120. 何を隠そうあたしが
酒の入ったおじさんたちを誘い出すなら少し色っぽい歌がいいだろう。
色気のある歌はあまりレパートリーがないのだが、その中からルルシアもシオンも知っている曲をなんとかひねり出して何曲か用意し、歌い始めて三曲目の途中で仮面をつけた男が姿を現した。チラリとシオンの方に目を向けると微かに頷きが返ってきた。あの男がストラで間違いないらしい。
なんとか思惑通り進んだようでルルシアは心の中でほっと安堵の息を吐く。
――が、歌い終わった途端、ストラはきびすを返して帰る素振りを見せた。
(さすがにまだ戻られたら困るのよ)
「あの、そちらのマスクをされている方」
ルルシアが投げかけた言葉で、周りの観客たちの視線がバッとストラに集まった。
彼は声をかけられるなどとは思っていなかったのだろう。ルルシアの声よりも周囲の視線が集まったことにビクッと肩を震わせ、そろそろと振り返った。
「…え?」
「急にお声かけしてしまって申し訳ありません。すぐにお帰りのようでしたので…歌がお気に召しませんでしたか?」
そりゃあ急に声をかけられたらびっくりするよねーと思いながら、なるべく周囲の同情を引けるような申し訳無さそうで悲しそうな声を出す。狙い通り周囲の視線がややストラに対し非難を含んだものに変わった。
「あ、いえ、そういうことではなくて…」
「あれ、ストラじゃねえか。帰るっつってたのに歌に誘われて出て来ちまったのか」
「ああ、はい…家にいたら賑やかな声が聞こえたのでなんだろうと思って見に来ただけなんです」
どうやら知人がここにいたらしく、ストラに話しかけながら肩を組んだ。
(酔っぱらいのおじさん、ナイスアシスト…!)
「そうでしたか…お騒がせしてしまって申し訳ありません。あの、お詫びにはならないかもしれませんが、お好みの曲があれば歌わせていただきますけれど、いかがですか? わたしはここの歌はあまり知らないので、曲名でなくて明るい歌とか、静かな歌とかの雰囲気でのリクエストになってしまいますが」
引き留め策はシオンとなんとなく打ち合わせていたのだが、いかにも『今思いつきました!』という顔で提案する。対するストラは顔を隠しているので表情はわからないが、ためらっている雰囲気を醸し出していた。だが――。
またもやナイスアシストをしてくれたのは周囲の酔っ払いたちだった。
「色っぽい歌うたってくれ!」
「明るくって楽しいのがいいな」
「仮面の奴が断るなら俺のリクエスト聞いてくれよー」
周囲の人々が『断るなんてもったいない』という空気でストラを包む。肩を組んだ男も脇腹をつついて何事か話しているのでやはりリクエストするように促してくれているのだろう。
きっと彼は今注目を浴びたくないはずだ。だから『断るほうが目立つ』と考えるはず。
「ええと…では、静かで落ち着いた歌をお願いします」
「はい!」
実際にストラがどう考えたかはわからないが、ルルシアの希望する通りに進んだ。
嬉しさと安堵から声を弾ませる。それに落ち着いた歌はレパートリーが多いので助かる。シオンを振り返って曲名を告げるとすぐに頷きが返ってきて、その指先からはすぐに懐かしい音色が流れ出した。
***
続けて一曲だけ他のリクエストを受けて歌ったあと『また日を改めて歌う』と告げ、その場の人々に捕まる前に広場から撤退した。最後の曲を歌い始める前にストラは姿を消していたが、その前にエンレイが戻ってきて人垣の後ろでオッケーサインを出したのを確認していたので引き止めなかった。
「エルフは色々薬草や毒草を使うって聞いたことがあるが、参考までにルルシアはこの葉っぱを見たことあるか? エンレイによればこのあたりでは見かけない植物らしい」
洋品店に戻ったルルシアの顔を見るなり唐辛子パウダーの粒子の細かさに対する苦情を並べ立てたあと、アドニスは一枚の葉をルルシアの目の前に差し出した。
ルルシアはそれをじっと見つめて、そしてゆっくりとかぶりを振った。
「…わたしに聞くのが間違ってます。人選ミスです」
「なんとなく分かってはいたが一応聞いた」
「そういうのはライなら詳しいんですけどね。本の虫だし。…あ、ちなみに唐辛子を粉末にしたのもライですよ。わたしはそんなに執念深く粉砕しません」
「そのライってのは唐辛子に恨みでもあるのか」
「魔…術でやるとぶつ切りより粉砕のほうがやりやすいんですよ」
そう言いながらルルシアはエンレイのベッド――エンレイは現在この家では暮らしていないのでシーツも毛布も綺麗だと聞いていないのに主張していた――に寝かされたエリカの横にしゃがみ、その顔を覗き込む。
呼吸に異常はないのだが、呼びかけても目を覚まさない。盗聴中に『殴ったら静かになった』というセリフがあったが、殴られた部位が頭だったりするとあまり揺すったりするのは良くないかもしれない。
