44. エルフ代表者事務局へ
休憩地に着くと、商人はそこで足を休める者たちをさっと見回し、護衛はまだ到着していないようだ、と肩を落とした。
「大きな怪我がなければいいけど…」
「おじちゃん大丈夫かなあ」
商人の妻と子どもたちが心配げに話している。護衛を雇うときは前金二割・後金八割が相場なので、目的地近くで護衛を失うと後金が浮いたと喜ぶものもいたりするのだが、彼らは善良な人たちのようだ。
彼らはここでしばらく護衛がやってくるのを待つというので、ルルシアたちは「何かあればエルフの代表者事務局へ」と言いおいてその場から離れた。「テインツで会ったらよろしくね」と手をふるセネシオは無視した。
「あれ、そのマントはルルシアちゃん…とライノールさん?」
馬に水を飲ませ、自分たちも軽く食事をしているところに横から声をかけられる。ルルシアがそちらを向くと、立っていたのは見覚えのある男だった。テインツの浄水場にいた冒険者のうちの一人だったはずだが、名前は全く思い出せない。
「…えーと、ジャックさん」
「いや誰だよそれ。俺はナスター。多分自己紹介してないからわかんなくて当たり前だから」
適当な名前を言ったルルシアにナスターは苦笑する。
ナスターは浄水場にいたのでルルシアとライノールの素の言動を知っている。それにあの時、指示出しなどをしていた様子から考えると彼はギルド内でも上の方の地位の人物だろう。それならば特にエルフらしく振る舞う必要はない。
「二人がこんなところにいるってことは、森に帰っちまうのか?」
「いや、所属がテインツに変更になったからその準備中」
「へえ、テインツに住むのか?それだと緊急の討伐のとき声かけやすくていいな。最近この辺突然魔物が湧いて出てくる事件が増えてるんだよ。普段だったら襲ってこないやつが襲ってくるとか」
「…」
それはまるで、商人たちが出会ったエルダーホーンのようだ。ルルシアとライノールは顔を見合わせる。
「実はさっき、エルダーホーンの群れに会ったんだが…」
ライノールがそう切り出し、ナスターに商人たちが襲われていたことを説明する。
「襲われたときの詳しい状況は護衛のほうがわかってると思うが、まだここについていないらしい」
「…なるほど、わかった。護衛の話が聞きたいから、その商人に俺を紹介してもらえるか?それに護衛の名前が分かれば、負傷して避難したとか何かの理由でここに来なかったとしても行方を追えるかもしれないし」
「了解。ちょっと行ってくるからルルは馬を見ててくれ」
ライノールがそう言いながらが立ち上がった。ルルシアは「うん」と頷き、それからナスターに目を向けた。
「そういえば、商人の馬車に乗り合わせてたハーフリングの人が冒険者登録したいって言ってました」
「お、腕が立ちそうか?」
「…どうでしょう。身のこなしは軽そうですけど」
荷台から這い出てきた後、御者台の商人をよけて手綱を握り馬車を止めた手際は良かった。随所の動きもしなやかで、冒険者登録するつもりだと聞いたとき、なるほどな、と思ったくらいだ。
(個人的には馴れ馴れしくてマイナス5千点くらいだけど)
商人たちの方へ向かう二人を見送りながら、ルルシアは水を飲み終わった馬の鼻筋を撫でた。
***
ルルシアたちがテインツについたのは日が落ちた頃だった。あちこちの魔術灯に光が灯り、街中は夜でも活気が溢れている。
「そういえば夜にここ通るの初めて。すごい華やかだね…お祭りみたい」
中心部には昼間しか来たことがないので、このように魔術灯がきらめく光景は初めて見た。とても幻想的で美しいが、その反面、ここまで派手に照らす必要があるのだろうか、という疑問も覚える。
「そういやディルがもうすぐ祭りがあるとか言ってたな。その準備かもな」
