2. 『神秘的なエルフ』
準備といっても、別にたいしたものではない。
魔力が込められた頑丈な布で作られたマントを羽織り、緊急用の携帯食料や薬を入れた鞄と、小型のナイフ、あとは武器を持つだけ。
ルルシアは武器として弓を愛用している。それも、コンパクトに折り畳めるタイプのもので、腰のベルトに引っ掛けると完全にマントの中に隠せるし、動き回る時の邪魔にならない。
そして、普通の弓とは違って、弦と矢は自分の魔力で作り出すタイプの魔弓なので、矢筒や換えの弦などは必要ない。
しかし、弓の取り回しなどの動きを制限されたくないので、頑丈な鎧などの防具はつけられない。そもそもエルフは筋力が低いので、重い防具は向かない。
そのため、マントの下に着る装備は、ゲームでいうならば『布の服』だ。
魔法で強化したマントと、自分で使う防壁魔法で攻撃を防ぐのが、エルフの基本の戦闘スタイルなのである。
準備の終わったルルシアが階下に戻ると、ライノールは勝手に茶葉の缶の封を切って、勝手にお茶を入れて飲んでいた。その茶葉のパッケージに、ルルシアの目が釘付けになる。
「あの、それこの間もらったばかりの、とてもいいお茶なんですよ?」
「説明する前にいなくなるなよ。出発は昼過ぎで、着いてから打ち合わせして決行は夕方以降。相手は夜行性だからな」
「いいお茶……わたしまだ飲んでなかったのに……」
「あ、それと今回は冒険者ギルドと合同で動くから。勝手な行動するなよ」
「お茶……」
「俺、お茶はもっと甘い匂いのやつの方が好きなんだよな」
「……」
ルルシアは黙って弓を組み立てて、ライノールに向けて構える。そのまま弓に魔力を通して弦を作り出し、引き絞ると、弦を引く指先から淡く光る矢が現れた。
だが、弓に矢をつがえた様子をちらりと一瞥したライノールが、鼻で笑いながら片手を一振りすると、ルルシアの手元にあった矢は一瞬でかき消えてしまった。
ライノールは魔法使いとして一流で、魔力量もルルシアとは桁違いである。
みそっかすなルルシアの魔法を防ぐことなど、彼にとっては赤子の手をひねるよりも簡単なのだ。
しかし、本気で射る気がなかったとはいえ、いとも簡単に矢を消されたルルシアは不満を込めて口を尖らせた。
「お茶は今度買い直してもらうから。……でも冒険者ギルドと合同なんて珍しいね」
「今回の依頼は特殊らしい。どうも魔獣が魔物を束ねて、群れで動いてるって話だ」
魔物が何らかの原因で巨大化したものは、魔獣と呼ばれている。魔物が変異して巨大化したのか、または元々そう生まれついた個体なのか……など、詳しくはわかっていない。
魔獣は大きさだけではなく、その戦闘能力も、撒き散らす瘴気の量も桁違いだというのだが、そうそうあちこちにいるものではないため、ルルシアはまだ実際にお目にかかったことはなかった。
「で……更に、魔獣結晶が欲しいってやつがいるんだってさ」
「魔獣結晶?」
「魔獣の体内からとれる魔力の結晶だな」
「魔獣の体内の結晶って、なんか禍々しい響きなんだけど……瘴気がすごそう」
「いや、魔獣から出てくるくせに瘴気が混じってない純粋な魔力の固まりらしいな。どうして瘴気が混じってないのかは、まだ解明されてない」
ルルシアは首をかしげる。
生き物から採取できる石というと、結石が頭に浮かぶ。例えばマッコウクジラの結石は、竜涎香と呼ばれ、香料として恐ろしく高価格で取引されていると聞いた事がある。
科学の授業でそれを聞いてから、海辺へ行くとついそれっぽい石を探してしまう……というのは前世の記憶だ。
――いけない、と軽く頭を振る。
前世を思い出したせいで、記憶が混じっているようだ。少し混乱している。
頭を振ったルルシアに「どうした?」とライノールが聞いてくる。
「ううん、なんでもない。聞いたことあるような、ないようなって感じなんだけど、それって有名なの?」
「名前くらいなら知ってるって奴は多いと思うが……魔獣自体がそんなに数いるもんじゃないし、俺も実物は見たことないな」
「ふぅん……まあどのみち倒すことには変わらないし、お金いっぱいくれるならいいけどさ」
魔獣討伐となれば、通常の魔物を相手にするよりも危険度は跳ね上がるが、その分実入りも期待できるはず。
もらえる報酬の額は、ルルシアにとっては最重要事項である。おいしい食事のためには先立つものが必要だからだ。
だがそれはルルシアに限ったことで、本来森に住んでいるエルフというものは、基本的に自然とともに生きているため、金銭に対してそんなにガツガツしていない。
それなのにこうやって依頼を受けて、魔物や魔獣を討伐するのは――。
エルフが、高い魔力と戦闘力を持っている種族だということ、しかしながら、集落周辺の問題解決に協力する意思も持っている、非常に友好的な種族だということを周囲に示し、他種族からの反感や侵略を防ぐ……という示威行為の一環なのだ。
そういう政治的な目的であるため、悲しかいことにルルシアの手にする報酬は、いつもそれほど多くない。
「金の話はアニスの前でするなよ……指導不足とか言って俺が怒られるんだよ。ルルに注意しても無駄だってやっとわかったらしい」
「そんなこと言ったって、森長のお気にいりのパンだってお金で買うのにね」
「まあそうだが、余計なことを言うのはやめろ。エルフ全体のイメージに関わってくるんだから、仕方ないだろ」
森長とは、エルフの各集落にいる代表者のことである。
オーリスの森の森長は、アニスという名のとても美しい女性で、非常に真面目で規則に厳しい。
