41. 今がチャンス
護衛を離れることを話すと、ルチアはもっと話したいことがあったのに!と残念がり、ハオルに至っては涙ぐむレベルで落ち込まれてしまった。ルチアはともかくも、ハオルにもそんなに親しく思ってもらえてるとは思わなかった、とルルシアがライノールに言うと、彼は「あー、だろうな。ははは」と乾いた笑いを浮かべていたが、ルルシアにはその意味はよく分からなかった。
護衛を離れるといっても、彼らはまだテインツに滞在するため、センナからはなにがしかの行事をする際の臨時の護衛についてほしいとは言われている。今後会う機会も皆無ではないだろう。
ルルシアたちの目下の課題は引っ越しだ。
本日はしばらく仮宿とさせてもらっていたランバート邸に預けていた荷物を回収――と言っても荷物などほぼないので暇を告げに行くだけのようなものだ。そしてついでに一泊させてもらう。事務局に一泊させてもらってもよかったのだが、クラフトギルド長に引き留められたのだった。
そして明日、テインツの転送陣の場所と、転居先となる寮の部屋を案内してもらい、その足で馬を駆ってオーリスの森に戻り、荷物をまとめて転送陣で転送。再び馬でテインツへ移動、荷物を回収して転居先へ…という流れだ。人も一緒に転送できたらどんなに楽だろう。転移魔法が使えるシャロがうらやましいとルルシアは本気で思った。
ギルド長の妻のアンゼリカは、寮に引っ越すことを聞くと「せっかくルルシアちゃんに着せたい服リストを作ったのに…」と口を尖らせた。
「二人とも議会の寮じゃなくてうちに住んじゃえばいいのよ。広いんだし」
「あはは、ありがとうございます。お気持ちだけいただいておきます」
「…特にルルシアちゃんは、いっそ娘として来てもらってもいいのよ?」
そのアンゼリカの視線に、ルルシアは獲物を見つめる猛禽類のような気配を感じてビクッとなる。そういえばアンゼリカは娘が欲しかったと言っていたし、養子縁組でも組むつもりだろうか…と思いつつ、ルルシアは愛想笑いを浮かべて「あー、はは」となんとも言えない返事を返した。なんとなく話をそらした方がいい気がして「そう、そういえば」と言葉を紡ぐ。
「ディレルは工房の方でしょうか。少し話をしたいんですが…」
「あらあらまあ…あの子なら今日は見てないけど…仕事が忙しいとか言っていたし工房でしょうね。寝食忘れるタイプだから倒れてるかもしれないわ。申し訳ないけどついでに様子を見てきてもらえるかしら」
「あ、はい…?じゃあ行ってみます」
アンゼリカはパッととてもうれしそうな笑顔を浮かべ、ルルシアの背を押した。倒れているかもしれないというのになぜそんなにうれしそうなのかとルルシアは戸惑いつつ歩を進め、あ、と振り返る。
「ライも一緒に…」
「俺はいいや。どうせ後で会うだろうし。…怖いし」
「あら、ライノールさん何か?」
ライノールは苦笑しつつ、最後にぼそっと一言付け足したが、すかさずアンゼリカに笑顔を向けられてふるふると首を振った。
「いえ、何も?ははは」
「ええ、そうでしょうね。うふふ」
「…?まあ、じゃあ行ってきます…」
笑顔を向けあっているというのに緊張感みなぎるアンゼリカとライノールの姿に首をひねりながら、ルルシアは工房へ向かうため客間を後にした。
***
工房の扉をノックしても中から反応はなかった。
ライノールいわく、ディレルは作業に夢中になっていて気付かないことが多いので勝手に入るそうだが、今までのところルルシアはタイミングがいいのか、ノックして気付いてもらえないことはなかった。が、今日はしばらく待っても開く気配はない。
試しにドアノブをひねってみると鍵はかかっていないようだ。不在時は施錠しているはずなので、中には居るのだろう。
さてどうしようか、とドアノブを握ったまましばし逡巡する。はたしてライノールのように遠慮なく入っていいものだろうか。
(あ…でも本当に倒れてる可能性もあるのかも…)
念の為もう一度ノックして、「開けますよー?」と声をかけて扉をそろりと開ける。入って正面にある作業机は片付いていて誰もいない。あれ、と首を傾げつつ、入ってすぐ左手側にある、よくライノールがひっくり返って本を読んでいるソファに目をやる。と、果たしてそこにはぐったりと横たわっている男の姿があった。
(倒れ…っ、、いや、寝てる?)
思わずバッとソファの横にしゃがみ込み、耳をそばだてて呼吸を確認すると規則正しい音が聞こえてホッとする。目の下に少しくまがあるので寝不足だったのだろう。
(それにしても…)
眠っているのをいいことに、ルルシアはじっとディレルの顔を見つめる。たしか二十一歳と言っていたが、童顔なので高校生くらいに見えなくもない。そして、眠っているとなおさら年齢よりも幼く見える。
(かわいい。撫でたい…。――眠っている今がチャンスなのでは…?)
