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163. アドニスさんの話

時期的には最終話から少しあとのお話。

分割するか迷いましたが一本にしたのでやや長めです。

 目が覚めて、真っ先に感じたのは右腕のしびれだった。

 アルセア教会の神の子のおかげで日常生活に不便を感じない程度まで回復したというのに、もしかしてぶり返したのだろうか。教会でも治療の前例はないらしいので、そういうことが起きたとしても不思議ではない。ただやはり、一度希望の光を見てしまった身としては、落胆を感じてしまうのは否めない。


 アドニスは横になったまま右側に首を巡らせ、


「!?」


 飛び起きた。

 右腕は確かにしびれている。その原因は明白だった。

 アドニスの右腕にシャロがしがみついてすやすやと眠っているせいだ。

 しびれが一時的な圧迫によるものだと安心すると同時に、思わず自分とシャロの着衣の乱れを確認してしまう。

 テインツの教会の厚意で、アドニスはシャロが暮らすのと同じ居住棟に部屋をもらっているのだが、しかし確かに昨夜は室内から施錠した記憶がある。彼女が横で眠っているこの状況に心当たりなどまったくない。

 ちなみに、教会の人々は皆、アドニスからしてみたら心配になるほど善良で、昔の生活のように強盗や闇討ちを心配する必要など全くない。したがって別に部屋の施錠もしなくていいのだが――それでもアドニスが毎晩きっちりと施錠する理由は、度々部屋に侵入してくるエルフがいるからだ。


 アドニスがフロリアの森の側でシャロを拾ってから八年ほど経って、幼かった少女は既に大人になっている。エルフ代表者事務局の記録によれば、彼女の本当の名前はおそらくシャルロットで、年齢は今年で十七になるらしい。

 十七といえばもう大人だ。一つ年上のルルシアなどはその年齢で結婚しているのだから。

 だが、幼少期にエルフの集落でまともな教育を受けられず、愛情も与えられず育ったシャロは、知能的にも精神的にも同年代と比べてかなり幼い。


 アドニスが彼女を拾ったのは、打ち捨てられ弱った少女の姿が、亡くしたばかりだった妹の死の直前の姿を彷彿とさせて放っておけなかったからだった。

 アドニスからしたらただ気まぐれで拾っただけなのだが、シャロの方は初めて愛情らしきものをもって接してくれたアドニスに対し、今も全幅の信頼を寄せている。

 この無防備な寝姿がそのいい例だろう。

 だが、彼女はもう大人だし、妹でもない。もちろん手を出すつもりはないが、アドニスだって寝ぼけていたり酔っていたりすれば――何か間違いが起きないとは残念ながら言えない。

 寝ている男の部屋に勝手に入ってくるなと再三に渡り注意しているのだが、シャロは一向に聞くつもりがない。そのためここしばらく、寝る時は部屋の鍵を掛けることにしていたのだ。


 なのに、なぜ侵入されているのか。

 シャロは今魔力を封じられているので――鍵を開ける魔法が存在するのかは知らないが――魔法を使ったわけではないはずだ。となれば、物理的に開けて入ってきているということだが、少なくともアドニスはシャロに鍵開けを教えたことがない。

 彼女を犯罪的なことに巻き込みたくないので、そういう技術は教えないようにしていたのだ。

 ただし気配を殺して行動する方法は、非力な彼女が生きるために必要だと判断して教えてある。そして今、教えなければよかったと猛烈に後悔していた。


「おい、起きろ」


 白い髪に色素の薄い白い肌。人形のように整ったその口元から、だらりとだらしなくよだれを垂らして眠る残念な美少女の頭を小突くと、シャロはぱちんと目を開いた。彼女は昔から恐ろしく寝起きがいい。


