31. どうも、あったらしい
「おかえり。あれ、ライは一緒じゃなかったんだ?」
戻って会うなりディレルが言った言葉に、ルルシアはぽかんとした顔をした。
「…うん、玄関のところでギルド長さんと話をしてる」
「そっか。…え、ルルシアはなんでそんな顔してるの」
ぽかんと口を開けたままジッと見つめてくるルルシアに、ディレルは若干たじろぎながら聞いた。少しだけ眉根を寄せて見つめるその視線は『恨みがましい』と言った趣である。
「いつの間に…」
「え?」
ルルシアの呟きをうまく聞き取れなかったディレルが首を傾げたところに、ちょうど話を終えたライノールがやってきた。
「お、ディル。ちょうど良かった。明日から…」
と、言いかけてライノールは言葉を止める。
「何だよルル。変な顔して」
「いつの間にそんな仲良しになったの」
「…は?」
じっとりとした目で睨んでくるルルシアの口から出てきた、全く予想をしていなかった言葉にライノールは眉をひそめる。特に睨まれるような心当たりが――少なくとも今は馬鹿にしたりもしていないよな、と先程までの会話を思い返したが――ない。
「この間まで『ライノールさん』だったのに…さっき『ライ』って呼んでた。ライも今『ディル』って言った」
「ああ、うん、そうだね…?」
「長いからライって呼べって言ったんだよ俺が。そんな気にすることか?」
呆れたように言ったライノールに、ルルシアは眉を吊り上げた。
「ずるい!気にする!じゃあわたしもディルって呼ぶからルルって呼んで」
「えっ?ああ、はい」
ディレルが勢いに押されて返事をすると、ルルシアは「なら良し!」と頷き、部屋に戻ると言い残してぱたぱたと去っていった。
その場に残された二人の男はぽかんとしたままその背を見送った後、顔を見合わせた。
「『ずるい』も『じゃあ』も意味がわかんねえ…あれか、ヤキモチか」
「…お兄ちゃんを取られた的な?」
「違うだろ。いや、そうなのか?あいつの考えてることはよくわからんからな…しかし、普段は割と落ち着いてるくせに時々異様に子供なんだよなぁ…」
「ライに甘えてるんだろ」
そう言って笑ったディレルに、ライノールは複雑そうな顔をした。
「…その甘える相手にお前さんも入ってるあたり、保護者としては若干もやもやするところもあるんだが」
「…ライにそういう感情があったのか」
からかうようにディレルが言うと、ライノールは、はた、と動きを止めしばらく宙を睨んで考え込んだ。そして肩をすくめる。
「…どうも、あったらしい」
その表情がいかにも憮然とした感じで、あまりの珍しさにディレルは思わず声を立てて笑い出した。
ライノールに小突かれながらしばらく笑った後、手に持ったままの包みの存在を思い出して「あ」と声を出す。
「保護者さんに用事があったんだよ。これ、頼まれてたやつ」
包みの中身はペンほどのサイズで、短く細い金属棒に魔術紋様を刻んだ魔術具だった。投擲武器の一種だ。
魔術紋様の話をしていたときに、「こういう物が欲しい」というライノールの要望を受けて作ったものである。
「お、早いな。ありがとう。明日から暫く事務局の依頼で教会の方に詰めないといけないから助かる」
「教会ってことはやっぱり、あれ?」
「あれだが、一応機密扱いだ」
エルフが関わっている可能性がある以上、エルフの事務局が動かざるを得ないだろう…と、昨日の時点でルルシアと話していたのでほぼ予想通りだ。ディレルが頼まれごとを急いだのもそれがあったからだった。
「うん、知ってる。…そうそう、ついでにルルシ…ルルにも簡単なお守り作ったんだけど、この後会うかどうかわかんないから渡してもらっていい?」
「…いや、できれば直接渡してくれないか。俺が渡すと絶対また拗ねるから」
「拗ねるって…まあわかった」
部屋に戻ると宣言していたのだから部屋にいるだろうと、自分の部屋に戻るライノールと共に客室棟へ向かったディレルはルルシアの部屋のドアをノックした。が――
「…反応ないな。中で動く気配もないんだけど」
ディレルが首を傾げると、部屋に入ろうとしていたライノールが足を止めた。
「またアンゼリカさんあたりに捕まってるかもな」
「ありうる…まあ後でいいか」