「エリカさんは一度も目を覚ましてないんですか?」
「ああ。…ストラっていう奴は『薬を焚いた』って言ってて、部屋の中でこれが燃やされてたってことはこれが気を失わせるような効果を持つのは間違いないと思う」
「さすがに扉をふっとばしたり運ばれたりしても目覚めないっていうのは普通じゃないですもんね。眠り薬みたいな単純なものならいいですけど…殴ったとも言ってたのでお医者さんに診てもらった方いいんじゃないでしょうか。…ところでサイカのお医者さんって、壁の中の人しか診ないとか言ったりします?」
顔を上げてシオンとエンレイの顔を見ると、エイレンが自分を指さした。
「それは大丈夫。何を隠そうあたしがお医者さんだもの」
「…ファッション関係の方ではなく」
「家業は服屋だけどね。あたしはもうちょっとサイカの役に立ちたかったのよ」
ふふん、とエンレイは胸を反らしたあと「本当に役に立ってるか微妙だけどね」と小さく付け加えた。そして横たわるエリカに目を向ける。
「…ま、それよりエリカちゃんのことね。シオンちゃんたちが帰ってくる前に診たんだけど…多分ね、殴られてはいないのよ」
「え」
「少なくとも、気を失うほど殴ったって言うならそれなりに痕が残るわ。でもそれらしき痣も赤みも残ってない。手刀一発で気絶させたっていうなら痣は残らないかもだけど、それならそんなに長時間気を失ってるわけないし…。まあそのままエリカちゃんが寝ちゃったって言うなら可能性はなくもないんだけど…普通そんなすやすや眠らないでしょ? 少なくともストラが帰ってきて部屋をのぞいて、その後部屋に入ってきて葉っぱ燃やしてるのよ? さすがに起きるでしょ」
確かに、眠っていてもすぐそばで人がごそごそしていたら起きるだろう。まして、エリカは剣術や戦い方を学んでいたのだからそこまで気配に鈍感とは思えない。
「ええとそれはつまり…?」
「ストラの家にいた女は、ストラに嘘をついたのよ。ストラが帰ってきた時点でエリカちゃんは別の薬か何かで眠らされていたか…もしくは、気絶したふりをしていた」
「…気絶したふり?」
「ええ。今エリカちゃんが起きないのは、別の薬で眠っていた、もしくは、気絶したふりをしていた…ところに薬を焚かれて本当に意識を失ったってとこね。女の目的はわかんないけど」
エンレイの言葉にシオンが眉をひそめる。気絶したふりをしてやり過ごそうとした…のかもしれないが、それならなぜ女が『殴った』などという嘘をついたのかがわからない。
ただわかるのは、エリカが気絶したふりをしていたにしても、別の薬で眠らされたにしても、女がストラに嘘をついたことに変わりはないと言う点だ。
「うーん…ストラさんとその女の人は別の目的で動いてるってことですね」
「とりあえずエリカちゃんが目覚めたらその女が何をしたのかがわかると思うし、エリカちゃん待ちね。呼吸は乱れてないからしばらくすれば目覚めると思うわ…ただ、相手の目的がわからない以上、しばらく安全なところに匿った方がいいんじゃないかしら」
「そうだな…といっても今のサイカで安全なところっていうのは…」
シオンの言う安全なところ、というのはザースの手が及ばず、魔物の心配もなく、ストラも、謎の女も手を出せない場所だ。正直そんな場所はほぼない。唯一あるとすれば――。
「こちらの拠点にしてる小屋で預かりましょうか。一応魔術の結界張ってあって音と気配遮断してますし」
「多分それが一番安心ね。さっき見たけどアドニスさん強いし。…シオンちゃんどうする?」
ルルシアの申し出に、エンレイはすぐに賛同を示した。おそらくルルシアが言う前からそれが最善だと考えていたのだろう。シオンはしばらく考え込んでいる様子だったがやはりいい考えは浮かばなかったらしく、深いため息をついた。
「…わかった。あんたらに頼ってばかりで申し訳ないが、今は安全を優先したい。公民館にはエリカが怪我したから一時的に拠点で面倒見るって言っておくから、しばらく――安全が確保できたと判断できるまでエリカの身柄を預かって欲しい」
「わかりました……って、勝手に決めて大丈夫でしたかね、アドニスさん」
シオンの言葉にすぐさま頷きかけたルルシアは、途中でピタリと止まってアドニスを勢いよく振り返った。急に振り返られ、意見を求められたアドニスは眉をひそめた。
「決定権のない俺に聞かれても困るが…。だが放っておく訳にもいかないし、子供の安全に関わるというのならあの二人も反対はしないだろう」
アドニスの返事にルルシアは我が意を得たりとにっこり頷いた。
「はい、アドニスさんの言質を取りました。のでお預かりしますね!」
「……お前……」
怒られるときはアドニスさんも一緒ですから! と笑うと、アドニスはため息とともにルルシアの頭を軽く小突いた。




