21. 満喫しなきゃもったいない
アニスの訪問の翌日、ルルシアとライノールが呼び出されたのはテインツ城内にある代表者議会のエルフ代表者事務局だった。
ルルシアたちと向き合う形で局長席に座る男はユーフォルビアと名乗った。外見の年齢的に言えば四十代くらいで、オーリスの森長であるアニスより少し上だと聞いているので実年齢は百五十を超えるか否かくらいだろう。
エルフらしく整った外見ではあるが、それよりもずっとほわほわニコニコしていて、漫画なら背景にお花(チューリップとかたんぽぽとか)が咲いてそうだな…という雰囲気の方が気になってしまう残念な美形である。
「とりあえずテインツに滞在中は僕の指揮下ということになります。何か質問は」
「はい」
「はい、ルルシアさん」
「滞在中の行動範囲ですが、どこかへ移動するときは議会の許可が必要だったりしますか?」
ルルシアの質問に、彼は「いいよいいよそんなにきっちりしなくて」とひらひら手を振った。
「非常時に通信魔法で連絡が取れて、すぐ駆けつけられる距離にいてくれれば基本自由に動いていいよ。あ、城下町には出てもいいけど、なるべく町の外には出ないでね。通信魔法の範囲があるんで」
「城下町に出て良いんですか?」
ユーフォルビアの言葉にルルシアは目を丸くさせた。
ルルシアとしては動き回って良いのは今滞在しているランバート邸、浄水装置のある管理場、城の三か所だけ…ぐらいを覚悟していたのだが、ユーフォルビアの言い方だとふらっと出歩いても良いように聞こえる。
「エルフだってばれなきゃいいよ。僕も帽子とかメガネとかでちょこちょこ出歩いてるけど案外なんとかなるもんだよ。多少バレてもまあ悪い事してるわけじゃなきゃいいし」
「えっと…軽過ぎませんか?」
「せっかく街に住んでるんだから満喫しなきゃもったいないでしょー。まあ君たちが住んでるオーリスは戦闘特化の森だから特に規律が厳しいんだよね。森長のアニス・オーリスも超が付くくらい真面目だし」
その言葉にルルシアはライノールを見る。ルルシアはオーリスの森しか知らないので他がわからないが、ライノールはもともと他の森の出身なので、そのあたりを把握していたのだろうか。
ルルシアの視線を受け、ライノールは肩をすくめる。
「俺の元居た森も戦闘寄りの集落だったから特に厳しいとは思ってなかった」
そうだねぇ、普通あまりあちこちの森同士の行き来はないからねぇ、とユーフォルビアが頷く。
「戦闘寄りのところはね、別種族の方々の脅威になりやすいからね。対外的に『きちんと決まりを守ってます』っていうところを見せておかないといけないんだよ。――だって、怖いだろ?他種族よりも強大な魔力を持ってて、呪文も道具もなしに『魔法』なんてよくわからないことをする生き物」
怖い?
ルルシアには、異世界ではあるものの人間だった頃の記憶があるので、人間の気持ちはある程度分かる。
あの頃の自分がエルフを見たら――怖いだろうか。
エルフは理知的な生き物だし魔力で人を襲ったりしない、そういう感覚があるのでいまいちよくわからなかった。
ユーフォルビアはルルシアの顔を見てまた頷いた。
「人というものは、自分が理解できないものを恐れる。こちらにその気がなくても、力を持つというそれだけで他の種族から恐れられてしまうんだよ。だから、エルフは規律が厳しい。規律を守り、道理が通じて、話し合いに応じる生き物だってことを他の種族にわかってもらうためにね。これはエルフを他の種族から守るためなんだよ」
エルフの話し方は、淡々と、へりくだらず、でも丁寧に。
これは感情的に力を振るわない、でも弱者ではない――相手にとって脅威にはならない、だからといって思い通りに操れる存在ではない、ということを示すための手段。
顔や姿を隠すのは表情を隠すのと、見目の良さから余計なトラブルに巻き込まれないため。
「くだらないと思うかもしれないが、意味がある。だからルルシア、君はエルフを脅威だと言われてもよくわからないだろう?それはこれまでのエルフたちがそういう規律を守って自分たちが『脅威ではない』と証明し続けてきたからさ」
「…でも、それならやっぱりこの町でもきっちりする必要があるのでは?」
エルフの規律の意味は分かった。だが、そうなるとなおさら『せっかく街に住んでるんだから満喫しなきゃもったいない』発言はいかがなものかと思うのだが。
「テインツはね、強い町なんだよ。冒険者の姿が多いだろ?たとえ流れ者でも受け入れる懐の広さがある。だからエルフがうろちょろしてようとそんなに気にしない。ま、言い換えると、いい加減で陽気な連中の集まりなんだよね。犯罪者でもない限りはどんな奴がいようとかまわないんだよ」
