135. 守るためにここにいる
「…シオン君、お医者さんを」
「もう呼んでもらってる」
言葉が終わらないうちにシオンは力なく呟いた。
セネシオは続く言葉を止め、ほんの少しだけラグラスの部屋を振り返った。
「そっか」
「――だから嫌だったんだよ」
話しかけたのか、独り言なのかシオン自身わからない言葉が口からこぼれた。
セネシオは少し考え、よくライノールがルルシアにやるようにシオンの頭をグシャリと撫でた。シオンはわずかに身じろぎして逃れようとしたが、思ったよりもがっしりと頭を抑え込まれていて逃げられなかった。
「お父さんは安心したんだと思うよ」
「…どうだかな」
「さて、仕事するかな。シオン君の手助けしてやって欲しいって頼まれたからね」
「……」
ぐっと歯を噛み締め鼻の奥がツンとするのをやり過ごす。
大きく息を吐いて、そしてシオンは息を吸いながら顔を上げた。
「次はザースと組織の連中が相手か。……胃がいてぇ……」
「前途多難だなぁ」
さ、諦めが肝心だよ。などとニッコリ笑うセネシオに追い立てられながらシオンは自宅を出て東棟に足を向けた。
これから執務エリアに乗り込み、人を集めて受け取った『命令書』の内容を通達して、そしてザースとストラを処分、そして今後の方針について――。
考えただけでストレスで吐きそうだ。
親父はこういうものをずっと背負ってたのか…と思いかけて、根本的に性格が違う事に思い至った。父ならば、こんな状況でも俺について来いと笑いながら啖呵を切っただろう。
だが、シオンはシオンのやり方でやらねばならないのだ。
「よし、行くか。…行きたくないけど!」
「了解」
締まらないシオンの気合いの声に、セネシオは苦笑混じりに頷いた。
東棟に入ると、中にいた人々はやたら顔色のすぐれないシオンとフードを深くかぶって顔を隠したマントの男の組み合わせにぎょっとした目を向けた。
さらに、そのマントがエルフたちの好んで纏う衣装であると知っている者は息を呑む。
エルフが牢に侵入し、牢番たちを魔法で昏倒させアルニカを連れ去ったという噂が駆け巡っているというのに、そのエルフが入り口から堂々と入ってきたのだから。
皆が遠巻きに見つめる中、話しかけてきたのはシオンよりも年下の若い男だった。彼はサイカが出来た後に生まれた者なので亜人に馴染みがなく、エルフなど見たことがなかった。ただ、自分がひそかに尊敬しているシオンが、顔を隠した不審人物を連れていることに戸惑っていた。
「シオン様、あの、その方は…」
「そいつのことは気にするな。主張の強い空気だと思ってくれ。それよりもザースと幹部たち…いや、興味あるやつらは全員でいい。広間に集めてくれないか…リーダーからの通達があるんだ」
「主張の…ええと、分かりました」
『主張の強い空気』の方にちらりと視線を向けた男はリーダーからの通達という言葉に表情を引き締め、人を集めるために駆けていった。
「空気扱いされたのは初めてだなぁ」
「興味持たれると面倒なことになるから空気は黙ってろよ」
「既に注目の的だから今更だと思うよ?」
「わかってるよ。…頼むから短時間だけでも現実逃避させてくれ」
舌打ちをしつつ、周囲の視線が刺さるのを感じて小心者のシオンは胃の辺りがズンと重くなる。だが注目されている原因のセネシオはまったく気にした様子などなく、物珍しそうに周囲を見回している。
よくもまあ自分が騒ぎを起こした場所で平然としてられるもんだ…と、その図太さがうらやましくすらある。
「っておい、勝手に動くなこの野郎!」
先程のシオンの言葉に反応して広間に向かい始めた人の流れに、セネシオは勝手にすたすたと付いて行ってしまう。シオンは慌てて追いかけながら、逃避する暇も落ち込む暇もないことに少しホッとしていた。
おそらくセネシオはわざとそのように振舞っているのだろう。それは彼なりの気遣いで――それは分かるがそれはそれとして勝手な行動は控えてもらいたい。
追い付いたところでその後頭部を軽く小突いてやろうとしたが、すいっと避けられてしまった。そこは喰らっとけよと再び舌打ちをしたところで広間に到着した。
***
広間の空気は史上最悪なレベルに悪い。と、シオンには感じられた。
ザースは機嫌の悪さを隠しもせず、シオンの斜め後ろに立つセネシオを視線で射殺すつもりなのかと思ってしまうほどに睨みつけている。対するセネシオの方はむしろそれを楽しんでいるような雰囲気を醸し出していて、それもまた空気を悪くする原因になっている。
その他の面子のリアクションは様々だ。
怒りや苛立ちを露わにしている者、怯えている者、ただただ戸惑っている者に面白がっている者。ざっくり分けると、怒ったり怯えているのはザース側に、戸惑ったり面白がっているのはシオン側に付いている者が多いようだ。
