151. 無事で何より
約一か月ぶりのテインツは相変わらず活気に溢れていた。
閑散としたサイカから落ち着いた街並みのエフェドラを経由して移動してきたため、若干賑やかすぎると感じてしまうほどである。
その陽気な賑わいが微かに届くテインツ城の階段をのぼりながら、ルルシアは大きくため息をついた。
「体痛い。帰って休みたい」
エフェドラからの移動の馬車は行きと同じくダールが御者としてついてくれて、そしてサスペンションが効いただいぶ乗り心地のいい馬車を用意してくれたのがとてもありがたかった。ありがたかったが、それでもやはり体は痛い。
一行は先程テインツに到着して、そしてその足でテインツ城にやってきたので体中がギシギシと悲鳴を上げている。
本当は自分の部屋のベッドに飛び込んで泥のように眠りたいところなのだが、その前にエルフ代表者事務局で局長にひとまずの任務完了を報告して、更に冒険者ギルドにアドニスの身柄をエフェドラに渡したことも報告しなければならない。
「俺も帰りたい」
ライノールも疲れた顔であくびをかみ殺しながらそう呟いた。…が、彼の場合エフェドラの教会で譲ってもらった本を読んで寝不足になっているのが疲れの原因の大部分を占めているので、それに関しては自業自得である。
「二人ともまだ若いのにだらしがないなぁ」
余裕の笑顔を浮かべているセネシオは、馬車は疲れるから嫌だと言って一足先に転移で戻って来ていたため先程合流したばかりだ。一足先に戻った分ゆっくり休んだようで元気いっぱいである。
本当は昨日、セネシオからルルシアも一緒に行くかと誘われたので、その話に乗っていればルルシアも一晩休めたのだが――ディレルが無言で首を振っていたのと、アドニスの『長距離移動は短距離に慣れてても死ぬほどきつい』という言葉を思い出してお断りした。
「だらしない若者を待たずとも先に報告を済ませて下さってもよかったんですよ。ライは魔力封じの関係で局長代理の役目だったんだから外せないでしょうけど、わたしはセネシオさんが行ってくれれば別にいてもいなくてもいいんですし」
報告など先に戻ってきたならば先に終わらせてくれればよかったのだ。しかしセネシオは「やっぱり本人が顔見せて安心させてあげないとさ」と言ってルルシアたちを待っていた。その言い分は分からなくはないが、しかし本音は昨日ゆっくり休みたかっただけだとルルシアは思っている。
「まあアドニスさんの話もしたいのでどのみち行かないといけないですけどね…」
アドニスは現在、エフェドラの教会で神の子による人体実験――もとい、瘴気の後遺症治療を受けている。
エフェドラでは教会と医師たちが共同で『より治療効果を得るためにはどの程度の期間を空けるのが効果的なのか』とか『症状の重さや発症からの経過日数の関係』など、諸々を本格的に研究することにしたらしい。被験者もルルシアたちがサイカに行っている間にすでに数人集められていた。
この実験がうまく行って瘴気に対する治療の道が拓ければ、後遺症で悩む多くの人が助かるはずだ。
まだ具体的な結果は出ていないが、実際にアドニスの手足は戦闘が行えるレベルまで回復している。特に冒険者の中には戦闘中に浴びた瘴気の後遺症のせいで引退に追い込まれたベテランも多いため、そういった人たちの復帰の希望も見えてくる。と、なれば冒険者ギルドにとってもメリットが大きい。
つまり――過去に冒険者ギルドで除名処分を受けているアドニスの恩赦の理由として十分使えるはずだ。
ルルシアはそういう話を冒険者ギルドに持ちかけるつもりなのだ。
アドニスが背負っている罪は大きく二つ。
一つは十年ほど前に口論が原因で民間人を殴り、誤って死なせてしまったこと。
二つ目はテインツ周辺の襲撃事件の実行犯であったこと。
襲撃事件に関してはすでに罰金刑ということで話がついている。そして、この罰金はセネシオが霊脈移動の対価としてテインツから受け取るはずだった報酬で賄われる事になっている。
セネシオは金銭での報酬を放棄する代わりにルルシアとディレルをサイカへ駆り出し、アドニスの自由を買い取り、更にテインツ内での強い発言権を得たことになる。
ユーフォルビアなどは「黙って報酬を受け取ってもらったほうがテインツ的には面倒くさくなくてよかったんだろうけどね…」と苦笑いしていた。
