17. 試したいこと
湖の周りはうっすらと瘴気が漂い始めているが、まだ問題になるほどではない。
今のうちにシフトでも組んでおくか、と冒険者ギルドのメンバーに集合の号令がかけられた。
一応、今ここにいるメンバーはライフライン維持に関わる持ち場につけるくらい、信用のある人材である。今ここにいないメンバーもいくらかいるそうだが、それでも人数は限られる。
その人数で、いつまで続くかわからない業務を回すことになる。
支部長のグラッドはため息が尽きない様子だった。
それを脇目に、ルルシアはクラフトギルド側のメンバーを捕まえて「試したいことがある」と持ちかけた。
魔法はイメージによるところが大きいので、エルフ同士でもうまく伝わらないことが多い。
ましてや魔法のイメージを持っていない人への説明はもっと難しい。そのためルルシアは、魔力操作という説明が面倒な部分は省いて、水源地の魔力に干渉する許可だけを求めた。
水に含まれている魔力の状態を確認したい。ついでに瘴気を抑え込めそうならやってみようと思う。――仮に失敗したとて、被害はルルシアが倒れるくらいで周りに影響はない、と。
それでも、やってみてもいいかと聞くと、管理責任者は戸惑い、ランバート親子は非常に渋い顔をした。
「結局ルルシアが倒れるような危ないことするってことだろ、それは」
「倒れるくらいで死にはしないよ」
「死ななきゃいいってことじゃないだろ……」
ディレルは困った子を見るような目でルルシアを見た。それからライノールに視線を移す。
「保護者としてなにか意見はないんですか」
「本当にヤバくなりそうなら引きずり出して止めるさ。なんにせよ現状のままじゃ町の方に危険が及ばないとは言い切れないだろ」
「それは……」
そうだけど、とディレルは眉をひそめて言い淀んだ。
そのやり取りを見守っていたギルド長が、ディレルを手で制してルルシアの方へ一歩進んだ。
「分かりました。我々にはテインツの安全を守るという責務があります。……危険を未然に防げる可能性があるのなら、ぜひお願いします。ただし、ルルシアさんの身に危険が及ばない範囲で、です。『危険』とは、怪我や体調不良も含みます」
「……とりあえず全然うまくいかないかもしれないし、試すだけ試して、魔力の反応を見てどうするか決めます。一応わたしも引き際は心得ていますから、大丈夫です」
体調不良は避けられないだろうけど、という言葉は心の中だけで付け加える。
「じゃあ、はじめますね」
ルルシアはそう言うが早いか、止められる前にやってしまおう、と、素早く靴を脱ぎ、ワンピースのスカートを太もものあたりまでたくし上げて軽く結んだ。
魔力を同期させるためには対象と接触している必要がある。湖の水に体のどこかが触れていないといけないのだ。
そのあたりのことを全く説明されていなかった男性陣は、突然スカートをまくり上げて足を露出した少女の姿に慌て出した。
「!? なにして……!」
「え? 借りている服が水にぬれると困るので……」
何を、と言われても作業上必要な事をしたまでだ。ルルシアはキョトンとする。
ライノールはそれを笑いをかみ殺した顔で見ていたが、こらえきれなかったらしくディレルの肩を叩きながら笑い含みの声を出した。
「はじめから見えてるより、めくれて見える方がエロいよな?」
「……答えにくいことを聞かないでください」
「……は? 最低」
これはセクハラ事案だ。ルルシアは反射的にゴミを見る目をライノールに向ける。
いや待て、でもこの場合はいきなりスカートをたくし上げたルルシアもセクハラに当たるのではないだろうか。
「なんかごめん……」
ルルシアの「最低」発言が、タイミング的にディレルに言ったように聞こえてしまったのだろう。目をそらして謝るディレルに、ルルシアは慌てて否定する。
「え、ディレルに言ったんじゃないよ。そこのエルフのおっさんに言ったんだよ」
そのライノールはなにかがツボに入ったらしく、ディレルの肩にもたれて笑いだしてしまった。「ライノールさん……」とディレルが睨みつけるがどこ吹く風だ。
「馬鹿ライめ……えっと、説明不足でしたけど、わたしこれから水に入ってしばらくの間集中します。湖に何か変化があっても気にしないでください。本当に危ないようなことがあれば、そこの笑ってる馬鹿なエルフには分かると思うので」
***
改めて向き合った湖の水面は静かに凪いでいる。
透明度が高く、水底の石が濃い緑色に苔むしているのがよく見える。足元に気を付けないと滑って転んでしまいそうだ。
湖のふちの、なるべく浅そうな場所から滑らないようにゆっくり足をつける。大体脛のあたりまでの深さだ。
水に足を浸してまっすぐ立ち、目を閉じる。
水の中の魔力を、自分の体の中に巡らせて、自分の波長を少しずつ合わせていくのだ。
魔法はイメージだ。
昔テレビで見た、湖の水中映像を脳裏に思い浮かべる。
透き通った水で満たされた空間。水底では繫茂した水草が水の動きに合わせてそよぎ、太陽の光が水面の波で歪んできらきらと降り注ぐ。
ゆっくりと、体が沈んでいく。
そのまま水の中に溶け込んでいくような、水と一体になっていくイメージ。
目を閉じたまま、ルルシアは、はぁ、と小さく息をはく。
相手が大きすぎて、気を抜くと自分が今どこにいるかわからなくなってしまいそうだ。
どれだけ溶け合っても、主導権はルルシアが持たなければならない。
この水はわたし。
この波はわたしの手足。
ささやかな風で波打つ水際の泡沫の一つまで、そのすべてがわたしの目。
もっともっと感覚を広げて、水脈もさかのぼって、
――この水の魔力の源である、霊脈と交わる場所まで。
(……きっとあれだ)
水脈をさかのぼる途中、霊脈にたどり着く少し前に、第三の魔力が干渉している場所があった。
覚えのあるこの気配は、魔獣結晶の魔力だ。浄化装置の魔術がこの場所に作用しているのだろう。
つまり、ここが瘴気の発生源。
ライノールが言っていたように、その場所では魔力の流れが複雑に絡み合っていた。流れがぶつかり合い、余計なエネルギーが発生している。そのせいで、魔力の一部が瘴気に変容しているのだ。
浄化装置の魔術は、どうやらこの場所の流れを遅くすることでぶつかり合いの衝撃を減らし、瘴気の発生を防いでいるらしい。
ただ、それでも完全に衝撃を防ぐことができていないため瘴気が生まれるのだ。
この絡んでいる部分を解いてやればいい。
しかし、あまりに複雑に絡み合っていて、一言で「解く」といっても相当骨が折れそうだ。
ルルシアは深呼吸して息を整える。
今、この水はわたしの手足。
この水に満ちた魔力はわたしの魔力。
だから、
(絡まってるなら、そこを一回切って、つなぎ直せばいい)
目を開く。
ルルシアの足元にはさざ波が立っていた。ルルシアの頭の中のイメージに、魔力が共鳴しているのだ。
全身が魔力で満たされる高揚感に、思わず笑みがこぼれる。
「行け」
そのルルシアの言葉に呼応して、湖面が大きく一度波立つ。
湖面を走るその波紋が消えた、次の瞬間――
ドンッッ!!!
大きな音とともに、湖の中心に見上げるほど大きな水柱が立った。