20. 返事は、きちんと
風呂に入って、パン粥を頂き、人心地ついたところでルルシアは工房へ向かった。
工房の扉をノックするとすぐに扉が開き、ディレルが顔を出す。
「あれ、ルルシア起きたんだ。よかった……動き回って大丈夫?」
「大丈夫。ご迷惑おかけしました……ここにライがいるって聞いたんだけど」
「うん。あと、アニスさんもいる」
アニス。その名前に、ルルシアは一瞬固まった。なぜ森長がここに?
「ルルシア」
工房内から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。本当に森長がいる。なぜ。
今度は何について叱られるのだろうかと、頭の中でぐるぐると考えながら、処刑台に進むような気持ちで工房に足を踏み入れた。
「ルル……それほど顔色は悪くないな」
「うん」
ソファに座っていたライノールが立ち上がって場所を譲ってくれる。場所を譲ってくれるのはありがたいが、そこに座るとちょうど正面にアニスが仁王立ちしているのだ。
心構えができていないルルシアがキョドキョドしていると、頭上から鋭い声が振ってきた。
「ルルシア、顔を上げてきちんと座りなさい」
「はい」
アニスはいつも厳しい。
そのアニスの向こう側で、ディレルが何故か不思議そうな顔をしている。ついでにライノールがニヤニヤしているのはいつものことだが。
「まず、結論から話そう。君はしばらくこの街に留まってもらうことになった。エルフの決まりから言えば特例に当たるが、すでに許可はおりている」
「へ?」
留まってもらう、特例、許可?
一瞬言われた言葉の意味が分からず、ルルシアはぽかんとする。
「気の抜けた返事をするな。――テインツは国を支える産業都市だ。その水源に瘴気が溜まり、魔物が頻繁に現れるようになれば国内の産業への影響は計り知れない。現在その瘴気を完全に防げる術は君の魔法だけ、だそうだ」
「……じゃあ、あの魔法は成功したんですか」
「ああ。君は霊脈から流れる魔力の絡まりを切断し、正常に流れるよう誘導したのだろう? 今のところはうまく流れているようだ。ただし、私が見た限りでは、あれは一時的なものだ。水の通る配管に不純物が溜まるように、時間が経てば再び同じ状態になる。あの場所はそういう癖のある場所なのだろう」
一度切断してそれでおしまいならば、おそらく大昔にそういう手段がとられただろう。だが、あえて魔術で流速を変えるという方法を選んでいたということは、アニスの言う通り、障害が生まれやすい土地だということだ。
「ただ、君の魔法が再び必要になるほど悪化するのがいつになるかはわからない。明日なのか、数年後なのか、数百年後なのか。だから……君にはしばらくここに逗留して欲しいそうだ。といっても、そう長くはないがな……。急激な悪化さえなければ、前兆を確認してから要請を受けて動くという手順を踏む猶予はあるはずだ。要は、『一日二日で突然状況が悪くなることはない』と確認できるまでの間は、すぐ駆けつけられるようにしていろということだ」
「確認できるまで、というのは具体的にどのくらいか、見込みは立ってるんですか?」
「浄水施設の責任者は、念のため半月ほどは欲しいと言っていたな。まあ、そう大きく変化することはないだろうから、そのまま半月で終わるだろう」
(ということは、半月の間テインツの城下町に遊びに行ったりできる!)
