152. その掛け合いが
「ま、サイカの方はつつがなく、って感じだね」
話を聞き終えたユーフォルビアがそう言って微笑む。
報告は一番全体を把握していて理路整然と話せるセネシオの語りとなった。そこにライノールの報告も混じる…が、ルルシアに至ってはただ頷くだけで完全に添え物だ。やはりいなくてよかったのではないかとちらりと思ったりする。
「そうだな。これで向こう側から逃げ込んでくる連中も減るだろうし、今こっちにいる連中だって戻り始めるだろうしな」
「逃げてくる人たちってそんなに多かったんですか?」
首を傾げたルルシアにグラッドは軽く眉根を寄せ、人差し指で頬をかいた。
「実際の所多いって言うほどじゃないんだが…。だが外国の者がこちらに来ても、すぐ職に就けるわけじゃないだろ? 金がないから宿もとれない。それで門のそばで勝手にテント張って住み着くやつなんかも出始めてて…結構治安悪化を心配する声も多かったんだよ」
「ああなるほど…」
「サイカがしっかりしてグロッサと手を組んでシェパーズを包囲してくれれば、国境近くでたまに起こってた亜人の誘拐なんかもなくなるだろうし。若いリーダーには頑張って欲しいもんだ」
グラッドの言葉に、大丈夫、とセネシオが笑ってみせる。
「シオン君はそのうち胃に穴が開きそうだけど、アルニカちゃんもいるしうまく回してくと思うよ」
「胃に穴が…」
ルルシアは宴会の時までほぼ接点がなかったので分かっていなかったが、アルニカはかなり豪放磊落な性格の女性だった。
一方のシオンは言葉遣いこそ荒いものの、性格は日本人的というべきか、几帳面で波風を立てることを好まない。彼なら上手くアルニカのフォローをしつつサイカを守っていくだろう。ほぼ間違いなく、振り回されながら。
「…穴、開きそうですね」
「…開きそうだな。胃薬とか送ってやったほうがいいかもしれん」
賛同するルルシアに、ライノールも深く頷いた。
「…それで、アドニスのほうだが」
そう切り出したグラッドに、ルルシアはびくりと体を緊張させる。
サイカでの顛末の報告と合わせて、アドニスの冒険者ギルド除名に対する恩赦の提案について話をしたのだ。
「ルルシア嬢の言う通り、ギルド員資格の復権は可能だと思う。反対するやつもいないだろう。反対するとしたら本人くらいだろうがその本人も納得済みなら問題なしだ。こっちで手続きは進めておく」
「ありがとうございます!」
張り詰めた緊張が解けてルルシアはほっと頬を緩ませた。
後は彼がテインツに戻ってきた時にシャロと会えるように話を通しておくだけだ。
彼女はすでにテインツ城の部屋から教会のマイリカのもとに移っているそうなので、明日にでも教会へ行って話をしてこよう。
ご機嫌でシャロへの差し入れを考えていたーーなんとなくシャロに会う時はいつもお菓子を持参しているので習慣化してしまった――ルルシアは、グラッドがじっと自分を見ていることに気づいて首をかしげた。
「ええと、他に何か問題とか必要なこととかありましたか?」
眉を下げたルルシアに対し、グラッドは「すまない、違うんだ」と手を振って否定する。
「ルルシア嬢はどうしてそこまでアドニスたちのために心を砕くのかと思ってね。彼らは君にとっては…」
なぜ、縁もゆかりもないはずのアドニスのために。
そして、自分の両親の死の原因を作ったシャロのために。
グラッドは言葉を濁したが、おそらく言いたかったのはその辺りのことだろう。
ルルシアは答えようとして――答えが思いつかなくて眉間にしわを寄せた。
(どうして心を砕くのかと言われても、そうしたいから、としか…)
テインツ議会の都合に巻き込まれる形で連れて行かれたサイカという土地は、亜人であるルルシアにとってかなり危険が予想される場所だったのだ。そんな場所での任務を終えて戻ってきたルルシアが、他に何を要求するでもなく唯一望んだのが『アドニスへの恩赦』なのである。
確かに改めて考えてみると自分でも「何で?」となってしまう。
うまく説明はできないが、それでも自分の中で矛盾しているわけでもないのだ。何となくしっくり来る言葉を探して視線をさまよわせた。