変わり者のルルシアは、普段からいろいろなことでよく叱られていて、そのとばっちりでライノールも叱られている。ルルシアに嫌味を言ってくるのだが、彼は彼で日頃の態度が悪いので自業自得でもある。
エルフは――美しく(中略)気高い生き物である……というのは、現代においてはほぼ作られた、実態に即していないイメージだ。
現実には、長い歴史の中で他の種族の血が混じっているため、種族としての特徴はだんだんと薄まってきている。
それに、森の外で起こっている技術の進歩による、生活様式の変化の影響も普通に受けている。
これは他の種族にもいえることで、世界中でだんだんと種族間の差が埋まってきている、というのが実情だ。
しかし、その中でもエルフは少し特異な存在で、作られたイメージを守るため、森の外に出るエルフたちにはいろいろな規則が課せられる。
言葉遣いや振る舞いが指導され、そして顔と姿かたちはマントやローブで隠すことになっている。
そうやって対外的に『神秘的なエルフ』の姿をアピールしているのだ。
「イメージ守って無理するより、歩み寄ったほうがいいと思うんだけど」
頬を膨らませるルルシアに対し、ライノールは鼻で軽く笑った。
「長い目で見ればそのほうがいいだろうが、歩み寄る最初の一歩目が泥沼だったら、誰だって止めるだろ?」
「……多分わたしの解釈が間違ってると思うから一応確認しておきたいんだけど、その泥沼って、もしかしてわたしのことを言ってる?」
「よくわかったな。正解だ」
手で丸を作ったライノールは、さらに頬を膨らませて餌を詰め込んだリスのような顔になったルルシアに肩をすくめる。
「胡椒まみれの肉が食いたいから金が欲しい、ってエルフは、どう考えても泥沼だろ」
「人聞きの悪い。労働の対価として正当な報酬がほしいってだけだよ。あと、ちゃんと処理された肉なら軽い塩でも美味しくいただけますよ」
「誰も肉のことは聞いてねえよ。とにかく後で迎えに来るからおとなしくしてろ」
「へーい」
***
ライノールが帰った後、そういえばフライパンを洗っていなかった……と、ルルシアが流しを見ると、既にきれいに洗われていた。ライノールが魔法でやってくれたらしい。
ルルシアの両親は優れた魔法使いだったのだが、その娘のルルシアは、残念ながらあまり魔法使いに向いていなかった。
洗い物や煮炊きのような、繊細さを要求される生活魔法は彼女の最も苦手とするところである。ライノールはそのあたりのことをわかっているので、先んじて洗っておいてくれたのだろう。
彼はルルシアの両親の弟子で、その両親亡き後は、悪態をつきながらも何くれとルルシアの面倒を見てくれている。
もともと彼自身も家族を喪っているので、遺された幼いルルシアを放っておけなかったのだろう。
ライノールが改めて迎えに来るのは昼なので、まだ時間がある。
ルルシアは両親が遺した蔵書の中から、魔獣について書かれたものを何冊か引っ張り出してきた。魔獣結晶について、何か書かれているかもしれないと考えたのだ。
(魔獣結晶っていうのが、もしそのあたりにいる魔物からも稀に採取できたりするなら、お金になるかもしれ……ううん、安全のためにどういうものなのか知っておいたほうがいいもんね。そう、あくまでも安全のため)
そう自分で自分に言い訳しつつ、本をめくる。――しかし、あまり詳しい表記は見つからなかった。
本の虫のライノールが詳しく知らなかった時点で、それほど期待はしていなかったが、やはりお金になりそうな、もとい安全のための情報は得られなかった。
『魔獣結晶:魔獣の体内から採取できる膨大な魔力を帯びた結晶。魔石とも呼ばれる。その形成メカニズムは解明されていない。』
『……魔物は環境中の魔力を体内に取り込み、瘴気に変換し、それをエネルギーとして利用することが知られている。その際、変換しきれなかった余剰の魔力が体内に蓄積して結晶化し、魔獣結晶となるという説が有力である。』
『……類似した物質が魔物の体内から見つかることもあるが、その多くは小さく崩れやすい。現時点で、魔石と呼べるような大きな結晶は魔獣からしか見つかっていない。』
(へえ……瘴気って、魔力が変化したものなんだ……)
ルルシアにとっては、「魔物は瘴気をまとっているもの」というのが当たり前過ぎて、そもそも瘴気とはなんなのか疑問に思ったことすらなかった。
ここに書かれていることが事実であれば、魔獣結晶とは確かに結石のようなもので、利用しきれなかった魔力が固まったものだということになる。
――となると、魔獣でしか見つかっていないというのも頷ける。
それだけ多くの魔力を体内に取り込み、エネルギーとして利用した結果、巨大化していったのが魔獣である……ということだ。
つまり、そのへんの魔物からは採れなさそう……というのがわかってがっかりする。
『……魔獣結晶は強力なエネルギー源として利用できるため、都市の水質浄化システムや街灯システムの動力として用いられていた時代がある。また、過去にはこれを動力とした魔導兵器が作られたこともあるが、現在は種族間協定で軍事利用は禁止されている。』
どうやら、大昔には公共のライフライン維持のエネルギー源として利用されていたらしい。
重要なライフラインを、供給の安定しない正体不明の石に託すのはいかがなものだろうか……と思うが、大昔はもっと魔獣が多かったと聞いたことがあるので、今よりは気軽に手に入ったのかもしれない。
結晶について書かれているのは、これで全てだった。情報が少ないということは、それだけ手に入りにくいものなのだろう。
パタンと本を閉じて、ルルシアは首をかしげる。
こんなに珍しい物を手に入れようとしてる人は、何に使うつもりなのだろうか。