おそらくその考えが顔に出ていたのだろう。アニスの纏う空気がひんやりと冷たくなった。
ライノールが風を扱うのを得意としているように、アニスは氷を扱うことに長けている。つまり、比喩ではなくアニスの周りの温度が下がったのだ。
「露骨にうれしそうな顔をしているが、街で遊び歩くことを許可しているわけではないというのは重々覚えておけ。エルフが都市に逗留するのは稀なことだ。喧伝しなくともうわさは広がるし、注目されるだろう。君が常日頃やっている、油断を絵にかいたような行動をしてエルフの品位を貶めるようなことがあれば、私はテインツの議会が何と言おうと強制的に連れ帰るし、二度と森から出さないからな」
「うー、はい……」
「返事はきちんと!」
「はい!」
ルルシアの返事を聞いたアニスはため息を一つついた。
「君を野放しにすることには不安しかないが、現状で、『魔力のシンクロ』などというわけのわからないことができるのは君だけだからな。一応ライノールにも保護者兼監視として残ってもらう。……ライノール、お前が付いていて、なにか問題が起こったら次こそその首を掻っ切るからな」
「へいへい」
アニスが手を僅かに振ると、空中にとがった氷の塊が幾つも現れ、キュンッと音を立ててライノールの頬をかすめて飛んで行った。
それらは全て、ガッと音を立てて壁にぶつかり、砕け散る。
「……返事は、きちんと、と、言っただろう」
「はい」
「よろしい」
頷いたアニスは、再びルルシアの方を向いた。
「滞在中の衣食住に関してはテインツの代表者議会の方で保証してくれるそうだ。クラフトギルド長が窓口になってくれているから、詳しい話はそちらから聞きなさい」
「はい」
「仕事に関して言うと、君たちは一時的にオーリスからテインツの所属に変わる。テインツのエルフ代表者事務局、だ。こちらでの動き方については事務局に確認しなさい」
「……所属が変わるってことは、テインツの仕事を受けるということ?」
「そういうことだ。……ただしここには冒険者ギルドがあるから、エルフへ魔物退治の依頼などまず来ない。お前ら向きの仕事はないかもな」
魔物退治の仕事がない、というと、ルルシアのような戦いに特化した者たちは、やることがない。
(半月間、街へ繰り出してもいけないし仕事もない……)
ルルシアはずいぶん情けない顔をしていたのだろう。アニスは手を伸ばすと「半月の我慢さ」と、ルルシアの頭をなでた。
「さて……では私は森に戻るが、くれぐれも問題は起こすなよ。……ディレル殿、お騒がせしてしまい大変申し訳なかった。しばらくの間この二人をよろしくお願いします」
そう言うとアニスはディレルに向かって深々と礼をする。それに対してディレルは「いえ、こちらこそエルフの方々のご協力に感謝いたします」と頭を下げ返した。
「森長、もう帰るの?」
「ああ、議会の話し合いに立ち会うために来ただけだからな。それはもう済んだから帰る」
「……なら、町を出るところまで見送りするよ。城下町の入口で馬預けてるんでしょう?」
「ここからだとかなり距離がある。行ったり来たりすれば目立つだろうが」
見送りの提案がバッサリと却下され、ルルシアはむぅ、と口を尖らせた。そのやり取りにディレルが「ああ、それなら」と口を開く。
「こちらから馬車を出しますから。それにルルシアも一緒に乗って行けば人目は避けられますよ」
「え、馬車!? いいの?」
乗合ではない馬車は、基本的に庶民には縁のないものだ。それを簡単に出すという言葉にルルシアは目を丸くした。
「ここはクラフトギルド長の家だからね。客人を徒歩で帰らせるほうが問題になるよ」
「そういうものですか」
「そういうものです」
ほわぁ、と目を丸くしているルルシアにディレルが笑う。
この家に住んでいる以上、ランバート家としてではなく、クラフトギルドとして対応しなければならない。客人、しかもエルフを徒歩で帰すなど許されないのだという。
「じゃあ、わたしも一緒に行く……ライは」
「行かない。俺は本を読みたいんだ」
「そういうと思った。わたしマント持ってくるね」
馬車に乗るとはいえ、誰かに見られる可能性はあるので一応マントは羽織って行った方がいいだろう。このまま玄関に向かい、馬車を回してもらうのを待つというアニスと一度別れ、ルルシアは自分の客室に戻った。
***
ルルシアが出て行った工房で、アニスはうずくまっていた。
「ああああ……見送りとか……天使……かわいい……」
「お前のその二重人格に突っ込まなかったディレルに感謝しろよ、アニス」
さすがに引くわー、と半眼でアニスを見下ろすライノールにディレルは苦笑する。
「まあ、特にクラフトギルドは変わった方が多いので慣れてますけど……随分厳しく接するんですね」
もっと甘いのかと思ってました、というディレルに、アニスはうずくまったまま、くぐもった声で返事をする。
「……ルルはうちの集落で一番若い。そして幼いうちに両親を亡くしたからな、皆が皆、可愛がって甘やかすんだ。それではルルが将来困るだろう? 厳しさを教える者が必要だと、私は思うからその役割を果たしている」
「なるほど……」
「その私を見送りなんて気遣ってくれるあの子は本当に天使なんだ……」
話が戻ってしまった。と思っていると、アニスはバッと顔を上げ、ディレルの方を見た。
「ディレル殿、ルルシアの可愛さに目がくらんで無体でも働こうものならただでは置かないので」
「そんなことはしませんから……」
「は!? 貴殿にはルルの可愛さが分からないと!?」
「ちょ……どう答えるのが正解なんですか、それ!?」
そのままルルシアの可愛いところを滔々と語りだしディレルを困らせたアニスは、ライノールに「ルルを玄関で待ちぼうけさせる気か?」と一言言われて正気に戻り、やっと工房を出て行ったのだった。