40. 天蓋付きの
「やあやあ待ってたよお二人さん」
「ユーフォルビアさん?…わざわざこちらへ来るなんて、何かありましたか」
教会へ戻った一行を待っていたのは、相変わらずにこやかな、そしていまいち何を考えているかわからない狸おやじだとルルシアがこっそり思っている、エルフ代表者事務局長のユーフォルビアだった。
基本的に業務連絡は通信魔法経由で来るので直接会う必要はないのだが、直接やってくるというのはなんとも嫌な知らせの気配がする。
「うん、お知らせがあってね。あとセンナ氏にも話があったんだ」
「お知らせ」
「そう、お知らせ。いやぁ露骨に嫌そうな顔をするねぇ二人とも。…というわけでお二人をしばらくお借りしますね」
ユーフォルビアはそういって双子に目を向けた。双子は露骨に嫌そうな雰囲気を醸し出しているルルシアたちとにこやかなユーフォルビアの顔を見比べ、困惑気味にお互いの顔を見合わせた。
「ルチア様とハオル様は部屋に戻っていてください」
「「はい」」
センナがそう言い、双子が揃って頷くのを確認したユーフォルビアはつま先をタンッと床に打ち付けた。瞬間的にドーム状の結界が張られる。前にも彼が使った音や姿を遮断する内緒話用の結界だ。
「え、ここで?」
「わざわざ部屋借りるのもあれだしねー」
部屋を借りないにしても、大聖堂の脇の、賓客用スペースへ続く階段前という完全なる通路の真ん中である。結界内にはルルシアとライノール、ユーフォルビア、そしてセンナが残された。
「この人は昔からこういういい加減なところがありますからね」
「いい加減じゃなくて効率的なんだよ」
センナとユーフォルビアは旧知の仲である。ため息をつくセンナの表情を見る限り、昔からこの調子でにこやかなエルフに振り回されているようだ。
「で、話とは?」
ライノールが諦めを含んだ顔で腕を組む。今度はどんな厄介ごとだと言わんばかりの態度だ。
「えっとね、規律違反のエルフが出現したので、テインツのエルフ戦力も増強しようという話になったんだよね。で、手っ取り早く君たち二人を引き抜くことになりました」
「…引き抜く?」
わーパチパチと拍手の真似をするユーフォルビアに、ルルシアたちは眉間のしわを深める。今のルルシアたちの立場は足場が定まっていない状態だ。一体どこからどこへ引き抜くというのだろうか。
「そ。テインツのメンバーは戦闘向きじゃないから、どこかの集落から戦える人材を連れてくることになる。で、君らの所属してるオーリスは戦闘系で優秀な人材が多い集落だから、そのあたりから人員を動かすことになるわけだ。オーリスから誰かをテインツにもらうなら、すでにある程度テインツの人との関係を築いてる君らが来るのが効率的だろ?」
「オーリスの森長はすでに承知してるんですか」
「アニス・オーリスからはものすっごい不機嫌そうな通信が来たけど一応承知済みだよ」
やっぱりな…とライノールが若干遠い目をして頭をかく。そしてため息とともに面倒くさそうな声を出した。
「…ならこちらから異論はないですよ。てか相談じゃなくてお知らせってことはもう決定なんでしょうが」
「うん。そうだよー。だから、こっちに引っ越ししてほしいんだ。事務局の寮があるからそこに」
「ひっこし…」
ルルシアはぱちくりとまばたきをする。
そうだ、引き抜きで所属が変わるということは住居も移らねばならない。オーリスは討伐などに出ることが多いため、あまり私物を持っていない者が多い。いつ命を落とすかわからないので身軽にしておくのだ。ルルシアも例外ではない。それでも荷物をまとめて、荷馬車に積み込んで数日掛けて運んで、新居で広げて…引っ越しトラックがあるわけではないのでかなりの手間である。
「あ、転送陣使用許可出すから、輸送の心配はあんまりしなくていいよ」
「転送陣!」
ライノールが食いつく。転送陣は大昔の遺物で、古代種エルフたちが作り上げた、いわば地面設置型のワープ装置だ。エルフの暮らしている拠点地には大体設置されていて、使用するには転送元と転送先両方の長の許可が必要になる。そして起動には二地点双方の転送陣で大量の魔力が必要になるため、滅多に許可は出ない。
そして、転送できるのは荷物だけで、生き物は転送できない。生き物を送れないのは技術的に難しかったのか、それとも古代種エルフは転移魔法が使えたそうなので必要なかったのかは不明。だが人が送り込めるとなると防衛面で不安があるのでそれでよかったのかもしれない。
滅多に許可が出ない転送陣が使えるということでライノールはご機嫌になっている。彼は元々他の森から流れてきたという経歴の持ち主なので転居への抵抗は少ないというのもあるのかもしれない。ルルシアは生まれ育ち、両親と暮らした家から離れることになるので若干の寂寥感がある。
「で、さしあたって今後のことね。まず、現在のアルセア教事情を話しておこうか。清浄派の中枢は現在エフェドラのエルフの監視下で規律違反エルフの『シャロ』の捜索に協力してもらってる。教会派はお金関係の汚い裏工作は得意みたいだけど、エルフが敵に回るとは思ってなかったみたいで今は様子見してる状況。総本山の影響が弱いテインツの教会にかくまわれてる神の子への手出しは難しいうえに、下手につついてエルフを怒らせるのも怖いって感じだね」
