13. エルフの常識
こんなものかな、とディレルは道具を置いて仕上がりを確かめる。
そして凝り固まった肩をほぐすために首を巡らせて――作業机の端に突っ伏して眠っている少女の姿を見つけて、ビクッとした。
(そうだった、そういえばルルシアがいたんだった)
作業に没頭すると、周りが一切見えなくなるのが自分の悪い癖だというのはディレル自身自覚している。
そんなだからすぐフラれる……という母の言葉は非常に、本当に余計なお世話だとは思うものの、実際この癖のせいで女性にうけが悪いのも事実だった。
ディレルはそれなりにモテる。
ただし、それは彼自身の魅力が……ということではなく、父親が国内のクラフトギルドをまとめるギルド長で、さらに彼自身もそれなりに認められた魔術具製作者だから、という意味でだ。
ついでに言えば、極端に見た目が悪いわけでも、素行が悪いわけでもない。……要は、伴侶としての有望株に分類されるのだ。
だが、そういったスペックが高くとも、彼自身の評判は前述の癖のせいであまりよろしくない。
別に相手を無視しているつもりはないのだが、一度集中すると話を聞いていないし、周りを見ないので薄情だと言われる。更に言うと、ふらっと冒険者ギルドの討伐についていったりするので、上品な方々からは眉を顰められたりもする。
そんなディレルは、例によってすぐに自分の作業に没頭してしまい、そばにルルシアがいること自体忘れていた。
そろそろ自分の部屋に戻り、休みたいのだが、眠っているルルシアをここに放っておくわけにはいかない。
工房の中で休めるようにソファは置いてあるが、客人を、しかも女性をそんなところに一人寝かせるのは論外だ。かと言って、ディレルがここで一緒に夜を明かすのも、色々まずい。
仕方がない、起こそう。――と、声をかけようしたディレルは、少女の頬に涙の痕があることに気づいて動きを止めた。
どうも彼女は、ここで泣いていたらしい。
(え? なんで? 俺なんかやったっけ? それとも構わな過ぎた?……ああ、いや)
ライノールによれば、彼女の父親も魔術具を作っていたというので、ディレルの作業を見ていて何か思い出したのかもしれない。
だが、どうにもディレルはそういった感情の機微には疎いので、もしかしたら何か無神経なことを言ったりやったりしたのかもしれない。そういえば昼間も泣かせそうになったな、と思い出す。
――魔術具に刻まれた、持ち主へ向けた祈りの言葉。
多分これは本人に知らせた方がいいと思って、不用意に伝えて、そしてうつむいた彼女を見て後悔した。
泣かせてしまった、と。
でもそんなディレルの予想に反して、顔を上げた彼女は泣いていなかった。
うるんだ瞳で微笑む彼女があまりにも美しくて、思わず息をのんだ。
そしてその次の瞬間、彼女から両親を奪うきっかけを作ったのが自分の父だということに思い至り、頭の芯が冷えた。
多分それは彼女自身が言った通り、ディレルの父が悪いわけではない。
ましてその件に無関係のディレルが申し訳なく思ったところで、どうにもならない問題だ。
それはわかっているが……彼女に見惚れるような資格が自分にあるのか、という問いかけが今も頭の中に残っている。
「……ルルシア、もう戻るから起きて」
声をかける。が、ピクリとも反応しない。
「ルルシア!」
無反応。寝ている女性に勝手に触れるのは躊躇われるが、仕方ない、肩をゆすって起こそうとする。
……だが。
「起きねぇ……まじかよ」
仮にも若い男と密室で二人きりだというのに、ここまで熟睡するというのは警戒心がなさすぎる。
もう一度声をかけてゆするが不機嫌そうなうめき声を上げただけで起きる気配がない。とはいえ放置することもできない。
仕方なしに、ディレルは少女の体を横抱きにして運ぶことにする。
「ううー……」
うめいたルルシアが腕の中でうぞうぞと動いた。
やっと起きるたかと思ったのに、彼女はディレルの胸に身を寄せて服を掴み、改めてすぅすぅと寝息を立て始めた。
なんだこの生き物。かわいい。やばい。
……早く客室に放り込んでこよう。
そして明日、保護者に文句を言おう。
そう誓って、ディレルはルルシアの寝顔から目をそらし、工房を後にした。
***
「お、戻ってきたな」
「……ライノールさん……」
客室の前までやってくると、ルルシアに割り当てられた部屋の、隣の部屋のドアが開いてライノールが顔を出した。
ルルシアが戻ってきていないことに気付いていたなら迎えに来て欲しかった。と、思わず口から文句が飛び出しそうになったものの、ひとまずこらえ、ディレルはルルシアの部屋のドアを視線で示した。
「丁度いいのでドア開けてもらえますか」
「いきなり遠慮がなくなったな……まあ良いが」
小さく笑いながらライノールはドアを開け、ついでにベッドの布団をよけて少女を寝かせるスペースを作ってくれる。
ありがたくその場所に少女を下ろし、離れる……つもりだったのだが、ルルシアはディレルの服をしっかり掴んだまま離さなかった。
「これ、どうにかしてください」
「懐かれたなー。そうやって寝ると起きないんだよ、そいつ」
ライノールはおもむろに手を振り上げると、服を掴んだままのルルシアの腕を、躊躇いなくバチッと叩いた。