サラサラした亜麻色の髪が柔らかそうだな、と実はルルシアは前から思っていた。可愛い生き物を撫でるのはルルシアの至上の喜びである。
起こしてしまわないようにそろそろと手を伸ばし、その髪に触れる。
直前で、
「!」
飛び起きたディレルにガッと腕を掴まれた。
「…っ…あ、え?ルルシ…ア?」
「…ご、ごめんなさい…!」
ディレルはルルシアの腕を掴んだまま、驚きと疑問符の混ざった顔で呆然とルルシアを見つめる。さすが冒険者、眠っていても不穏な気配には反応するらしい。不穏な気配の源であるルルシアは、寝込みを襲ったという後ろめたさから、さっと目をそらした。
「…え?どういう状況…?」
「ちょっと魔が差して…頭撫でたいなーって思ってつい手が…」
「…なで…!?…う、いや…、そっ、れよりも…ここにいるってことは教会の方の仕事は終わったの?」
撫でたいって何!?という叫びを飲み込んだであろうディレルが、咳払いを挟んで平静を装った声を出す。若干目をそらしているのだが、ルルシアも完全に目をそらしているので気づかなかった。
「うん。今日終わって、それで明日オーリスに戻るのでその前に話を…」
「え!?戻る?まだ二週間経ってないのに!?」
掴まれたままだった腕にぐっと力が入り、ルルシアは思わず「いっ」と声を漏らす。ルルシアは常にうっすらと身体強化魔法をかけているので多少の力ではなんともないのだが、力の強いディレルに本気で掴まれると流石に痛い。
「っと、ごめん!」
「大丈夫。…ええっと、一度森に戻ってまたテインツに来るんだ。部署異動?みたいなものです。私とライの二人とも、所属がオーリスからテインツに変わることになって、引っ越しのにためちょっとの間森に戻るの」
「引っ越し…これからはテインツで暮らすってこと?」
「うん。エルフ代表者事務局のほうで寮を用意してくれるんだって」
「うちに住めばいいのに」
「アンゼリカさんにもそう言われたけど、さすがにそんな長期間の居候はできないよ」
「居候じゃなくて……」
ディレルはルルシアを見つめたまま何かを言いかけて、そのままフリーズする。そして片手で顔を覆った。
「――ごめん、まだ頭が寝ぼけてる。忘れて」
「?うん」
こころなしか彼の顔が赤い気がするが、それよりもルルシアは、掴まれたままの腕のほうが気になってしまう。いつまで掴んでいるのだろう。今はそれほど力は入っていないので腕を引けば簡単に放してもらえる気もするのだが、それはなんだかもったいないような…。
(って、もったいないって何!?寝ぼけてるって言ってるし、ただ掴んでるの忘れてるだけでしょ?)
「あの、ディレル?腕を…」
「あ、お守りつけてくれてるんだ」
ルルシアが軽く腕を引くと、すっと離してくれる。が、完全に離れる直前にディレルが指先にふれる。そしてまるでエスコートするときのように、手を取られた。腕につけたブレスレットを見るためだろう。
「うん、すごく助かりました。森に戻る前にちゃんとそのお礼が言いたかったの。これ作ってくれたせいで忙しかったんでしょう?ありがとう。…私防壁うまく作れないのに、これのおかげで簡単に作れたし、しかも魔力もあんまり使わなかったの。魔術具ってすごいね」
「そっか。それなら良かった――その魔術文様はライが作ったんだよ」
「え!?」
「魔術具って元々何種類もある基本文様を組み合わせて新しい効果のものを作れるんだけど、俺はあんまりエルフの魔法については知らないからライの作った文様を使わせてもらったんだ」
「ライ、なんにも言ってなかったのに…」
「照れくさかったんじゃないのかな」
「うーん、完成したから興味がなくなったとかのほうがありそう…」
ライノールのことなので魔術文様を作り出したこと自体に満足して、それがルルシアの役に立つか否かについてはどうでもいいと思っているのではないだろうか。ディレルも「絶対ないとは言えないな…」と若干遠い目でつぶやく。
それからディレルは改めてルルシアに目を向けると、まっすぐ見つめた。
「ルル、今度はもっとちゃんと時間かけて、文様も全部俺が作るから、また貰ってくれる?」
「で…でも、こういうのってすごく価値があるものでしょう?そんなに簡単に人にあげちゃ駄目だと思う。私、もらう理由がないし、何かを返せるわけでもないし…」
「簡単に人にあげたりしてないよ。俺がルルにあげたいから作るんだし、ルルがつけてくれてたらそれだけで嬉しい」
「…どうして…?」
ルルシアはまだ重なったままになっている手のひらに視線を落とす。心臓が跳ねているし手が熱い。手汗かいてたらどうしよう…と、関係ないことで頭が一杯になる。
「あー…えっと…迷惑?かな」
「迷惑じゃないけど…申し訳ないから…」
微妙に話をそらされてしまってルルシアはこっそり落胆する。なんとなく、雰囲気的に、ちょっとだけ期待していた。
(いや、何を言ってほしかったのかと言われると…わかんないんだけど…)
魔術具をもらうことは迷惑どころかかなり助かるし嬉しい。だが、同時に一方的にもらうだけという事実が申し訳なさすぎて素直に喜べないのだ。ディレルは眉を下げるルルシアを見つめながら「うーん…」と少し考え込む。
「じゃあ、完成するまでの間に…ルルが受け取るのを申し訳なく思わないような理由用意しとく」
「…なにそれ」
おかしな言い回しに、ルルシアは思わずふはっと笑うと、ディレルは少しだけバツの悪そうな顔をした。
「…それまでにはちゃんと言えるように努力しますってことですよ」
「…うーん、よくわかんないけど頑張って?」
「うん」
そう言って頷いたディレルは笑いながらやっとルルシアの手を離した。