19. 私の可愛い
水源地に残った技術者たちの調査では、現時点で浄化装置は正常稼働しており、かつ完全に浄化されているということだった。
稼働した時点で浄化装置の能力が不足していたことは誰の目にも明らかだったため、これはルルシアが行った何らかの魔法によるものだという結論になった。
ただ、現在は完全に浄化できているとはいえ、ルルシアが何をしたのかがはっきりわからず、さらにこの状態がどの程度の期間保つものなのかもわからない。
そのため、本人が目覚め次第話を聞き、今後の対策を練ることになる。
それまでの間はひとまず、当初の予定より少し人数を減らすものの、冒険者たちが警戒のため常駐する、ということで合意に至った。
だが、その日も、その次の日も、ルルシアが目を開けることはなかった。
***
「ライノールさん、お客様がいらしていますが……」
「ああ、来たか……ありがとうございます。客間ですか」
ディレルの工房のソファを占領して本を読んでいたライノールのもとにハウスキーパーがやってきたのは、ルルシアが倒れてから二日目の昼過ぎだった。
ものすごく嫌そうな顔をしつつ聞き返したライノールに、ハウスキーパーは困った顔をした。
「いえ、それが……もうこちらに」
「おや、随分優雅なご様子だな、ライノール」
「げ」
ハウスキーパーが体をずらすと、その後ろにはローブを纏った人物が控えていた。
お辞儀をして去っていくハウスキーパーと入れ替わるように、その人物はずかずかと工房に入ってきた。
「げ、とはなんだ。クラフトギルド長から聞いたぞ、お前がルルを唆したんだってなぁ?」
「唆したわけじゃねえよ。っていうか、部屋の主に許可を得てから入れよ」
キラリと光るナイフを片手にぐいぐい迫ってくるローブの人物に向かって魔法で防壁を張りながら、ライノールは作業机に向かうディレルの方に目を向けた。
――が、彼は作業に没頭しており、全く反応しなかった。
「部屋の主とは彼か? 私たちを完全無視しているようだが」
「……スゲェなこいつ。ここまで無視できるか普通……おい、ディレル!」
ディレルは声をかけても気づかないことが多いが、作業台の上のものが動けば気付く、と彼の母親であるアンゼリカから聞いていたライノールは、魔法で風を起こして作業机の端に置かれているペン立てを揺らした。
「ん、あれ……人が増えてる」
顔を上げたディレルは特に驚いた様子もなくそう呟くと、道具を置いて、部屋の中にいる二人に向き合った。
「そして動じねえな、お前……」
「お邪魔している。今からこのエルフをしばき倒そうと思っているのだが構わないだろうか」
ローブの人物が淡々と告げる。その手にはナイフが握られ、それに対してライノールは防壁を張っている。
百歩譲っても、穏やかとは言えない光景だった。
「……品物に傷や汚れをつけないならご自由に、と言いたいところですが……。私はディレル・ランバート。この家の者です。一応彼は我が家の客人ですので、失礼ですが、貴方がどなたで、なぜ彼を害そうとするのかご事情をお聞きしても?」
「お前俺に対する態度ひどくないか?」
「自業自得では」
不満げに睨みつけてくるライノールに、ディレルは笑顔で返す。
ローブの人物はナイフをしまい、姿勢を正した。
「そうだな。大変失礼した、貴殿の言うとおりだ。私はアニス・オーリス。オーリスの森のエルフをまとめる森長の役を負っている」
「オーリスの森長……先だっての魔獣討伐へのご助力ありがとうございました」
「いや、エルフは必要な支援は惜しまない。……そして、このバカと、ルルシアがこちらでお世話になっていること、深く感謝する」
「いえ……元はと言えばこちらが原因ですから」
彼らをこの街に呼び出したのはディレルの父で、ルルシアが倒れたのはクラフトギルドが浄化設備を管理しきれなかったせいだ。ちなみにライノールも結局あの後ダウンし、一晩寝込んでいた。
「いや、諸悪の根源はこの男だ。――お前がルルシアを連れ回すから! なんだ、湖の魔力を操作って! どう考えてもあの子は無理をするし危険なのはわかっていただろう!」