「戻ってきたら工房に行くように声かけるわ」
よろしく、と言いおいてディレルはその場を離れた。
***
ルチアという転生者に出会ったことに対し、自分が思ったよりもずっと動揺していたのだということに気付いたのは、先程ディレルに声をかけられたときだった。
ルルシアは部屋に戻ると宣言してあの場を離れたものの、いまいち戻る気持ちになれないままフラフラと彷徨い、結局中庭の奥にある東屋のベンチまでやって来ていた。
ベンチの上で膝を抱えて丸くなり空を仰ぐと、群青の夜空には月が2つ浮かんでいるのが見えた。
小さな頃はこの月を見るのが怖かった。
あの頃はその漠然とした『怖さ』の理由がわからなかったが、あれは、ここがそれまで自分の生きていた世界とは違う世界なのだと頭のどこかでわかっていたからなのだろう。
幼い頃から記憶を持っていたというルチアは、月を見るたびにもっと絶望的な気分になっていたのかもしれない。
ハオルたちに説明をするためにルチアの口から紡がれた前世の情景や言葉を聞くたびに、もう戻れない場所に対する憧憬のような気持ちが湧き上がって胸が酷くきしんだ。
自分の前世の記憶を疑っていた…と言うわけではないのだが、今まではどこかで少し夢物語のようにも感じていた。
しかし、同じ世界の記憶を持つルチアが現れたことで、自分の前世の記憶が夢などではなく、そして同時に『水森あかりが存在して、そして命を落としていた』ことが決定づけられてしまった。
前世で家族を置いて死んだあかりは、現世では家族に置いていかれたルルシアとして生きている。
ライノールは家族のようなものだ。けれど家族ではない。
彼だっていつかはルルシアとは別の道を行くのだ。
そしてルルシアも一人で生きていかなければならない。
(そうか、わたしは寂しいのか…)
ルルシアの知らないところでライノールが誰かと親しくなることなど、あたり前のことなのに、自分だけが置いていかれるような気持ちになってしまった。
相手が身近に感じていたディレルだったから、なおさらそんな気持ちになったのだろう。
(だからって、さっきのわたしのあの態度はあんまりにも子供じみてた。後で謝らないと…)
「ルル?こんなところにいたのか」
完全に自分の考えに没頭していたルルシアは、不意にかけられたその声にビクッと肩をはねさせた。
「ディレル…」
「ディルって呼ぶんじゃなかったっけ」
「…そうだった…」
ディレルが苦笑しながらルルシアの丸まるベンチの傍にやってきたので、ルルシアはのそのそとベンチの上を移動して、ディレルが座れるスペースを空ける。そして、彼が座るのを確認して、頭を下げた。
「ごめんなさい」
「ん?」
「さっきのわたしはなんか色々混乱してて…ひどい態度でした。すみません」
「いや、謝られるほどのことじゃないと思うけど…まあいいや、ルル、手を出して」
「手?」
言われるままに手を出すと、その手のひらにぽんと何かが置かれた。首を傾げてよく見てみると、組紐に木彫りのチャームがついたブレスレットだった。
「あげるよ。お守り。防壁の紋様を入れてあって――エルフの場合触れてれば呪文なしでも発動できるみたいだから、そういう風に調整してある」
「え、もらえない。だって商品でしょう?」
「売り物じゃないよ。エルフじゃないと使えないし。試作品みたいなものだから…それに本当はもうちょっと丁寧に作りたかったけどあんまり時間取れなくて、だいぶ作りが粗いんだ。今度、改めてもっとちゃんと作ったのあげるよ」
作りが粗い、といってもルルシアのような素人目には全くわからない。しかも彼の中では『今度』もあるらしい。「だけどもらうわけには…」と言い募ると、ディレルはブレスレットを載せたまま行き場をなくしていたルルシアの手にそっと触れた。
「いらない?」
「い、いらないわけじゃなくて!」
「そっか、じゃあもらってね」
そして彼はニッといたずらっぽく笑って、ルルシアの手を押し返した。
ルルシアは手のひらの中のブレスレットを握りしめて、「う…はい…」と呻くように返事をした。
耳元で自分の心臓の音が騒がしい。
(ここが外で、夜で、暗くて良かった…)
明るいところだったら、どうしようもなく真っ赤になっているのを見られてしまっただろうから。