117. 小物ハウス
「そんな見ちゃいけないようなもの、そのへんの道端で目撃しないですよね、普通に考えて。エリカさんがわざわざ拠点の方に忍び込んだとか、怪しい取引をしてそうな裏路地に入り込んだとかじゃないと…」
「そうねぇ…なにか怪しいものを見かけて気になって追いかけた、とかかしら」
「…ありうる」エリカは気が強いし、剣を習っているので不審なものを見かけたら追いかけてしまうかもしれない。
「そうなると、連れ去られた場所は限定できないですね…追いかけてとんでもないところに入り込んじゃう…それどころか、穴に転落して出られないとかいう可能性も出てきちゃいます」
「ひとまず連れ去りの目撃者を探すしかないんじゃないか。ついでに転落しそうな場所なんかも聞いて」
調べる範囲が増えた…と頭を抱えていたルルシアはアドニスの言葉に振り返り、彼の顔を見上げる。
「それが堅実ではあるんですけど、聞いて回ってる時に犯人側にうっかりコンタクトしちゃうのは避けたいんですよね…始めはある程度ターゲットを絞ったほうが…ところで、その取り巻きの男は組織の拠点内に住んでるんですか?」
「いえ、たしか拠点の近くの古い家を買い取って住んでるわ。自分は醜いから周りに気を使わせてしまうって言って拠点内に住むのを辞退したの」
拠点近くの家、ということはこの洋品店からもそれほど遠くない。人を連れ去るということは当然人一人を運ぶということだ。距離は短いほうが目撃される危険度も下がる。
(まあそれを言ったらこの辺にポコポコある空き家すべてが怪しいか…)
「…買い取って住んでるってことは、昔からいたわけじゃないんですね」
「たしか、リザー様が亡くなった少し後ね。シェパーズの端にある村に住んでたけど、亜人に家を焼かれたんだって。ひどい火傷を負ったせいで周りの人から気味悪がられちゃって、村に居場所がないから出てきたって言ってたわ」
怪しい。一度疑い始めるともう完全に犯人としか思えなくなってしまう。
もうルルシアの頭の中で、その取り巻きの男は耳が長くて顔に『エリカを攫ったグロッサのエルフ』と書かれた姿をしている。思い込みは良くない…と自分に言い聞かせていると、アドニスがルルシアの顔を覗き込んだ。
「…見に行くつもりか?」
「いえ、本当は今すぐ行きたいところですけど…他にも仲間がいるかもしれないし、無関係かもしれないし、真犯人に察知されて逆にエリカさんを危険に晒すことになるかもなのでやめておきます」
眉をひそめたままルルシアが返事すると、アドニスはホッとした顔で頷いた。
「そうだな。行くって言ったらどう止めようかと思ってた。…何にせよもう少し情報がほしいが、あまり悠長には構えてもいられないのが辛いところだな」
「んんん…そうだ、シオン様に預けてある通信機を回収しましょう」
「通信機? それで何をするんだ」
「盗聴します。向こうの音を拾えるように繋ぎっぱなしにしてその家の側に放置」
腰のポーチから通信機の片割れを取り出し掲げてみせる。
アドニスは「ああ…」と納得したようだが、エンレイは首を傾げた。
「通信機って魔術具でしょ? 繋ぎっぱなしって…さすがに魔力の無駄遣いよ」
「大丈夫です。一日二日通信機つなぐぐらいの魔力消費なら死にはしません。それに、さすがに日が変わる頃まで全く動きがなければ別の方法を考えないと。エリカさんがどういう状況かわからないので」
「一日二日って…ああ、そういえばあなた魔術師だったんだっけ」
シオンに『魔術の知識がある』という話をした事があるのでそういうふうに伝わったのだろう。間違いだが、そのほうがルルシアにとっては都合がいいのであえてそのまま否定はせず、シオンを呼び出すために通信機を起動させた。
***
ルルシアの話を聞いたシオンはすぐに洋品店へとやってきた。仕事をすべて投げ出して文字通り飛んできたらしく、倉庫に入ってきたときには息を切らして汗をにじませていた。
「エリカを探すなら俺も手伝う」
「はい。じゃあとりあえず通信機をください」
息せき切って勢いよく言ったシオンに、ルルシアは軽く頷いて片手を差し出す。そのあまりのテンションの違いにシオンは戸惑いつつ通信機をルルシアの手の上に置いた。
「…なんかものすごく冷静だな」
「焦って解決するなら焦りますよ。でも焦りと思い込みは危険を増大させるだけです」
