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123. マイナス五千点

「アルニカ婆さんが処刑されそうなんだ」


 その日の夕方、ルルシアが取り決め通りの回数と間隔のノックに応えて小屋の扉を開けるなり、扉の向こうに立っていたシオンがルルシアの腕をつかみ、思い詰めた表情でそう言った。


「えっと…それ新しく流行らせたい挨拶の言葉とかじゃないですよね?」

「んな訳あるか!」


 ルルシアの余計な一言で腕をつかむシオンの手にぐっと力が入ったが、それは一瞬で解放される。腕をつかんでいたシオンの手がディレルによってひねり上げられたからだ。


「そこで話すと外から見えるからとりあえず入って」

「…ハイ」


 ディレルがにこりと微笑みながら室内を示すと、シオンはひねられた手首をさすりつつ大人しく頷いた。


「やあシオン君! 元気にしてたかなって聞こうと思ったけど元気そうではないね」

「あんたら帰ってきてたんだな…ちょうどよかった、のかはわからんが、頼みがあるんだ」


 居間の椅子にぐでりと腰をかけて明るく手を振るセネシオの姿に、シオンはホッとしたようにわずかに表情を緩めた…が、すぐに手首をさすって複雑そうな顔をした。

 セネシオはそんなぱっとしない表情のシオンに「うんうん、つまり…」と鷹揚に頷いてみせる。


「アルニカちゃんが処刑される前にまた攫って欲しいってことでしょ?」

「…その通りだ。こちらも手を尽くしてはいるんだが、このままだと旗色が悪い。処刑を止められないかもしれない」


 悔しげにそうつぶやいたシオンの眉間には深いしわが刻まれていて、かなり状況が悪いことが見て取れた。


「少なくとも昨日まではそんな話は出てもいなかったんですよね? どうしてここに来て急にそんな状況になったんですか?」


 ディレルが尋ねると、シオンは喉の奥でうめいた。

 確かに昨日まではシオンの意見が尊重され、なおかつこちらが流した噂の効果もあってアルニカを解放するべきだという声が組織内でも密かにあがっていたくらいだというのに、急に処刑というのはいくら何でも通らないだろう。

 だが、シオンが『止められないかもしれない』と言ったからには、昨日から今日にかけての間に何か事態が大きく動いたのだ。


「…ディレルとセネシオは昨日の、ストラの話はもう聞いてるのか?」


 ディレルが頷くのを確認して、シオンは大きくため息をついた。


「…そのストラが、姿を消した。奴が住んでた家の床や壁には血痕と獣のような爪痕が残ってたらしい…で、血を浴びた半獣の姿を見たってやつらが複数いる」


 そのシオンの言葉が終わらないうちに、廊下の方からカタンと音が聞こえた。

 すぐにアドニスが廊下に続く扉を開くと、そこには真っ青な顔のエリカが立っていた。


「エリカ、よかった…目覚めたとは聞いてたが様子を見に来れなかったから…どうした? そんな顔して」


 エリカの無事な姿に、シオンはぱっと喜色を浮かべ立ち上がったがすぐに表情を曇らせた。彼がエリカの方へ歩み寄ると、反対にエリカは後ずさりした。


「わ…私が逃げたから、あの半獣の女がストラって人と争ったっていうことでしょ? …私のせいでストラって人が殺された…?」

「違う、違うって…エリカは何も悪くないだろ?」

「私は子供だけど! 自分が軽はずみな行動したことはわかってるよ! 悪くないなんて嘘つかないで!」

「エリカは巻き込まれただけだ。これは俺たち組織で解決すべき問題なんだ。お前は何も気にしなくていい」

「………」


 エリカは何か叫び返そうとして、言葉を発せないまま口を閉じた。

 そして、その紫色の瞳から大粒の涙がほろほろとこぼれ落ちていく。


「…ごめんなさい」


 絞り出すように一言だけつぶやき、エリカは身を翻して寝台のある部屋へ戻っていった。




 残されて呆然としていたシオンはハッと我に返るとエリカを追いかけようとした、が、アドニスに腕を掴まれて止められる。


「少し落ち着いた方がいい、お互いに」

「いや、でも」


 それでも追おうとするシオンの前に、ルルシアは腰に手を当てて立ちはだかり、じっと睨みつけた。


「シオン様、今のはダメです。マイナス五千点」

「…は!? いや、わかんねぇ…今のマイナスポイントどこなんだよ…気にするなって言ったのに何であんなに泣く?」

「全然わかってないところがさらにマイナス三千点です」

「わかってないところが…って、女ってすぐそれ言うよな! 『私が何で怒ってるかわかってないのがむかつく』って…言わなきゃわかんないんだよ。わかって欲しいなら言語化してくれよ!」


 今世なのか前世なのかはわからないが、誰かに言われた言葉を思い出してしまったらしいシオンは一気にまくし立てた。


「なんだか実感こもってますね…過去に同じことを言われたであろうマイナス八千点のシオン様がかわいそうなので教えてあげます。――シオン様は今、エリカさんに対して話をはぐらかそうとしましたよね? でも、エリカさんはサイカやシオン様の役に立ちたいって今までずっと頑張ってたんですよ。それなのにシオン様から『お前には関係ないから手を出すな』みたいに言われて傷ついたんです」