「急に集まってもらって申し訳ない。リーダーから直々に命令書を預かったのでこれから通達する」
シオンは集まった者たちの顔を見回す。人数はざっと二十人ほどだった。
現在の組織の構成メンバーは六十人ほどなので三分の一であるが、主要な人物は大体揃っている。ここにいないのは普段から酒場に入り浸ったりしてまともに仕事をしていない連中だ。
リザーがいて活気があふれていた頃と比べて随分膿んだもんだな、と苦く笑った。
「――現リーダー代理ザース。組織の私物化、無実の者の不当な投獄などの責によりリーダー代理の任を解く」
ざわ、と広間の人々の視線がザースに向いた。
ザースが口を開こうとしたが、シオンはその前に続きを読み上げる。
「代理任命の責任、そして現在までの責務の放棄によってこの事態を招いた責任をとり、私、ラグラスはリーダーの席を退く。…罪の追及、処断、今後のサイカの人事や方針決定に関しては私の息子シオンに一任する」
「シオンに一任だと!? 今まで親父の陰に隠れて表に出てこなかった奴に任せるなど、そんなバカなことがあるか! 第一その命令書は本物なのか? 本人の口からきかなけりゃ納得できねえよ!」
一度青くなった顔を今度は真っ赤にしてザースが怒鳴る。ザースが失脚すれば全てを失う取り巻きたちもそのザースの怒りに同調し、そうだそうだと騒ぎ出した。
シオンは顔をしかめる。受け取った命令書を読んだ時にこうなることはわかっていたのだ。さてどうやって黙らせるかな、と考えているところに静かな声が割り込んできた。
「残念ですが、ご本人の口からお話しいただくことはもうできませんので、その命令書が本物であることは私が証明します」
広間に入ってきたのは先程シオンがラグラスのもとへ呼んだ医師のクマラだった。彼はこれまでずっとラグラスを診ていた医師であり、エイレンの師匠でもある人物だ。
「ラグラス様は先程、息を引き取られました。その直前にシオンに命令書を託されたんです」
ああ、やっぱり。シオンは強く目を閉じた。
あの様子からもう命の終わりが近いことはわかってはいたが、それでも、もしかしたら本当にただ疲れて眠っただけなのかもしれないと淡い望みを抱いてもいた。
だが、ザースはそれをチャンスだと捉えたらしい。彼は微かに笑った。
「ならシオンが殺したんだろ? 父親に自分の望むことを書かせてから」
いつも物静かなクマラはそのザースの言葉にキッと目を吊り上げた。
「口を慎みなさい。ラグラス様はもういつ亡くなってもおかしくなかった。その命令書はご自分の死期を悟ったラグラス様の手で、意思で、書かれたものです。その中身について私は事前にラグラス様より知らされていました。もし自分がシオンに渡せず息絶えることがあれば機を見て渡してくれと言われていたんです。――ラグラス様はシオンの覚悟が決まるのを待っていたんですよ」
クマラの最後の言葉はシオンに向けられたものだった。
そんなのわかんねえよ。口で言ってくれよ。
ここ数日で何度目かのその言葉を頭の中で呟いて、そしてシオンは苦笑した。
「だ、そうだ。ザース、何か反論があれば後で聞く。その前に、ストラのことについて話したいんだが構わないか」
シオンの苦笑を、馬鹿にされたのだと捉えたザースはわなわなと体を震えさせた。
「よくもぬけぬけとっ…ストラはお前のせいで殺されたようなもんなんだぞ!? お前が庇ったアルニカが手引きして半獣にやらせたんだ!」
「アルニカ婆さんはストラの件に関わっていない。他でもないお前が閉じ込めて監視つけてたんだろ? いつ、どうやって手引きしたんだよ」
「そこにいるエルフがさっき牢屋に侵入して俺の部下を攻撃して婆を攫って行っただろうが! そいつらなら手引きなんかいくらでも出来る。それにこっちには証拠が…」
「証拠が?」
「あるさ…証拠…が? いや、間違いない。ストラは殺されたんだ!」
洗脳が不完全なのだろう。ザースの瞳には自身の記憶に対する困惑の色が浮かんでいた。だがこの困惑よりもシオンへの反感の方が強いらしく、軽く頭を振ったザースは自分の中の矛盾を無視することにしたようだ。
「それにそんな亜人を連れてるってことはお前も結局亜人側じゃねえか! リーダーに何を吹き込んだ? あの人は体が弱って気も弱くなってたんだろ。適当に聞こえの良いことを吹き込んで…」
「亜人側じゃない。俺は、サイカを守るためにここにいる」
ラグラスを亡くしたばかりのシオンにはザースの言葉は聞くに堪えなかった。シオンはザースにまっすぐ視線を向け、あえて言葉をかぶせる。
「サイカのためなら俺は人間だろうが亜人だろうが頭下げるし力も借りるさ。俺が守りたいのは、亜人のいない場所じゃなくて、ここに暮らす連中の暮らしなんだよ」