とにかく、二つ目の罪はすでに今回のサイカ行きの報酬として贖われることが決まっているのだが、一つ目の罪で受けたギルド除名処分は未だ有効なのである。
冒険者ギルドからの除名というのは非常に不名誉なことであり、国内で冒険者として活動できないだけではなく、その他のまともな仕事につくことすら難しくなってしまう。
だが恩赦で復権が認められれば、彼は再び国内で冒険者ギルド員として活動することができる。冒険者でなくとも、他の仕事に就くのも今より各段に楽になるのだ。
アドニスが今後、テインツの教会預かりとなっているシャロのそばで暮らすにしても、彼女を引き取るにしても、当然国内で仕事ができるほうがいい。
そう思って、ルルシアはアドニスに『恩赦を願い出るつもりである』と伝えた。
除名処分当時ですらギルド内で同情的な声が多かったと聞いているので、今回の恩赦も恐らく却下はされないだろうとルルシアは踏んでいる。…の、だが。この提案は他ならぬアドニス本人にかなり渋られた。
彼は除名処分も自ら進んで受けたくらいの人物であり、いかんせん自罰的な傾向が強すぎる。――曰く、自分に理由があって背負った罪を他者の力で贖うのはおかしい、と言い張ってなかなか譲らなかったのだ。
確かに実際に治療をするのは神の子である。
だが、そもそもアドニスが手を差し伸べるに値する人物でなければ神の子だって無理を言って助けようとなどしなかっただろう。
それにこの出来事がなければ、もしかしたらこの先も『治療不能と言われている瘴気の後遺症を神の子の癒やしで治す』という発想自体に至らなかったかもしれない。
問答の末、最終的に「頭の中に食い物しか入ってないうちのチビが無い頭使って考えたんだからありがたく受けとけ」という、ライノールの罵倒なのか援護なのかの判断がつかない言葉と、ディレルの「グダグダ言ってないでおとなしく聞いときなよ」という冷たい声に後押しされてなんとか了承を得られたのである。
ちなみにそのディレルは、商業ギルドの支部長に交渉のお礼と今後の業務に関する相談をしに行くというので別行動だ。彼も疲れた顔をしていたが、彼の場合体の疲れよりも精神的な疲労のほうが激しそうだった。
商業ギルドの支部長はベースがディレルの母アンゼリカと似たような性格で、それをさらに計算高くした感じの女性であるらしい。
お礼はともかく業務の話は後日にしたほうがいいのではないかと思うのだが、「ああいう商人には何よりも優先しましたって誠意を見せないと余計な利子を付けられかねないから…」だそうだ。
今回の関係者の中で一番割りを食っているのは実はディレルかもしれない。
事務局の事務所に入ると、ガッシリとした体の大きな男がこちらに背を向けて座っているのが見えた。副局長のホーリーの趣味で誂えられた瀟洒なデザインの椅子におよそ不釣り合いな体を窮屈そうに収めたその男は、ルルシアも見知った人物であった。
「グラッドさん。珍しいですねここに来てるのは」
「…お? おお、ルルシア嬢! ライノール氏もお疲れ様。大きな怪我はなかったとは伝え聞いているが、本当に大丈夫だったんだな?」
「おかげさまで怪我一つありません」
「それは良かった。ディレルもついているとは言っても向かった場所が場所だからな」
そう言って冒険者ギルドの支部長であるグラッドは安心したように相好を崩した。
だが、グラッドがエルフの事務局に顔を出しているのは本当に珍しい。もしかしてなにか問題でも起こったのだろうかとルルシアが内心首を傾げているところに、のんびりと間延びした声がかかった。
「やあルルシアにライノール。ついでにセネシオ氏。おかえりー」
「只今戻りました局長」
「うんうん。無事で何より」
いつものようにヘラヘラした笑顔を浮かべたユーフォルビアは自分が今しがた出てきた部屋のほうを指差した。
「ま、こっちで座って話をしよう。何にせよ皆疲れてるでしょ? 通信でもうすぐ着くって言うから一気に報告聞けるようにグラッド支部長も呼び出したんだ」
「さすが局長…」
「ありがとうございます」
にこりと微笑むユーフォルビアが輝いて見える。感動するルルシアの隣で珍しくライノールもおとなしく礼を言って局長室へと移動した。