「アドおはよう」


 ぴょこんと起き上がったシャロはそのまま抱きついてくる。小さい頃からの癖のようなものだが、せめてよだれを拭いてからにして欲しい、とアドニスは顔をしかめた。


「おはようじゃねえよ。お前どうやって入ってきた」

「……ドアを開けて入った」


 微妙にシャロの目が泳いだ。

 一応最近は知識も常識も学んでいるので、鍵開けをして部屋に侵入するのが悪いことであるという自覚はあるのだろう。


「鍵開けなんかどこで覚えてきた」

「教えてもらった。エルフの常識だって」


 そんな訳あるか! と怒鳴りたいが、なんとか飲み込む。

 アドニスはエルフの世界の常識を知らないので、本当に常識である可能性を否定できない。怒鳴る代わりにため息をついた。


「はあ……ちなみに教えたのはルルシアか」

「ううん、ライ」

「あのクソエルフ……!!」


 それを教えたのがルルシアならば本当に常識なのだろう。彼女は色々と突っ込みどころがあるものの、基本的に規範意識が強いので間違ったことは教えないと信じられる。

 だが、その兄貴分のライノールは別だ。彼は自分が面白そうだと思えば平気でこういうことをやる男だ。

 彼のもとで育ったルルシアがそういう性格にならなかったのは前世の倫理観が強いからだろう。彼女に前世の記憶があって本当に良かったと思わずにいられない。


「……今日はルルシアが来る日だったか」

「……アドはルルに会いたいの? ルルはディルの奥さんだよ?」

「何の心配だよ。俺はルルシア伝いでライノールに文句を言いたいんだ」


 ふうん、とシャロはいまいち面白くなさそうな顔で頷く。


「今日はお菓子を作るから、シャロがルルの家に行くの。だから来ないよ」

「ああ、そういやそんなこと言ってたな」


 シャロがしつこく菓子の差し入れを要求するため、ルルシアが「そんなに食べたいなら自分で作ってみれば?」と提案したらしい。それでランバート家のメリッサから教わることになったのだと、何日か前にシャロから聞いていた。


「ルルの家に行けば多分ライもいるよ。ディルが『いつも大体そのへんに転がってる』って言ってたし。一緒に来る?」

「……何で転がってるんだよ。嫌な舅だな。……まあそうだな、行くかな」


 冒険者として請け負っていた仕事が昨日で終わって、特に教会の手伝いも頼まれていないのでちょうど今日ならば時間が余っている。

 ついでにディレルに魔術具の鍵について聞こう、と心の中で続けた。

 金庫や大きな施設の鍵ならば知っているが、部屋のドアに取り付けられる鍵というものは少なくとも既製品では見たことがない。だが、魔術具ならば魔力を封じられたシャロには扱うことができないはずだ。

