15. 竜の背骨
屋敷へ戻る道の途中、ツナギを着た男が三人、泡を食ったような様子で駆けてくるところに行き会った。
「どうしたんですか?……管理場の方で何か?」
ディレルが声をかけると、男のうちの一人が「ああディレル!」と足を止め、他の二人にそのまま行くように指示を出した。
彼らが向かっていったのは、これからルルシアたちが戻ろうとしていた屋敷の方向だった。その先にはテインツ城もある。
「浄化装置の結晶が砕けた。それはまあいいんだが、砕けたときに魔術装置の一部が破損して、制御が効かなくなったんだ」
「!……さっきの二人はギルドの方に?」
「ギルド長に知らせに行ってる。現場は瘴気が湧き始めてるから、じきに魔物が寄ってくると思う」
男は一気に説明すると「運動不足に全力疾走は堪える」とぜいぜいと息を切らした。
彼は水質浄化装置の管理場で作業をしているクラフトギルドの職人だとディレルが説明してくれた。
「とりあえず俺は装置のところへ行くよ。――ルルシアは……」
「わたしも行く。弓持ってるから。どうせライも知らせ受けて来るだろうし」
「助かる。装置については向かいながら説明するよ」
「おい、お嬢ちゃんも連れてくのか!? 今魔物が集まって……あ、ディレルの冒険者仲間か?」
「まあそんなところ。早く行こう」
管理場は文字通り、テインツのライフラインを支える装置を管理している場所だ。
魔獣結晶をエネルギーとする魔術装置が設置されているのだが、現在稼働しているのは水質浄化装置のみである。他に街灯管理装置なども置かれているが、それは現在使用されていない。
昔のテインツでは、管理場の装置で作り出した魔術の光を、町中に設置された受信装置に送ることで街を照らしていたらしい。
ルルシアが家で読んだ本にも、都市の街灯システムに魔獣結晶を利用していた時代があると書かれていた。だが今は、ランバート邸の庭に浮いていたような小型で使いやすい魔術灯が開発されたためそちらにとって代わられているのだ。
魔獣結晶は入手が難しい上に、扱いも難しい。
特に魔力を放出しきる直前の結晶は、エネルギーを暴走させて砕けてしまうことがあり、なるべく早い交換が望ましい。……しかし、入手の困難さからどうしてもギリギリになりがちだ。
それに暴走するといっても、結晶内の魔力はすでにあらかた放出しているし、それほど問題にはならない。
今回の交換作業中、古い結晶が砕けて小さな爆発が起こったのだが、作業に立ち会っていた魔術師たちの防壁で、作業者も新しい結晶も無事だった。
……が、肝心の制御装置に破片が当たり、しかもその当たりどころが悪かったらしく、再起動ができない状態になってしまったのである。
「ところで、なんで水から瘴気が湧くの?」
装置の故障で水が浄化できない。というのはわかったが、それと瘴気が湧くという関係性がわからず、ルルシアは首をかしげる。
「ここは元々、魔物の泉って呼ばれてた場所なんだよ。水脈と霊脈が重なってるんだ」
ルルシアは、テインツ周辺は乾燥地帯で水が乏しいのだと思っていたのだが、ディレルが言うには実際は水が乏しいのではなく『水と一緒に瘴気が湧いてくる土地』なので水をそのまま使えないのだという。
魔力の源泉である霊脈と水脈が重なることで、魔力を多く含む水が湧く。
そういう土地は他にもあるし、そしてそういう場所は聖地としてありがたがられていたりするのだが、ここテインツの場合は、その魔力のめぐりが良くないらしく、水の中に魔力だけではなく一定量の瘴気が含まれてしまう。
浄化装置はそのめぐりをよくする機能を果たしていたのだ。
そのため、装置が停止するとだんだんと瘴気が湧いてくる。そして瘴気が湧くと、それを求めて魔物が寄ってくる。
――そんな場所で多くの人々が暮らしている、という恐ろしい状況なのだ。
テインツを建国した昔のドワーフはアグレッシブすぎではないだろうか。
そういう場所だから競争相手がいなかった、ということなのだろうが、もうちょっと将来のことを考えて街づくりをしてほしい。
「その装置って修理できるの?」
「見てみないとわからないな。もし土台が修復不能な状態だと……。今手に入る素材では強度的に耐えられない文様がいくつか入ってるんだ。いずれこうなることはわかってたし、別の素材や文様に置き換える研究は続けてるんだけど……」
そういうとディレルは自嘲気味に笑った。つまり、修理はできず、打開策にも至っていない。
その、「今手に入らない素材」とはどんなものなのかと聞くと、なんと竜の背骨だという。
竜など、もうほぼ伝説上の生き物だ。エルフの古代種の皆さんだったら見たことがあるのかもしれないが、現在はどこかに生息しているという話すら聞いたことがない。いないものの骨など探しようがないのだ。
「竜の背骨って化石じゃダメなの?」
「素材の鮮度……っていう言い方はちょっとあれなんだけど、元の組織が残ってる状態で加工してやらないと駄目みたいなんだ。過去に化石で試した記録もあるんだけどやっぱり駄目だったらしい」
そりゃあ、素人が考えることなど専門家はすでに考えている。非常に貴重であろう化石ですでに試しているあたり、詰んでる感じがする。
本当にもうちょっと将来のことを(以下略)
***
到着した現場は特別混乱している様子ではなかったが、装置の修復作業をしているツナギの技術者たちの顔色は一様に悪かった。