「!……乱暴な……」
ルルシアは不満げにうめいて、服を掴んでいた手を離すと、もぞもぞ布団に潜っていった。
「可愛いだろ、うちの小動物」
「いやいやいや、叩くのはやりすぎでしょう!?」
「こいつ、基本的に常時身体強化魔法で微妙に防御上げてるから、ちょっとやそっと叩いたところで影響ないんだよ」
「常時?……って、普通なんですか?」
「まさか。こいつはちょっと変なんだよ。まあエルフの常識からは外れた生き物だと思ってれば、だいたい問題ない」
問題ないわけ無いでしょうが……とディレルは顔を顰める。
「エルフの常識はわかんないですけど、とりあえず夜中に男と二人きりの場所で熟睡するのはやめるように言っといてください」
「あー、流石に普段そういうことはしないと思うが。今日は多分、人恋しかったんだろ。……ほらお前が泣かせたから」
う……と詰まる。昼間のあれは厳密に言えば泣かせてはいない、が、厳密に言わなければ、泣かせたも同然だ。
「あれは……すみません、配慮が足りてませんでした」
「別にお前が悪いわけじゃないし、責めてるわけでもないさ。まあとにかく、それで寂しがって俺んとこきてしばらく管巻いてたんだけどさ。追い出されたからそっちに行って、そして力尽きた、と」
「寂しがってるってわかってて、何で追い出したんですか?」
「本読むのの邪魔だったから」
「……貸さなきゃよかった」
ルルシアがライノールを指して、年の割に大人気ないといったのがよく理解できる。半眼で睨むディレルに、美貌のエルフは涼しい顔で続けた。
「お前が今思ってるよりは、普段のルルはしっかりしてるよ。今日はそういう日だったってだけで」
「それなら良いですけど……」
つぶやいたディレルをちらっと見て、ライノールは「少し昔話をしてやろう」とベッドの端に腰掛けた。
「こいつの親……俺の魔法の師匠だったんだけどさ、七年前に二人が死んだ後、ルルはしばらく毎日メソメソ泣いてたんだ。ガキがそんな風に泣いてたらさ、普通理由は『もう親に会えないのが悲しい』だと思うだろ? でも、こいつの場合は『おとうさんとおかあさんが瘴気なんかにやられるわけない』だったんだよ。尊敬してた両親が、為す術もなく殺されたっていうことが相当悔しかったみたいでさ」
ルルシアの住むオーリスの森には、エルフたちが皆、瘴気のせいでまともに動けないまま殺されたという連絡が行っていた。
実際は冒険者ギルドが到着した時点で、魔獣はすでに重傷を負っており、エルフたちによる交戦があったことは明白だったのだが、その情報はうまく伝わっていなかったのだ。
「で、何日か経ったある日、こいつは俺のところに来て『魔物退治したいから戦い方教えろ』って言いだした。自分が瘴気に負けず戦えるってことを証明することで、両親だってちゃんと負けずに戦えてたんだ、って自分を納得させたかったんだと思う」
ルルシアは頭まですっぽりと布団に潜り込んでいたのだが、どうやら苦しかったらしく、のそのそと顔を出した。潜っていたせいでやや頬が上気しているが、あいかわらずすやすやとよく寝ている。
その乱れた髪を、ライノールが手で梳いて整えた。
「で、そこに今日の話だ。お前の親父さんの話を聞く限り、あの人達はちゃんと戦って人を守ってた。だから、それを聞けたのは、ルルにとっては何よりの救いだったはずだよ」
「そういうものでしょうか……」
「こいつの場合はな。……で、そういうのと、単純に親を思い出して寂しい、ってのはまったく別問題だろ? 今のこいつは寂しがってるだけだから、お前や親父さんが負い目を感じる必要なんてないんだよ」
人を守る選択をした結果が死だったとしても、その両親の選択を誇りに思う、とルルシアは言っていた。
彼女にとって、両親は誇り高い選択をしたのだ。それなのにディレルたちがいつまでも負い目を感じる、というのは彼女の望むことではないのだろう。
「それでも、もしなんかしてやりたいって思うなら、明日市場で揚げ物でも食べさせてやってくれればいいさ」
負い目は別としても、彼女に対してなにかしてやれることがあるなら、してやりたいとは思う。ただ……。
「あれ……エルフって揚げ物とか食べないんじゃ……」
「だからエルフの常識からは外れた生き物なんだって。脂っこいものとか香辛料の効いたものめちゃくちゃ好きなんだよ、こいつ」
「そういう食べ物って、エルフの体的に食べられないんじゃなくて嗜好の問題なんですか?」
「無理すれば食べられないわけじゃないが、体調は崩す。普通は食べないし匂いだけでもきつい。でもルルはなぜかどうしても食べたいみたいで……だから常時身体強化魔法使ってるんだよ」
「は!? そのために?」
思わず大きな声になったディレルは、慌てて口を押さえた。
常時魔法を使う、というのがどの程度の負担になるのかはわからないが、食べ物のために使っているなど、突拍子もない話である。
「謎の情熱だろ? ほら、討伐のときもスパイスの入った紅茶の匂いにつられてお前らのとこ行ったんだよ」
「……あ! あれか……何だったんだろうとは思ってたけど……」
さすがエルフの常識から外れた生き物。
自分が寝ている横で、そんな風に言われているとも知らず、ルルシアは結局朝まで起きることなく眠ったのだった。