134. エルフは約束を違えないから
何回目かのため息でセネシオがついに肩を震わせて忍び笑いを漏らした。
シオンはちらりと恨みがましい視線をセネシオに向け、そしてこの後のことを考えてもう一度ため息をついた。
セネシオはまだフードをかぶったままだ。どうも、アルニカを迎えに行ったときに変身魔法を解いてしまったので今は本来の姿に戻っているらしい。
また魔法で変身すればいいのにと言ったら、姿を変えるほどの魔法はそんなに気軽に使えないと返ってきた。
ちなみに本来の彼がどんな顔をしているのか、シオンはまだ見ていない。ずっとフードを深くかぶっているので口元しか見えないのだ。目が完全に隠れてしまっているが、フードの生地自体に魔法がかけられていてちゃんと見えているらしい。エルフだったら誰もが愛用している品で、魔法をかけてまで顔を隠すのはトラブル防止の意味があるそうだ。
一応普段はルルシアも使っているらしい。
見た目で苦労することに関してはシオン君も心当たりあるでしょ? と言われたものの、シオンはさすがにそこまで徹底して顔を隠すほど困ったことはない。確かにシオンの見た目がアナベルの好みだという理不尽な原因でザースに避けられているが、それは別に困るほどのことではない。
まあそこまで隠したいなら…と思ってフードの下を見たいとは言わなかったのだが、見えないとなると気になる。風でも吹いてずれないかとこっそり期待していたのに、ここに来る途中で風が吹いてもフードの布はピクリともしなかった。多少の動きや風ならずれないようになっているそうだ。なんなんだその徹底ぶりは。
「シオン君はそんなにお父さんと話すの嫌なの?」
「嫌だ…昔っから人の言うこと聞かないじじいだったけど、リザーのいうことだけは聞いてたんだよ。そのリザーがいなくなったらもう、こっちが何か提案しようにもすぐ怒鳴って聞かねえし…」
「でもほとんど寝たきりだって聞いたけど? それでも怒鳴るんだ」
セネシオの言葉にシオンは眉根を寄せる。
「……今はほとんど寝てる。目を開けてもぼんやりしてることが多いし。たまに調子がいい時はいつも怒ってるから関わりたくないんだよ」
「なるほど。弱っていくお父さんを見るのが嫌だから避けてると」
じろりと睨みつけてみるものの、完全に図星だった。
シオンは肩を落としてため息をついた。今日だけでここ半年分くらいのため息を吐いている気がする。
「……はっきり言ってくれるな…。まあ、それもある…んだろうな。俺は強い親父と頼りになるリザーの二人が作ったサイカが好きだったんだよ。もうそんなのとっくの昔になくなってるってのに、それ認めたら全部崩れてくような気がしてた。だから現実逃避してたんだよ」
「現実逃避か。サイカがまだ崩れてないのはシオン君が陰で支えたおかげが大きいと思うけどね。公民館だってシオン君が維持してるんだろ?」
そう、確かにシオンは孤児や寡婦、老人のために公民館を運営している。だが――シオンはゆるゆると首を振った。
「あれは、リザーがいた頃に作った仕組みなんだよ。俺の発案じゃない。立ち上げるときに意見を聞かれたから前世の記憶からいくつかアイデア出してはいるけど…今は他にやるやつがいないから俺が預かってるだけだ」
「公民館ってネーミング、シオン君だよね? ルルシアちゃんに聞いたら『地域住民が助け合うための場所』って言ってたけど」
大きく言えば間違ってはいないが、なんともルルシアらしいいい加減な説明だ。
「えらくざっくりした説明だな…住民が集会開いたり、教育活動したり、緊急時の避難所とか…まあ公共性の高い非営利の施設だよ。前の世界じゃどこの町にもあったんだ。この世界だってそういうの必要だろ」
「ふふ、シオン君は為政者向きだと思うよ」
「…前世の記憶を流用してるだけだ。チートっていうかなんつーか…自分の頭で考えたことじゃねえし、ずるしてるようなもんだ」