ディレルはそちらへ合流してしまったのでルルシアは魔物を片付ける冒険者たちの中に加わった。
しかし「瘴気に釣られて魔物が寄ってくる」といっても、今の時点ではそれほど大量に闊歩しているわけではなかった。
先程ここに来るまでに聞いた話によると、おそらくルルシアが朝市の広場でなにかの気配を感じたのが装置の破損の瞬間だったようなので、瘴気量はまだそこまでひどい状態ではないのだ。
もともと魔獣結晶の交換作業中の事故に備え、魔術師を含む冒険者たちが控えていたため、今は水脈を結界で封じて瘴気を押しとどめているらしい。
そして、結界を張る前に寄ってきた魔物は、冒険者たちの手でおおかた倒されていた。
トッ
ルルシアが弓で鳥の形の魔物を撃ち落とす。
ここにいる魔物は、元々テインツの近くにいた個体だろう。人の暮らす場所の近くにいる魔物はそれほど凶暴ではないし、害も少ない。
助力はほぼ必要なさそうだな、と考えながら、ルルシアは討ち漏らしがいないか視線を走らせた。
「嬢ちゃん、見ない顔だがいい腕してるな。他所の町から来たのか?」
「ディレルと一緒に来た美少女だろ? 恋人か?」
「えーっ、ディレルくんの恋人? 見たい見たい!……ってまじ美少女じゃん! ディレルくんやるぅ」
見回したときに目が合った冒険者の一人に話しかけられ、答えに困っていたらあっという間に囲まれてしまった。
魔獣討伐の後の状況を思い出す。
冒険者というのはそもそも陽気で人懐っこいタイプが多いものだが、テインツはその傾向が強いらしい。
……それにしても、技術者たちの深刻さと冒険者たち気楽さの落差がすごい。
一方的に進んでいく会話を聞いていると、彼らは「どうせ修理できるまでの間だし」という認識で、装置がだめでも何とかなるだろう、という考えのようだった。
この綱渡り状態の土地で長年暮らしてこられたのは、この気質のせいもあるのかもしれない。
***
「ディレル、魔物は片付いたよ。……装置の方は?」
「ああ、ありがとう。装置は駄目だな。補強の文様加えて騙し騙しなら短時間くらいやれるかもしれないけど……」
やたらフレンドリーな冒険者たちを振り切り、ディレルに話しかけると、ため息とともに返事が返ってきた。隣で装置を点検していた眼鏡の女性も、その言葉に頷く。
「土台内部にひびが入ったらどうしようもないよね……経年劣化で脆くなってたから」
そう言いながら彼女が目を向けた不思議な光沢を放つ円筒状の物体には、たくさんの魔術文様が刻まれていた。その上部に、おそらく魔獣結晶がはめ込まれていたのであろうくぼみがある。
装置というより、石碑といった方がピンとくる形状だ。
彼女が言うには、見た目ではよくわからないが内部が崩れてしまっているという。
「短時間起動しても、どうしようもないからなあ」
「あれは結局駄目なんでしたっけ、分割してつなぐってやつ」
「あれはいいとこまで行ったと思うんだが、結局浄化能力が足りないって話になったんだよ。それでもないよりましだが。……ただ、起動魔力が魔石と別に必要なんだよな」
「……起動だけなら魔術師かき集めて……って言っても数十人単位で集めないとってことだもんな。一朝一夕じゃいかないか」
侃々諤々と議論を交わす技術者たちの話に、ルルシアは半分もついていけない。
ルルシアにもわかる簡単なところだけ拾っていくと、一つの装置でうまくいかないならば、浄化機能を持った装置と、その機能を増幅する装置、更にそれらの装置の強度を補強するための装置……という感じで複数の魔術具を繋いでやってみようという計画があったらしい。
が、それでも現在の装置の浄化機能には及ばず、微弱ながら瘴気が混じってくる可能性が高い、との試算だという。
更に、装置を維持する魔獣結晶とは別に、起動するためにも膨大な魔力が必要となるため、新たな魔獣結晶がもう一つ、もしくは大勢の魔術師を集める必要があるらしい。
(魔術師数十人分の魔力かぁ……)
ルルシアはディレルの服の裾をちょいちょいと引っ張る。
「ん、どうしたの?」
「魔力がいるならライにやらせればいいと思う。あのひと魔力おばけだもん」
「ライノールさん……そっか。でもここにいる魔術師たちと合わせていけるかなぁ」
「人間の魔術師数十人分くらいでいいなら一人でいけるよ」
戦いとなると色々やることがあって一人でできることは限られてしまうが、倒れるくらいの覚悟で単純に魔力を叩きこむだけなら十分ではないだろうか。
ルルシアの言葉を聞いていた技術者が、力なく笑う。
「そのライノールって人がすごくても、さすがに数十人分ってことは……」
「私が何か?」
不意に背後から投げかけられたその声に振り返ると、ローブに身を包んだライノールが立っていた。その後ろの方には、クラフトギルドと冒険者ギルドのお偉方の姿もある。連絡を受けて駆けつけてきたのだ。
「あれ、討伐の時のエルフじゃ……?」という声が冒険者たちの方から聞こえる。
必然的に、ルルシアの正体も分かるだろう。あとで口止めがお願いできるか、二つのギルドに掛け合わねばならない。
「ライ。壊れたやつのかわりの装置を起動するのに魔力がいるんだって」
「ふうん……代わりの装置はすぐ用意できるのか」
ライノールはディレルの方を見る。ディレルは技術者の責任者らしき男と目を合わせると頷いた。
「半時もあれば」