 製品として流通していなくても受注で作ってもらえそうならば、安い職人を紹介してもらえるかもしれない。


 アドニスがそんなことを考えているとは分かっていないらしく、シャロは先程までとは打って変わって上機嫌の顔で「じゃあお昼前に出かけるからね!」と笑顔を見せた。



***



「どうしてシャロに鍵開けなんか教えたんだ」


 シャロの言っていたとおり、本当にライノールはランバート邸内にあるディレルの工房のソファに転がっていた。


「『アドに鍵掛けられて締め出された』ってむくれてたから可哀相に思って。もしも児童虐待だったら大変だろ」


 アドニスが睨みつけると、ライノールは悪びれるどころか、読んでいる本から目をそらすことすらせずに返事をした。


「嘘つけ……あいつエルフの常識だとか言ってたぞ」

「俺ができるし、ルルもできるからな。テインツにいる十人くらいのエルフの中で二人もできるんだから常識みたいなもんだろ」

「暴論がすぎる……」

「……っていうか、ルルもできるの?」


 妻がそんな技能を持っていると知らなかったらしいディレルがライノールを振り返った。


「あいつ好奇心の塊だからな。できるって言ったら教えろって言われたから教えた」


 好奇心の塊、という言葉にディレルは「ああ……」と苦笑した。


「とりあえずなんでも一回はやってみたがるからね……でもそれ、アニスさんは知ってるの?」

「知ってたら俺は殺されてる」

「……ルルが積極的に知識を活用するタイプじゃなくてよかったね」

「そうだな。いやー、しかし、まさかシャロが人の部屋に侵入するとはなぁ」


 ライノールの白々しい棒読みに、ディレルが半眼になる。


「どうせ面白そうだと思ってそそのかしたくせに」


 それに対し、ライノールは「お、よく分かったな」と笑う。アドニスは天を仰いでため息をついた。


「……なんだかんだで俺の知ってるエルフの中で一番常識人なのはルルシアなんだよな……頼むからシャロに何か教えるならルルシアの許可を取ってからにしてくれ」

「あいつ大体却下してくるんだよ。まあシャロも不用意にあちこち開けて回るようなことはしないさ。ちゃんと、アドニスの部屋以外は開けるなって言っておいたし」

「却下されるような提案すんなよ! それにやっぱり鍵開けは確信犯じゃねえか!!」


 ライノールはそこで初めて本から目を離し、アドニスを見てからかうようにニヤッと笑った。


「でも別に問題ないだろ。少なくとも俺は、自分の部屋にルルがいても全く問題ないし。――何か忍び込まれて困るような理由が?」

「……」


 ルルシアは過去に、『シャロにとってのアドニス』は『自分にとってのライノール』なのだと言っていた。――だが、多分、根本的な部分でアドニスたちの関係はルルシアたちのそれとは違う。

 アドニスにとってシャロは、妹のようなものだ。

 だが、それと同時に一人の女性でもある。

 これを恋愛感情だというにはやや複雑だが、自分がシャロに抱いている感情がそれに近いものであるという自覚はある。

 しかしシャロは、アドニスと過ごす以外の世界を知らなすぎる。

 アドニスと二人だけの閉じた世界ではなく、たくさんのものを知って、人を知って欲しい。これは保護者としての感情なのだろう。

 だから、保護者でありつづけるためには――寝込みを襲われるのは、非常にまずい。


「どうせ遠からず絆されるんだから、早く観念すればいいのに」


 まるで、言い淀んだアドニスの考えを読んだかのようにディレルが肩をすくめた。


「絆されるって……」


 そんなことはない、と反論することができず、アドニスは再び言葉をつまらせる。

 ディレルは、そんなアドニスへ追い打ちをかけるように微笑んだ。


「シャロが他の男と親しくなって――そのときアドニスは、ライみたいに平気な顔をしていられる?」


 アドニスは未だにソファを一人で占領しているライノールを見る。そして、この日何度目かのため息をついた。


「……少なくともそいつの仕事場で寝転がることはできないだろうな」


 その言葉にライノールは上体を起こし、体を伸ばしながら軽く笑った。


「まあ俺も、気に入らなかったら半殺しにしてたけどな」

「えー……危うく半殺しにされるところだったんだ俺……」


 とてもいい笑顔で言われた言葉にディレルが顔をひきつらせたところで、工房の扉が外からノックされた。


「あ、皆揃ってる。もうすぐパイが焼けるので食べに来ませんか? メリッサさんがお茶も入れてくれるよ」


 扉を開けて顔を覗かせたのはルルシアだった。

 一緒に行動していたはずのシャロの姿は見当たらない。


「なんだ、白髪娘は一緒じゃなかったのか」

「シャロはずっとオーブンを見守ってる。あの子、花壇もそうだけどじーっと見守るの好きだよね」

「お前はじっとしていられないからな。少しは見習えよ」

「耐熱ガラスの窓がついててオーブンの中身が見えるならまだしも、単なる鉄の扉をじっと眺めてるのは無理。――ねえ、ライは何で本読もうとしてるの」


 そう言いながらルルシアは、誘いの言葉をサラリと流して読書に戻ろうとするライノールから本を奪い、腕を掴んで引きずっていこうとする。が、どう見てもルルシアの細腕では動く気ゼロの男を引っ張っていくには力が足りない。

 その光景をニコニコと見守っているディレルに、アドニスは首を傾げた。ルルシア至上主義の彼ならば状況的にライノールを追い立てる手伝いをするかと思ったのだが。


「嫁の手伝いをしないのか、あんたは」

「ルルが頑張ってるのかわいいなあと思って」

「ああ……そうか」


 そういやこういうやつだったな、とディレルの微妙に歪んだ愛情にアドニスは顔をひきつらせる。それに気付いているのだろうが、ディレルは気にした様子もなくちらりとアドニスに視線を向けた。