「いや、関係ないとかいう意味じゃ…」

「そういう意味じゃなくてもそう聞こえちゃうんです。エリカさんは今、自分が間違ったことをした、そのせいで事態が悪化したと思って自信をなくしてるんです。そこに『気にしなくていい』なんて言われたら拒絶されたように感じますよ。あと、自分は失望されて見放されたんじゃないかって」

「拒絶も失望も…エリカはまだ子供だし、危ないことに関わって欲しくないだけなんだよ。俺にとっては妹同然の感覚だから」

「………」


 幼いし妹みたいだから巻き込みたくない。――というのは確かに親愛の情を感じる言葉だが…今ここにエリカがいなくてよかった、とルルシアは天を仰ぐ。

 恋する女性の前で『妹みたい』は言ったら絶対ダメなやつ…だと思うが、今のシオンは普通に善意で本人に直接言いかねない。止めたい…が、ルルシアがここで余計なことを言って、結果として恋心を暴露してしまったりしたら悲惨なんてレベルではない。

 どうしようかな…と思っているところで、セネシオがシオンをつついた。


「シオン君、年上のお兄さんからのアドバイスだけど、兄弟じゃない女の子に『妹みたい』って言うのは概ねNGだから気をつけようね」

「え?」

「あなたには女性として魅力を感じてませんって言ってるようなもんでしょ、それ」

「え、あー…そういうもん? か?」


 さすが女好き、伊達に長生きしてない! と、いう賞賛なのか罵倒なのかわからない言葉を思い浮かべながら、ルルシアは「その通りですね」と頷いた。


 さて、エリカのことも心配ではあるのだが…と、ルルシアはチラリとエリカの去って行った方を見てからシオンに視線を戻した。


「エリカさんには少し落ち着く時間をあげてください。…ひとまず、先にアルニカさんの処刑に関する状況を整理しましょう。救出を急いだ方がいいかもしれませんし…――シオン様はその後エリカさんにどこまで話すかを決めて、ちゃんと話し合ってください。…でも、十三歳は子供っていっても幼いわけじゃないですし、変に隠すよりもきちんと話してわかってもらう方がいいとわたしは思いますけどね」

「…わかった」

「というわけで頭使う係はディルお願いね」

「お前…」


 自分で頭を使うのは完全に放棄してディレルに振ったルルシアにシオンはあきれたような声を出し、振られた本人であるディレルは困ったように笑った。


「ええとじゃあ…まず、ストラの遺体は見つかってないんですよね? あと半獣の女も」

「ああ、探してるみたいだがどっちも見つかってない。血痕だけで腕とか足も落ちてなかった。このあと壁の外側も近隣まで探すらしいが、今のところは収穫ゼロだ」

「そうですか。じゃあ最初の話に戻りますけど、そこからなんで処刑なんて話に? ストラの家が血まみれだったってだけでしょう?」

「そうなんだが…でも、遺体は見つかってないにも関わらず、ザースとアナベルの二人がストラは殺されたんだと主張してる。何かあれば拠点に避難してくるはずなのに、今いないというのがその証明だそうだ。犯人は目撃された半獣で、そいつが壁の内側に入れるよう手引きしたのはアルニカ婆さんだ――っていうのがあいつらの言い分」


 もしも内部犯で、拠点の中にストラの敵がいるなら逃げ込んでくるはずがないのだが、その可能性は考えていないのだろうか…とルルシアは首をかしげる。

 それに、拠点内にとらわれているアルニカが亜人侵入の手引きをしようとするならば、その橋渡しをした人物が拠点の中にいると考えるのが自然ではないだろうか。ルルシアだったら怖くて拠点には戻らないが。

 ディレルも同じことを考えたのだろう。ややあきれたような顔をしている。


「ずいぶん杜撰な主張ですが…仮にアルニカさんが手引きしたとして、わざわざ下っ端のストラさんを殺害する理由があるんでしょうか。彼は組織内で何か特殊な役割を担ってたんですか?」

「あー…ザースの恋人の浮気相手っていう特殊性はあるけど、それを抜きにすれば組織内での役目は本当に普通の会計担当だな。会計担当は他にも数人いるし。…その中でストラが標的に選ばれたのは拠点の外に住んでるから狙いやすいっていうのと、ストラは亜人のせいで村を追われたことで特に亜人を憎んでたから、見せしめじゃないかって言われてた」

「見せしめねぇ。…血痕は致死量を超えるくらいに派手に残ってたんですか」

「あちこちに飛び散ってたけど、総量としたら大分多いんじゃないかって話だ。俺は実際には見てなくって、他の奴から聞いた話だけど」


 そこまで聞いて、ディレルは小さく肩をすくめた。


「それならほぼ間違いなくその家の惨状はパフォーマンスでしょうね。派手に演出して、死んだように見せかけて裏で動くための」

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