「持ってる知識は君のものだよ。それをうまく応用して使うのは君の能力だ。どこでいつ学んだかは関係ない」
セネシオは時々シオンに対して、いや、むしろ他の全ての人々に対して子供をいつくしむような口調になることがある。
彼の今までの言葉やエルフであることから考えると、随分と長く生きているのだろう。シオンも普通の同世代と比べれば前世の分長く生きているようなものだが、セネシオにはそれよりも長く深い時の流れを経たような雰囲気を感じることがある。
もしかしたら、実際に多くの為政者を見てきたのかもしれない。が――
「…なんか持ち上げられると怖い。ディレルもだけどお前もなんか裏にありそう」
「あはは、褒められ慣れてないねえ。――さて、そろそろご対面かな」
強く、そして今はその見る影もない、シオンの父親がこの扉の向こうにいる。
***
何か予感でもしたのか、父、ラグラスはベッドの上で体を起こして部屋に入ってきたシオンを一瞥した。
「ついに殺しに来たか。仲間引き連れて」
「…何言ってんだよ、んなわけないだろ」
口答えぐらいはしたことがあるが、手をあげたことすらない(返り討ちに合うのはわかっているので)というのになぜ突然殺すなどという話になるのか。
「俺は脳筋の親父と違って平和主義だから話し合いで解決しに来た。というわけでザースを罷免して親父も引責辞任してくれ」
ラグラスはベッドの上で背筋を伸ばして座っているが、こけた頬に影が落ち、顔に血の気はない。体調が悪い事は明らかだ。なのでシオンは結論だけ伝えることにした。どうせ長々話をしようにも途中で怒鳴り出したりするのだから、伝えたいことは最初に伝えておくに限る。
「ザースが暴走するならお前が引き止めれば良かったんじゃないか。今までことなかれと行動を起こさなかったお前に責任はないってのか?」
当然怒鳴り出すだろうな、と思ってやや身構えていたのに、ラグラスは予想外に落ち着いた様子で静かに問いかけてきた。それに肩透かしを食らった気分で一瞬呆けてしまったが、言われた内容を頭の中で反芻してムッとする。
「…俺は別にリーダーじゃない。何の力もない単なる一構成員だ。引き止めろっていうなら、あんたや、他にもやるべき奴がいくらでもいただろ」
「だが周りはお前を俺の代わりとして見ていた。それを知っていながらお前は静観することを選んだ。そうなれば他が追従するってことはお前自身分かってただろ。だったらお前も同罪だ」
そもそもそれがわかっていたのに放置してたのは親父だろう、と喉元まで出かかった言葉を呑み込む。腹立たしいが、ラグラスの言うこともまた真実だ。
シオンが初めからもっと積極的に声をあげていればここまでの事態にはならなかったはずだ。
シオンは前世との常識の違いや、前世の知識をこの世界で使うことに対する躊躇いを言い訳にして、ただただ裏方として支えることを選んだ。周りが自分に望んでいる役割が何なのかを知りながら。
「…ああわかってたよ。なんで俺にそんな責任押し付けるんだってずっと思ってたよ。サイカを作ったのは親父と幹部どもと、サイカに住む全員だ。なのに親父を担ぎ上げてサイカを背負わせて、親父もリザーも倒れてザースが壊し始めたら今度は俺に責任押し付けてきた。んなもんやってられっかって思ってた」
ラグラスは視線をシオンとは反対にある窓の外へ向け、ふんと鼻で笑った。
「それで? やってられねえのに、ザースも俺も引きずりおろしてどうする」
「周りの奴らが押し付けてくんなら、そんで他の誰も受け取んねえなら俺が受け取ってやるよ。リーダーも幹部も組織も知ったこっちゃねえが、せめて今サイカに住んでる子供が自分の意志で自由に生きる道を決められるようになるまではこの場所を維持する。それが今まで見て見ぬふりしてきた俺の――大人全員の責任だと思ってる」
「子供か」
「大人は自分で勝手に生きてもらうさ。てめえの面倒くらいてめえで見れるだろ」