「…くそ、正論言いやがって。ルルシアのくせに生意気だ」
「はいはい。スネちゃまはエンレイさんと一緒にこの周辺で転落しそうな危険箇所と空き家を把握してる限り地図上にマークしていってください」
「誰がスネちゃまだ。で、その通信機はどうするんだ?」
出鼻をくじかれたシオンはそれで頭が冷えたらしく、ため息とともに肩を落とした。
ルルシアはフードの奥でニッと笑って両手に一つずつ通信機を持ち、掲げてみせる。
「盗聴器として使います。こっち側は音拾うだけで、こっち側は聞くだけモードで起動してターゲットのおうちの音を聞きます」
「…この通信機、そんなことできるのか。普通そこまで器用なことできないよな?」
「これはできるように魔術具職人さんに紋様をいじってもらってあるんです」
「…もしかしてこれめちゃくちゃ高価なのか」
「んー、秘密です。説明するのが面倒なので」
「お前…まあいい。そのターゲットってのは誰なんだ」
シオンへの通信で伝えたのはエリカが行方不明になったこと、壁の内側で攫われた可能性があること、捜索のために通信機を返却して欲しいことの三点で、万が一他の誰かに聞かれては困るので犯人像については触れていない。
改めてエンレイの説明を聞いたシオンは腕を組んで顔をしかめた。
「マスクの…って、ストラとかいうやつか」
「どんな人か、マスク以外でなんか印象に残ってます?」
「あいつなー…変に卑屈だけどそのくせ他人を見下してる感じがしてあんまり信用できない雰囲気の男だったな。ザースの周りはそんなやつばっかだが、特に鼻持ちならない感じ」
「あ、それ分かるわぁ。こっちの前じゃ下手に出てるけど、裏で馬鹿にしてそうなタイプ」
あまり接点はないと言いつつ、それでもそんな印象を二人共持っているらしい。
ルルシアの後ろでアドニスが面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。
「それが相手に伝わってる時点で小物だな」
「アドニスさん厳しいですね」
「ディレルくらい完璧に隠せないと悪巧みに向かないだろ」
「…ディルを悪いことしてる人みたいに言わないでください。言いつけますよ。――よし、起動完了。この通信機をその小物ハウスのどこかに仕込んできてもらえますか」
「小物ハウス…」
アドニスはちらりと部屋にいるメンツの顔を見回す。
アドニスとしてはルルシアをここに置いていくことに抵抗を感じるのだが、連れて行くわけにも行かず、かと言って他の二人に通信機を仕掛けるような隠密行動ができるとも思えない。ここは自分が行くしかないな、と小さくため息を吐いた。
「ルルシア、絶対に一人で行動するなよ」
「しませんよ。そこまで無鉄砲じゃないです」
口をとがらせ不満を表明するルルシアの頭をフード越しにワシャッとひと撫でして、通信機を受け取るとアドニスは部屋から出ていった。
「…アドニスさんって渋いし影があっていいわぁ。ルルシアちゃんの恋人?」
「違います。口説くなら止めませんが、アドニスさんは大事にしてる子がいますよ」
「あら残念」
いい男は先約があるのよねー、とエンレイが頬に手を当ててため息をつくのをシオンが半眼でにらみつける。
「男の品定めしてる状況じゃないだろ」
「ずっと気を張ってるといざという時疲れて動けないものよ、シオンちゃん。今はひとまずアドニスさんが帰ってくるまでは待つしかないわ」
確かにエンレイの言う通りだ。だが、雑談ついでにこちらの事情に興味を持たれるのは困るし、ルルシアがうっかり口を滑らせたりする可能性も過分にある。
下手を打つ前に話を戻したほうが良さそうだ。
「あの、ストラって人は毎日拠点に出勤してるんですか?」
「そうね。計算が得意だとかで拠点でお金管理してるのよ」
「わあ不正し放題ですね…ってことは、エリカさんを攫って監禁してるとしたら、日中でも外に声が届かない場所に閉じ込めているか、誰か協力者が見張ってるってことですね」
すでに物言わぬ状態にされている――という可能性もあるが、あまりにも縁起が悪いのでそれは口にしない。
「協力者がいる場合は会話が拾えそうですけど、単独犯の場合…盗聴で状況が分かる程度に独り言激しいと助かるんですけどね…」
「自分一人の家で自分の行動を実況してる奴とか、それはそれで嫌だけどな…」