「そういえば、アドニスが珍しくうちに来たのはライに文句を言うため?」

「――いや、そうだった。あんたに、部屋の扉に取り付けられるような魔術具の鍵ってのがあるのか聞きたかったんだ。どっかに売ってないかと思ってさ」


 ライノールのあまりの態度に、あやうく本来の目的を忘れるところだった。

 アドニスの言葉にディレルは「うーん」と困ったような顔で首を傾げた。


「あることにはある……けど、既製品ではほぼ見ないね。魔力使うより鍵持ち歩く方が楽だし、紋様読み解ける人なら開けられちゃう可能性もあるからね」

「なるほど……別に読み解かれてもかまわないんだ。魔力が使えないシャロは開けられないから。――買える場所とか作ってくれる職人とかを教えて欲しいんだが」

「ん、それなら俺が作ろうか?」

「いや、あんたは忙しいだろ。それにあんたの仕事だと値段もすごそうだしな」


 あっけらかんとした顔で作るなどと言われても、ディレルは元々腕がいいという評判だったのが、ここ最近高級アクセサリー店でも受注を始めてから人気が跳ね上がっている。つい先日、受注の順番待ちがものすごいことになっているのだという噂を冒険者ギルドで聞いたばかりだ。

 これに関してはルルシア曰く、討伐に行きたいからという理由で受注数を絞っているのも原因の一つ、だそうだが。


「単純なロックだけでいいなら別に大した手間じゃないし、むしろ息抜きになるくらいだよ。材料だってあまりものを使えばいいから代金もいらない。……それに」


 と、ディレルは、渋々といった面持ちで立ち上がり背中を押されて工房から出ていくライノールの方を見た。


「……つまるところライの仕業だから、ルルが気にするだろうしね」

「……嫁の身内があんなのだと大変だな」

「まあね。でも兄弟ができたみたいで楽しい……って、思えなくもないし」


 そう言ってディレルは少し照れたように笑った。

 ルルシアが絡まなければ本当にいいやつなんだよな……と思いながら、アドニスも少しだけ笑う。


「あ、でも一つだけ注意しておくけど、魔術具は魔石があれば魔力なくても使えるから。ライが気まぐれで解除方法をシャロに教えないといいね」

「……」


 またライノールか、と、こめかみを指で押さえたアドニスに、ディレルは若干の哀れみがこもった笑顔を浮かべて肩をすくめた。


「まあ、だから早く観念すれば? 時間は有限だよ――分かってるだろうけど、俺たちにとっては尚更ね」

「……ああ、分かってる」


 分かっている。有限だと分かっているからこそ、おそらく同じように苦しんだのであろうディレルに言われるのが一番こたえる。


「もう、ディルもアドニスさんも早く! 焼きたては焼きたての美味しさがあるんですよ!?」


 動かないディレルたちに業を煮やしたのか、ライノールの服の背中をガッチリと掴んだルルシアが入り口で頬を膨らませて仁王立ちしている。


「今行くよ」


 ディレルの返事にルルシアは嬉しそうに微笑み、それから「あ!」とアドニスの方を見た。


「そうそう。シャロが『アドはいつもご飯をちゃんと食べないから無理やりパイを口に詰め込む』って言ってたのでアドニスさんは気をつけてくださいね」


 気遣う口調に変わったルルシアの言葉に、アドニスは顔をひきつらせた。

 シャロが基本的に有言実行だということは、残念ながらアドニスが一番良く知っている。


「……あのクソガキ。……俺ちょっとここに残るわ」

「だめです! ディル引っ張ってきて!」

「はいはい。アドニス、諦めなよ」

「くそ、馬鹿力め……!」


 アドニスは顔をしかめ、そして笑った。

 ほんの一・二年前は、こんな騒がしく穏やかな日常が自分に訪れるなどということは想像もしなかったし、許されていないとすら思っていた。


 閉じた世界しか知らなかったのは、多分アドニスも同じだったのだ。

 なら、別に保護者ヅラしてなくてもいいんじゃないか?

 

 脳裏によぎったそんな考えを、ひとまず頭を振って振り払い、アドニスは目下に迫った焼きたてパイ詰め込みの恐怖から逃れる方法に思いを馳せたのだった。

ルルたちと似たような関係ですが、

ライとルルは兄妹かつ親子で、

アドとシャロは、兄妹っぽい幼馴染のイメージです。


そしてアドニスさんは遠からず絆される。はず。


次は神の子ルチアさんのお話になる……かな?

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