「お祭り!」
ライノールの言葉にルルシアの目が輝く。
「ああ。魔術工芸祭とか言ってたな。ようは観光客目当ての技術売り込みだな…もとはテインツの建国記念日らしいが」
「お祭りといえば屋台だね!」
「…お前は食い物ばっかりだなぁ…」
瞑目したライノールはため息をつき、さっさと行くぞと足を早めた。ルルシアも小走りでその隣に並ぶ。
「技術売り込みってことはクラフトギルドが主催なの?」
「一応聞いてたのか。クラフトも絡んでるらしいが主催はどっちかって言うと商人ギルドだな」
「ああ、なるほど。だから華やかなのね」
「だな」
テインツ城の商業ギルド支部が入居する一角はとても華やかに飾りつけられている。対するクラフトギルド本部のある一角はとても地味だ。例えるなら商業ギルドは最新のショールームで、クラフトギルドは地方の商工会議所といった趣である。
祭りを主催するのならばクラフトギルドよりも商業ギルドのほうがふさわしいだろう。
テインツ城に着いて、これから住む寮の鍵を受け取りにエルフ代表者事務局へ向かう。その途中でちょうど話題の商業ギルドの前を通り過ぎると、魔術工芸祭の開催に関するポスターが貼られていた。開催日は十日後で、そこから三日間に渡って様々な行事が行われるらしい。
ふうん、と通りすがりに流し見ていたルルシアの目が、ある一点に釘付けになる。
「ライ、ピオニーミルクのアイスの屋台が出るって」
「はいはい良かったな。ディルにでも連れてってもらえ」
「ピオニーミルクだよ?ライは興味ないの!?」
ピオニーミルクはテインツよりも北にあるピオニー領の特産品の牛乳である。まったりと濃厚なミルクでファンが多いのだが、輸送コストが高いため庶民は滅多にお目にかかれない。エルフ集落に住むルルシアに至ってはかろうじて名前を知っているくらいのレベルで、口にしたことどころか見たことすらない。全く興味なさそうなライノールに、ルルシアは「信じられない!」と目を丸くする。
「お前ほど食い物に執着してないんだよ、俺は」
「ええーっ、私普通だよ。ピオニーミルクのアイスだったら興味ある方が普通だよ」
そんな言い合い、というよりもルルシアが一方的に噛み付いているところに、クスクスと笑い声が響いた。
「にぎやかな声がすると思ったらあなた達だったの。ピオニーミルクのアイスね?私も楽しみにしてるの」
美しい顔に笑みを浮かべているのはエルフ代表者事務局の局長補佐の女性、ホーリーだった。その隣では局長のユーフォルビアがいつもどおり気の抜けるような笑顔を浮かべている。
「普通そうですよね!ほら!」
「ルルシアちゃんかわいいわぁ…もう私、屋台ごと買ってあげようかしら」
どやぁ、と勝ち誇ったように胸を張るルルシアにホーリーがうっとりとした様子でつぶやく。微妙に冗談に聞こえない口調に、ライノールの顔がひきつる。
ユーフォルビアも苦笑気味に口を開いた。
「ホーリーは可愛いものに目がないんだよねぇ。あ、転送陣の荷物は回収して寮の部屋に運んであるから」
「…ありがとうございます」
「はい、これ部屋の鍵。寮の中でわかんないことがあったらベロニカかユッカに聞いてね」
ベロニカとユッカは寮に住んでいる局員の名前だ。ベロニカは女性で、ユッカは男性。どちらも百歳以下でエルフの中では若い方である。ちなみにユーフォルビアとホーリーは夫婦で、クラフトギルド長のランバート邸があるのと同じ区画に家を持っている。
ユーフォルビアは常にヘラヘラしているので感覚が狂うが、議会の代表者であるためテインツ内ではかなり偉い人物なのだ。
「じゃあ二人共、これから局員としてよろしくね」
ユーフォルビアがいつものごとくヘラっと笑った。
ルルシアは部屋の鍵を握りしめ、「よろしくおねがいします」と頭を下げた。