「そんな身も蓋もない…」
ははっと笑うユーフォルビアにライノールが半眼で呆れた声を出す。
「まあ気楽に行きましょうってこと。浄水施設については頭の痛いところだけど、クラフトギルドの方で頑張って解決法を模索してるみたいだし。ここは森と違って、依頼として請け負ってる内容が討伐依頼や製薬じゃなくて主に種族間の揉め事の仲裁なんかだから、流石にそれは君たちに任せられないしね。ここに滞在する間は休暇みたいなものだと割り切ってくれていいよ――実際君たちはそのくらいの働きをすでにしてるしね」
「では、ひとまず自由にしていていいということですね」
ライノールの確認に、ユーフォルビアはニコニコ頷いた。
「うんうん。あ、種族間の揉め事は起こさないでね。仕事増えるから~」
アニスとは対極のいい加減さを見せられてなんとも微妙なものを感じながら、ルルシアとライノールは顔を見合わせ「…はい」と返事をした。
**********
(と、言われても…)
休暇みたいなもの、と言っても特にやることがない。
引き続きクラフトギルド長の邸宅に滞在させてもらうことになっており、ここでは食客扱いである。それは非常にありがたいのだが、働くでもなくただそこにいるだけというのは非常に居心地が悪い。
ルルシアは休暇2日目にして早くも暇を持て余していた。
客室にいてもやることがない。屋敷内をうろついているとハウスキーパーのメリッサに気を遣わせてしまう。
外に行くといっても、朝市の時のことを思い出すと一人で出るのはやっぱり躊躇われる。人ごみに呑まれて迷子になりそうだ。
「で、ここに来たと」
「行くところがなくて」
庭の工房を尋ねるとディレルが苦笑交じりで迎えてくれた。苦笑の理由は、すでにライノールが工房内に居座っているからだ。彼はここで仕事をしているというのに暇を持て余したエルフたちが集まってくるのだから苦笑いも浮かぶだろう。
ライノールは相変わらず魔術や魔術文様の本を読み漁っている。魔法だけでは飽き足らず、魔術まで手を出すつもりだろうか。
ディレルは基本的に工房にいる事が多い。それを良いことに、ライノールはほとんどの時間この工房に入り浸っているのだ。お互い黙ってそれぞれの世界に没頭しているので居心地がいいらしい。
「この後納品と依頼の確認行くけど、暇ならルルシアも行く?」
ディレルは仕事の依頼を知人の店を介して受けているそうで、毎週決まった日に依頼品の受け取りと完成品の納品に行くのだそうだ。今日がちょうどその日で、これから出かける予定だったという。
「ついてっていいの?」
「いいよ。単純な受け渡しするだけだし」
「行きたい。でもマントだと目立つよね…」
エルフだとバレなければ自由に動き回っていいと言われているが、街中でローブやマントで顔を隠していると目立つ。エルフの服装として定着していることもあり、正体をばらしながら歩いているようなものである。
「アンゼリカさんが大喜びでルル用の服用意してたぞ」
本を読んでいるライノールが顔もあげずにそう言う。
「……知ってる」
ディレルの母であるアンゼリカは、ルルシアたちの滞在が決まった途端に服飾関連の知人に打診して服を色々と用意したそうだ。――彼女のポケットマネーで。
うちに半月いるなら最低でも十着は必要よね!と言う彼女に、必要ないと何度も言ったのだが聞いてはもらえなかった。
「うちの母親がごめん…あの人娘欲しかったとかで、着せ替えしたくてたまらないみたいなんだよね」
「帽子だけあればいいんだけど…」
「別にお前、きれいな服とか嫌いじゃないだろ?何でそんな嫌がるんだよ」
ライノールが視線を上げ、不思議そうな顔をする。が、服の好き嫌いと着ることの好き嫌いは別である。ルルシアは口を尖らせた。
「嫌いじゃないけど汚したり破いたりしそうで落ち着かないの…結局前用意してもらった服もびしょびしょにしちゃったみたいだし」
「なるほど…まあ諦めろ。外行きたいんだろ」
ルルシアがうー、とうなっていると、ディレルが「そういえば」と呟いた。
「新しいドーナツの店ができたらしいよ。おいしいって人気だって聞いた」
「行く!」
「じゃあ着替えておいで」
「はい!」
今までの躊躇いはどこへ行ったのか、ルルシアはすぐさま工房を出てアンゼリカを探しに母屋の方へ向かっていった。
「悲しいまでの扱いやすさだな…」
さすがにライノールの声には呆れの色がにじんでいた。
ディレルはこらえきれずに笑い出す。
「素直で可愛いよね」
「…まあ、物は言いようだな」