24. 警鐘の音
酷く怒られるだろうけど、とにかく戻るべきだと判断して教会へ向かう道を辿る。
だが、行きは馬車に揺られていたのでこんなに距離があるとは思っていなかった。それに人通りが全然ない。これなら町中にとどまって迎えを待っていた方がよかったのかもしれない。
早足で歩きながらルチアは唇を噛む。
ほんの出来心だったのに。いつもお勤めをこなしているのだから、ほんの少し寄り道をするくらい許されると思った。
御付きの大人たちはいつも外は危険だからとルチアたちを閉じ込める。だからルチアたちは『外』をほとんど知らない。ただ神経質すぎるだけだと思っていた。
全身がチリチリとひりつくような嫌な気配を感じる。危険が迫っている合図だ。
ルチアたちには不思議な力がいくつかあって、これはその一つ――自分たちに迫る危険の気配を感じ取れるのだ。どこからやってくるとか、どのくらい危険なのかとか、そういうものがなんとなく分かる。大人たちはこれを予知と呼び『天恵の能力だ』と言っていたが、危険を知らせるだけの能力など何の役にも立たない。どうせなら危険を回避する能力が欲しかった。
そのとき、くんっ、とつないだ手が引っ張られる感覚を感じてルチアはハッと斜め後ろを歩く自分の片割れの姿を見た。
「ハオ、大丈夫?」
「…うん…だいじょう、ぶ」
ルチアの双子の弟のハオルは微笑みを浮かべて見せてはいるが、その息は完全に上がっていた。ずっと早足で歩き続けてきたのだ。体の弱い彼は相当堪えているはずだ。
ルチアは少し歩くペースを緩める…本当は止まって休ませてやりたいが、それは出来ない。
「たしかこの林道を抜けたら家が建ってたはずだから、誰か助けてくれるかもしれない。もうちょっと頑張ろ」
そう弟を励ましルチアが手を握りなおすと、近くの木の上の方でバサッと鳥の羽音がして――そこから刺すような危険の気配を感じた。
(鳥?魔物?上から飛んでくるなら茂みに入って…)
進行方向の脇にある茂みに目を向ける。と、そこから四つ足の動物が音もなく現れる。同時に頭の中で警鐘が鳴り響く。
頭に鳴り響く非常ベルのような警鐘の音は最大限の危険が迫っている証拠。
真っ黒い体に真っ赤な瞳をらんらんと輝かせたその動物は豹のように見えた。その目はどう見ても友好的とは言えない、獲物を見る鋭さでルチアたちを捉えている。
(でも今まで何も感じなかったのに!)
どこかから近づいて来ていたのならそれが感じ取れたはずなのに、何も感じなかったということは突然現れたということだ。そんなことがあるのだろうか。考えてもルチアに分かるはずもない。彼女は今まで何重にも守られながら生きてきたのだから。
真っ黒な豹が、まるで草原の草食獣を狙うときのようにゆっくりと距離を縮めてくる。隙が見えたタイミングで飛びかかってくるつもりだろう。ルチアとハオルは一歩、二歩と後ずさりした。つないだ手はお互い力が入って痛いくらいに握りあっていた。
「チア…先に逃げて。僕はそんなに走れないし、チアが走って誰かを呼んできて」
ハオルが紙のように真っ白な顔色でそんなことを言った。走って誰かを呼びに行ったとしてもその間にハオルは殺されてしまうだろう。彼は自分をおとりにして逃げろと言っているのだ。
「ばっ…馬鹿なこと言わないで!置いていけるわけないでしょ!?」
「で…でも、このままじゃ二人とも…」
こちらの言い合いで刺激してしまったらしい。豹が地面を蹴って一気に距離を詰めてきた。
その瞬間、ハオルがルチアを突き飛ばして、豹の前に立ちふさがる。
突き飛ばされて尻もちをついたルチアがバッと顔を上げて見たものは。
「ちょっと失礼」
そんな言葉とともに後ろから駆け込んできた人物がハオルを後ろに引き倒し、持っていた青白い刀身の剣を豹に叩きこむ光景だった。
剣で真っ二つに切られた豹は血の一滴も落とすことなく、霧のように掻き消えてしまった。
「…魔術か」
駆け込んできた人物、亜麻色の髪の青年が豹が消え去った空間を見て呟いた。そしてその彼は、ぱっと振り向いてルチアの方を見た…いや、ルチアを通り越してその後ろを見たのだ。