「ナイフを人に向けるな。連れ回すのはあいつ自身の希望だ。それに、できる可能性があるのにそれを提示しないほうがあいつは傷つくだろう」
「知っているさ! ルルが外に出たがってることも、無理をして人の役に立とうとするのも、守られたがらないことも……あの子を森から出さずに守りたいのは私のエゴだ。わかっていてもあの子が出ていくのを助長するお前がムカつく。あとそのせいでルルがお前に懐いてるのもムカつく」
「完全に八つ当たりじゃねえか……」
深く被ったフードを両手で引っ張りながらアニスはブツブツと恨み言を言い続ける。ライノールはため息をつきながら防壁を消した。
ディレルは苦笑しながら、アニスに話しかけた。
「彼を憎む事情はわかりましたが……ルルシアさんを交えて話をされたほうが良いのでは? 今はまだ眠っているようですが……」
「そうだ……私の可愛いルル……目が覚めなかったらどうしよう……」
「あー、お気づきかもしれないが、アニスはルルを溺愛してるんだ」
今度は頭を押さえてしゃがみこんだアニスをソファから見下ろしながら、ライノールがつぶやいた。
ディレルは、エルフって想像してたよりかなり愉快な種族だよな……と思ったがその言葉を飲み込み、代わりに微笑んだ。
「……ルルシアはオーリスの森で大事にされてるんですね」
「当たり前だ! あんな可愛くておかしなことばっかりやって目が離せない子、大事にしない理由がない」
「で、アニスはルルを連れ戻しに来たと?」
ライノールの言葉に、アニスは深い溜め息をついた。
「そうしたいのは山々だがな。クラフトギルド長から話を聞いたといっただろう。エルフの決まりから外れる話になるからな。責任者が話し合いに立ち会わないわけにはいかなかったんだ」
***
目が覚めたら、見覚えのない部屋にいた。
いや、なくはないかもしれない。――ルルシアは少し考えて、思い出す。
そうた、ここはランバート邸の客室だ。
水源地で魔法を使ったところまではかろうじて覚えているのだが、その先は全く思い出せない。
ひどく喉の乾きを覚え、周囲を見回すと水差しが置いてあった。
ありがたく一杯頂くと、ぬるい水が喉を通って体の中に落ちていくのがわかる。随分と体がカラカラになっているようだ。
ベッドから這い出して、重たく感じる体を大きく伸ばす。この感じだと、だいぶ長く寝ていたのかもしれない。
棚には自分の服が綺麗に畳まれた状態で置かれていた。シワひとつないところを見ると洗濯済みである。
朝市に行った日、ランバート邸に戻ったらその服を着てオーリスの森に帰る予定だったため、少なくともその時点では洗濯などされていなかった。
どれだけ短くても、服を洗って乾く程度の時間の間は寝ていたということになる。
こういう時、スマホで日付と時間を確認できないのが不便だ。
(うーん、とりあえず顔を洗いたい)
着せられていた寝間着を脱いで自分の服に着替え、グシャグシャになっている髪を手ぐしで整えてゆるく一つに編む。
そして部屋のドアを開けると、ちょうど新しい水差しを持ったハウスキーパーがドアを開けようとしていたところだった。
「ルルシアさん! 良かった……お目覚めになったんですね。ちょうど丸二日、眠っていたんですよ」
「二日も……? お世話になってしまってすみません……」
「いえいえ! 旦那様たちから話は伺ってますから。今、ライノールさん達は工房の方にいますが……先にお風呂使われますか?」
「あ……ありがとうございます、そうさせてください……」
入浴できないことくらい慣れっこだが、流石にこのきれいなお屋敷内で、寝汗まみれなのは気が引ける。
ルルシアはお言葉に甘えさせてもらうことにする。そして――。
ぐうう……
「お風呂の間に簡単に食べられるものをご用意しますね」
「……何から何まですみません……」
「いえいえ」と笑うハウスキーパーに、ルルシアは恥ずかしさでちょっと涙目になりながら頭を下げた。