「じゃあ小康状態ってところですか」
「そう。なので、さっきセンナ氏と話したんだけど、神の子たちはまだしばらくこの教会に滞在することになってるけど、現状は危険が少ないということで君たちの護衛業務は終了です。『シャロ』の動き次第でまたついてもらうかもしれないけどね」
「わかりました」
「で、元々の滞在理由だったテインツの浄水施設の方は今のところ変化なしだそうなので、様子見と言われた二週間はまだ経過してないけどひとまず引っ越しを優先してくれるかな」
「了解」
ルルシアとライノールが頷く横で、浄水施設の異常については初耳だったらしいセンナが不思議そうな顔をした。浄水装置の異常については特に隠されているわけではないのだが、喧伝されているわけでもない。エフェドラからきて間もないセンナたちの耳には届いていないのだろう。
「…テインツの浄水施設?なにか問題が?」
「ああ、霊脈の流れがあんまり上手くないみたいでね。応急処置でルルシア君の魔法で調整してもらってるんだ」
「ルルシアさんは霊脈の流れを変えられるんですか?放浪エルフのようですね」
「…流れは変えられないんですけど…あの、放浪エルフとはなんですか?」
少なくともルルシアは初めて聞いた単語だった。他の二人のエルフも初耳らしくセンナに注目が集まる。
「エフェドラには古代種の生き残りのエルフが放浪しながら人助けをしているという話があるんですよ。その逸話の一つに霊脈を思うままに操れるというものがあって…エフェドラ領内には魔力を含む聖水が湧く泉があるのですが、そこは元々瘴気の湧く土地だったのをその放浪エルフが霊脈を操って魔力の湧く泉に変えたとか」
「……」
エルフたちは顔を見合わせる。
「…聞いたことがないですが…有名な話ですか?」
「うーん、そのエルフは初代の神の子であるアルセア様と懇意にしていたらしくって、アルセア教徒ならば知っている者もいるとは思いますが…今の若い人たちはもう知らないかもしれませんね。私は祖父から寝物語として聞かされたんですが、その時点で神話や伝説のような扱いでしたし」
もしその人物が実在するのであれば、テインツとしては喉から手が出るほど欲しい人材である。
ふむ、とユーフォルビアが顎に手を当てた。
「…エルフは宗教とは距離を置いてきたというのと…それにテインツは元々ドワーフの治めていた土地なので話が入ってこなかったんでしょうか…。ですが、本当にそういう人物がいたというのであればどこかしらに記録があるかもしれません。少し調べてみますね」
その言葉にセンナは少し慌てだす。彼はただ昔話の一つを話した感覚だったのだろう。真剣に調べると言われて驚いたらしい。
「放浪エルフを探すんですか?…魔族と同様に真偽のほどは怪しい話なので何も見つからなくても怒らないでくださいよ?」
「怒りませんよ。エルフが神の子を襲ったことを完全にチャラにして、遺恨なしにしてもらうくらいです」
「…まあそこは、守ってもらってもいますからね。後で補償云々という話にはなりませんよ。それにエルフがいつまでも一枚岩でいるというのも難しい話でしょうし」
規律違反者一人であったとしてもエルフが神の子を襲ったことは事実。アルテア教としてエルフ側に遺憾の意を表明するということも可能ではあるのだ。と言っても黒幕は人間で、教団内に協力者が多数いたというほぼ内紛問題なので、エルフに責を求めるようなことにはならないだろうが、ユーフォルビア――ひいてはエルフ側としては傷を残しておきたくないらしい。
「一枚岩か…そうだねぇ。いい加減、エルフも変革の時だろうね」
「変革ですか」
ルルシアが首をかしげるとユーフォルビアは「うん」と笑う。
「色々問題は噴出しているけど、僕はエルフの体制を大きく変える契機が来てると思ってるんだよ。規律は自分たちを守るためと言っても、僕らはもっと自由に生きる権利だってあるはずさ。もう種族ごとに争っていた時代は終わって共生の時代だ。エルフは『神秘の生き物』っていうところから、『その辺にいる耳長』くらいのところに徐々にシフトしていきたいんだよね」
「『その辺にいる耳長』…その一歩目が、姿をさらしての神の子の護衛ということですか」
「そう。まず守って貰ったっていうイメージを印象付けるのは大事だよ」
ルルシアに向けたユーフォルビアの言葉に、センナが「確かに」と頷く。
「今回、魔物から守ってもらったからエルフの言うことなら信用できるという声が少なからずありましたよ」
「やあ、いい仕事したねライノール君」
「じゃあ特別手当でもください」
先程の街歩き中の視線を思い出したのか、嫌そうな顔をしたライノールがそう返すと、ユーフォルビアは「うーん」とうなる。
「そうだねぇ。じゃあライノール君の寮の部屋に天蓋付きのベッドでも設置してあげようか」
「いらねぇ…」
「ぶふっ」
天蓋付きのベッドで優雅に寝起きするライノールの姿を想像して噴き出したルルシアは脇腹にパンチを食らって咳込んだ。だが「ライがお姫様ベッド…」とツボに入ってしまったルルシアは、ユーフォルビアが結界を解いてもしばらく笑い続けたのだった。