「子供が成長してサイカに残ると言い出したらどうする。その先を考えてるのか」
「…考えてねえよ、まだ。それに、それは俺一人で決めるもんでもないと思ってる。――組織の他の連中とか町の連中が賛同して残ってくれるなら、話し合って考えていくべきだ。サイカを作るときは親父やリザーみたいに強引に引っ張るやつが必要だったんだろうけど、今はもうその段階じゃないんだよ」
窓に映ったラグラスはしばらく瞑目した後、顔をシオンに向けてぞんざいな手つきで壁際の机を指さした。
「そうか。ならそこの机の引き出しに入ってる封筒もってけ。後は勝手にしろ」
「へ? 勝手にしろってなんだよ! 俺は…」
また一方的に話を終わらせるつもりか。
そう思って喰ってかかろうとしたシオンの肩を叩く者がいた。
「シオン君、封筒ってこれでしょ」
「おま、普通に引き出し開けてんじゃねえよ! …っ」
セネシオがひらひらかざす封筒にはラグラスの字で『命令書』と書かれていた。
「命令…?」
「いいからそれ持ってさっさと出てけ。俺は疲れたから寝る」
「はぁ? なんなんだよくそ…」
しっしと手で追い払われ、シオンは舌打ちしつつドスドスと不機嫌そうに部屋を出て行く。苦笑しつつそれに続こうとしたセネシオの背にラグラスの声がかかった。
「……そっちのマントはちょっと待て」
おや、と足を止めセネシオは振り返る。
じっと見つめてくるラグラスの瞳は静かな湖のように凪いでいた。
――ああ、そうか。
その目をした者を、セネシオは今まで何度も見たことがある。
「お前エルフだろ。アルニカの仲間か」
「仲間っていえば仲間だね」
「エルフから見たらサイカは馬鹿なことをしてるように見えるんだろうな」
「まあ、そうだね。亜人排斥ってのはあんまり賢い選択じゃないと思う。けどそうせざるを得なかった事情だってあったんだろうなって思うし、外野がとやかく言うことでもないかな」
「まあ事情はあったが大した事情じゃねえ。ちょっと亜人に家族や恋人殺された奴らが集まっただけだ。その亜人にだって事情はあったんだろうさ」
だが皆、誰かを憎まなければ生きていけなかった。だから、憎しみで真っ黒になって殺し殺される前に、そういう者たちを集めて生きることだけ考えていける場所を作ろうと思ったのだ。
拠点を作って、魔物を退けて、土地を開墾し、がむしゃらに生きることだけを考えられる場所を。
迷い込んだ亜人の処遇はリザーに任せた。ラグラスにも他の者たちにもわからないように逃がしていたらしいが、ラグラスはあえて知らない振りをすることで他の者にも追及させないような空気を作った。
いずれ時間が憎しみを溶かしていく。そしてどんどん憎しみを知らない世代に変わっていく。そうしてサイカは役目を終えるはずだった。
「リザーがいなくなって、俺は道しるべと、ついでに自分の体の自由もなくして、全部どうでもよくなっちまった…まあ有体に言っちまえば疲れたんだな。それで放り出した。――それでもアルニカは一人で戦ってたんだよな。…感謝している。何の詫びにもならないが、せめてシオンをこき使ってやってくれ、とアルニカに伝えてくれるか。気が向いたらでいい」
ぽつぽつと、時折苦し気な呼吸を挟みながら告げたラグラスに、セネシオは大きく頷いた。恐らくもうあまり見えていない彼にもわかるように。
「承った。エルフは約束を違えないから安心していいよ」
「感謝する。……俺の息子は俺に似ず、賢いし気が優しい。こんなことを頼める義理じゃないのは分かっているが、どうか手助けしてやって欲しい」
「それも承った。シオン君はきっといいリーダーになるだろうね」
深くかぶったフードから覗く形良い口元が優しく笑みの形になった。
「そうか」
長く息を吐いて、ラグラスは横になった。
フードの男が部屋を出ていくのを感じながら、静かに目を閉じる。
「リザー、やっとお前の小言が聞けるなあ」
その呟きはもう声にはならなかった。