「うーん、…わたしが前世持ちなのはご存知ですよね? 前の人生は今のわたしと同じくらいの年齢で終わってるんです」
グラッドもユーフォルビアも少し驚いた顔をした。ルルシアが前世持ちなことは知っていたがそこまで若いうちに死んでいることは知らなかったらしい。
「えと、それで人生やりきったとはとても言えなくて…まだまだやりたかったこととか、伝えておきたかったことがたくさんあったんです。――だから、今度うっかり死んだ時にはそういう後悔がもうちょっと少なくなるように生きたいなぁと思いまして」
「いや、うっかり死ぬなよ」
ルルシアの話にライノールがすかさず口をはさむ。
確かにその通りではあるのだが、話の腰を折らないで欲しい。
「たとえばの話だよ。だって前は本当にうっかり死んだから。…それに病気とか事故とか、誰だって明日がちゃんと毎日来るとは限らないでしょ? だからせめて、わたしに出来ることがあったら出来る限りしたいと思ってて…」
話しながら自分で、なんだかとても立派なことを言っている気がしてルルシアは首をかしげる。そんなに立派な話ではなく、もっと独りよがりな話だ。
「うんと…別に博愛精神みたいなそういうものじゃなくて…ええと、わたしはみんなに笑ってて欲しいし、辛い思いしてほしくなくって…要は、ただわたしが、辛い思いしてる人を見たくないっていうだけなんです。だからシャロさんもアドニスさんも放っておきたくなくて…言ってしまえばエゴとか自己満足ですね」
こんなとっちらかった説明で伝わったかな…と眉を下げたままグラッドを見ると、彼は「まあ分からなくもないが」と頷いた。
「だがなルルシア嬢、それで君自身が命を落としかけたら駄目だろう。…君は知らないだろうが、アドニスたちを助けるために君が倒れたときのディレルの憔悴ぶりはひどかったんだぞ。あの、いつも何が起きても平然としてるあいつがだ。…それにそこのライノール氏もな」
グラッドの言葉にルルシアは驚いてパッとライノールの方を見た。
ライノールはルルシアが倒れるのには慣れているので――慣れるほど倒れるのはどうなのかと自分でも思うが――、それほど気にしていないと思っていたのだ。ルルシアが目覚めた時だって、本当にいつも通りの顔をしていたのだから。
「…なんだよ」
ルルシアの視線にライノールは眉根を寄せて険しい視線で睨み返してきた。
これは半分照れ隠しだろうが、もう半分はグラッドにばらされたことを本気で不快に思っている顔だ。あまりつつかない方がよさそうだ、とふるふる頭を振って視線をそらす。
「ま、そこはルルシアちゃんも分かってるよね。ディレル君本人に言われてたし」
「ディレルが?」
悪くなりかけた空気を察したのか、セネシオが話題を少しずらした。
その言葉でグラッドが意外そうな表情を浮かべた。ライノールもやや驚いたような顔をしている。ディレルはあまりそういうことを自分から言いそうにないからだろう。
実際、アドニスとともに行動することがなければ絶対に言わなかっただろうなとルルシアも思う。
「あ…はい。言われました。…わたし、ディルがあんなにアドニスさんたちに対して怒ってるって分かってなくって。…自分が無謀な事をしたのも、ディルと、…ライが、それに対してどう思うのかとかを全然考えてなかったことも、とても反省してます…」
ルルシアが倒れた時、ディレルがどれだけ悲痛な気持ちだったのか。
彼がその話をしたときに強く握られた手の感触を思い出してルルシアはしゅんとうなだれた。立場が逆で、倒れたのがディレルやライノールだったらやはり同じようにルルシアは悲しみ、アドニスたちを憎まずにはいられなかっただろう。
「そうか。反省しているなら多くは言わないが…自己犠牲の精神は尊いものだが、それで傷つくのは自分だけじゃないってことだけは忘れないで欲しい」
「はい」
「ルルは返事だけは良いからな」
「ライは黙って」
脊髄反射のように挟まれたライノールの言葉にルルシアも反射的に反論する。
それを見たグラッドは思わず…という感じの笑みをこぼした。
「君らは本当に仲がいいな。その掛け合いがまた見られてよかったよ」