それにつられてルチアも後ろを振り向いた。――ちょうど、黒い髪の美しい少女が弓を構え、木の上に向けて矢を射たところだった。
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黒い四つ足の獣が一刀両断されるのを確認した鳥が飛び去ろうとしたところに、ルルシアの射った矢が突き刺さる。
鳥は下に落ちることなくそのまま霧散してしまった。おそらく使い魔だろう。魔力で作られた使役獣だ。
ディレルに切られた四つ足の方も同様に霧散していた。
しかし、あの勢いで飛び込んで行って、子供をどかした上で敵を一刀両断という彼の手並みは見事だった。
それに加えて気になるのはあの武器だ。護身用の短剣と言っていたはずだがどう考えても長剣の長さだったし刀身が伸びたように見えた。
(魔術具の武器ってことだよね…ライトセーバーじゃん…私も欲しい…)
ルルシアは長剣は使えないので持っていたところであまり意味はないのだが、光る刀身とか、伸びるとか、なんとも中二心をくすぐられる一品である。が、今はそんなことを考える場面ではない。
弓を構え直し、魔力で矢を作り出す。そしてまっすぐ上空に向けて撃ち出した。
木のてっぺんくらいの高さまで飛んだ矢はそこでパッと分裂して、一つ一つが光をひきながら弧を描くように落下を始める。ちょうどルルシアを中心としたドーム状の鳥かごのような軌跡を描き出した。
目を閉じて五感を集中させる…が、ノイズのような気配しか感じなかった。
ふう、と息をついて目を開けるとディレル、と、今しがた使い魔に襲われていた二人の子供が不思議そうな顔でルルシアを見ていた。
「…今のは何?」
「矢の落ちた範囲内の魔力の動きが分かるの。魔術師がいたら分かるかなって思ったんだけど、もうこの近くにはいないみたい」
おそらく鳥の使い魔は魔術師の目の役割をしていたのだろう。獣で襲い、鳥で監視して、大本の魔術師はすでに離れていたのだ。
むー、と眉をひそめて、そして子供たちが二人とも地面に倒れたままぽかんとした顔でこちらを見ていることに気づいた。
「…大丈夫ですか?」
二人のうち、近くに倒れている少女の方に手を差し伸べて話しかける。ルルシアから見えた限りでは少年が獣から庇うために突き飛ばしただけなので大きな怪我は無いだろう。その少年の方はディレルが助け起こしていた。
「あ…ありがとう…ございます」
「いえ」
少女はルルシアの差し伸べた手に掴まり、立ち上がる。顔色は真っ白でその体は小さく震えていたが、立ち上がるとすぐによろけながら少年の方へ駆け寄っていく。
「ハオ、怪我は…!?」
「大丈夫。なんともないよ」
少女は少年のもとにたどり着くと、縋りつくように無事を確認し、そしてボロボロと大粒の涙をこぼしながら少年の頬を平手で打った。
ベチンッと響いた音からして、おそらく打った手のひらの方も痛かったのだろう。少女は「うーっ」と手をひらひら振りながら少年を睨みつけた。
「どうして庇ったりしたの!私よりもハオの方が大事でしょう!?」
「…またそんなことを…!どうしてそんなことばっかり言うんだよ!チアだって大事だよ!」
少年の方も負けていない。青白かった顔をカッと朱に染め、怒鳴り返す。そして少女の襟元をつかんだ。
このままでは取っ組み合いの喧嘩に発展しそうだ。
喧嘩するのは構わないが、まさに襲われたばかりのこの場所はあまりおすすめスポットであるとは言えない。止めようとルルシアが口を開いたところで、先にディレルが動いた。
「とりあえずそこまででストップ。続きは安全な場所で思う存分やりなさい…君たちはどこに行くつもりだったんだ?ひとまずそこまで送るから」
ディレルは睨み合う二人の顔の間を手のひらで遮り、静かな声でそう言った。
頭に血が上っていた二人は突然視界を遮られて驚いたらしく、二人とも同じ動きでバッとディレルの方に顔を向けた。そしてきまり悪げに一度顔を見合わせた後、少年の方が口を開いた。
「…この先の教会で、お世話になっています」




