアも笑顔になる。
「本当ですか?わたしもどこか出会えないかと思ってたんです」
「はい、ルルシアさんこれあげる!」
「あっと、僕からも!」
双子が勢いよく差し出してきたのは羽を広げた小鳥の形のカードだった。中央に魔術文様がエンボス加工で入っていて、カードは金のインクで縁取りされている。手触りが良いのでおそらく上質な紙を使っているのだろう。
「なんか高そう…」
「だよねぇ。最終的に燃えちゃうって言うんだからもったいないよね」
後からやってきたキンシェが苦笑する。カリンもうんうんと頷いていた。
「商業ギルドに挨拶したときに貰ったんです。サインしたやつを仲良くしたい人にあげるものだって言われたのでルルシアさんに上げます」
ハオルは少し落ち着きなく視線をさまよわせつつ、言い訳をするように早口で付け加える。カードの立派さに気を取られていたルルシアは「そうだった」と折り鶴を取り出して差し出した。
「ありがとうございます…えっと、そんなに立派なものじゃなくて申し訳ないですけど、わたしからもどうぞ」
「!…ありがとうございます!」
ルルシアから折り鶴を受け取ったハオルは頬を少し上気させ、とろけるような笑顔を浮かべた。
(て…天使…!)
あまりの可愛さにルルシアまで若干赤くなってしまう。
フォーレンが「仲良くしたい、ね」とボソッと呟くのが聞こえ、何となく落ち着かない気持ちでルチアの方に向き直った。
「えっと…ルチア様にも。あとカリンさんとキンシェさんにも」
「折り鶴だ!懐かしい…!」
「私も?ありがとう!」
「あざっす。へえ、すごいねこれ」
「会えないかもって思ってたので渡せてよかったです。ギルドの方が待ってますね。すみませんお時間頂いて」
双子が駆け出してきたためキンシェたちもこちらに来たが、どうやらまだギルドとの用事が済んでいないらしく、見覚えのある神の子派の神官とギルド職員数人が奥の方に待機していた。
「いやいや声かけたのは双子の方だし、ちょうど移動するとこだったんすよ。さ、おふたりとも戻りましょう」
「「はぁい」」
「じゃあルルシアさんまたねー」
「「また今度!」」
不満げな返事をする双子の背をキンシェが押して戻っていく。その後ろをカリンが手を振りながらついていった。
「あの子どもたち、前広場にいた訳あり金持ちの子じゃん」
「え、フォル知ってるのか」
去っていく一行を眺めながらフォーレンが言った言葉にディレルが反応する。神の子がテインツにいることは住民には知らされていないのだ。フォーレンが知っているとは思わなかったのだろう。
「わたしとライが護衛についてた時、あの子達が街に行きたいって言ったことがあって。その時フォーレンとウッドラフさんに会ったの」
「ディルが仕事忙しいって言ってた時だな」
「ああなるほど」
あの時、フォーレンとウッドラフはちょうど討伐から帰ってきたところだったのだ。ディレルがルルシアたちのための魔術具作成を優先していなければ、ディレルもそこで神の子御一行と会っていたはずだ。
「…そうだディレル、さっき話し途中だったね。留守にするって町の外に行くの?討伐?」
「うん。今なんか魔物がやたら活発らしくって討伐依頼が多いんだ。今本業の方は忙しくないから行こうと思って」
「そっか。気をつけてね。いいなぁ…私もデスクワークより魔物倒しに行きたい…」
「だよな、外出て暴れるほうが楽しいもんな」
思わず口から漏れたルルシアの本音にフォーレンが笑う。
「うー、そうだ、魔術文様のメモいつ渡そう」
「…魔工祭が始まる頃には戻るつもりだし、だいたい工房にいるから、都合のいいときに来て」
「ん、わかった」
先程言いかけていた言葉の流れだと、家の誰かに渡してくれと言われるかと思ったのだが違ったようだ。
聞き間違いだったかな、と思っていると、なぜかフォーレンがニヤニヤしているのが目に入った。
「…フォーレンはどうかしたの?」
「別にー?なぁディル」
「ああ。無視してていいよ」
ディレルはそう言うとにっこりほほえみながらフォーレンの尻尾をギュッと握った。フォーレンは「ふぎゃッッ!!」と文字通り飛び上がる。
(わたしもあの尻尾握るやつやりたい…)
涙目で毛を逆立てて怒るフォーレンを見ながら、結局何を笑ってたんだろうな、とルルシアは首を傾げた。




