110. 事の深刻さ
組織拠点の訓練場の端で前回と同じように岩に腰かけて、しかし今回は腕に抱えたギターを弾くわけでもなくぼんやりしていたシオンはルルシアのやってくる気配に顔を上げ、そして顔をしかめた。
セネシオが話を持ち掛け一方的にぶった切って帰ったのが昨日の話だ。
特に会いに行けとセネシオに言われたわけではないのだが、もう少し話ができたらラッキーくらいの気持ちで訓練場までやってきたのだ。今日はディレルがついて来てくれている。
「話は済んだんだろう。まだ何か言いたいことがあるのか? しかも違う男を侍らせて。とっかえひっかえだな」
「はああ? わたしはディル一筋ですし、とっかえてもひっかえてもいませんけど…あれ、とっかえるはわかるけどひっかえるってどういう意味?」
「ルル、話をひっかきまわさない」
知ってる? と振り向くルルシアの頭にディレルが両手を添えて前を向かせる。
「初めにひっかきまわしたのはシオン様の方では? ――まあいいです。話は済んだかもしれませんが歌い方を教えるっていう約束はまだ果たしてませんから」
「あれ本気だったのか」
「わたしは大体本気ですよ」
「大体なのか」
「いつも本気の人はちょっと気を抜くべきです」
肩をすくめたルルシアに、シオンはため息をつく。
「…あんたと喋ってると気が抜ける」
「シオン様は気を張りすぎっぽいからちょうどいいですね」
「はー……なあ、あんた歌うたえるんなら、適当に弾くから知ってたら歌ってくれ」
言うが早いか、シオンはギターを抱えなおして爪弾き始める。弦を弾いてかき鳴らされるその音はルルシアの聞きなれた音よりも柔らかく響く音だった。
「イントロクイズですか。タイトル言ってくれないと難しいですよ」
「…タイトルも歌詞ももうほとんど覚えてないんだよ。ただ音だけ覚えてる」
言われてみればルチアもタイトルを思い出せないと言っていた。ルチアは十三歳、シオンは二十歳くらい。生まれたときから記憶を持っていたとすればそれぞれ年齢分の時間が経過している。つい最近思い出したばかりのルルシアとは記憶の鮮明度が違うのだ。
何小節目かでやっと何の歌なのかが分かり、曲に合わせて歌い始める。さすがに歌詞を完全には覚えていないので間違っていそうだが、どうせわからないだろうと適当に補完して歌った。
だが曲が終わり、シオンの第一声は不満げなものだった。
「…歌詞がかなり間違ってた」
「えっ、覚えてないって言ったじゃないですか」
「聞いたら思い出した」
「わたしは歌ったら思ったより覚えてませんでしたよ」
「記憶ってのは面白いもんだな…どんどん薄れてって、完全に忘れたんじゃないかって思ってたのに意外と残ってた」
シオンは独り言のように呟きながら、いとおしそうに、そして少し寂しそうに弦を指先で撫でた。
「楽器は前からやってたんですか?」
「ああ。趣味だったけどさ。それでも長くやってたから指が覚えてるんだけど、歌詞は歌わないと忘れるんだよな。忘れたくなくて歌おうとしても絶望的に音痴だし…っていうか、生まれ変わっても音痴なのが直ってないの酷くねぇ? そこはリセットしてくれてもいいと思うんだが」
「シオン様の場合歌い方の癖の問題だと思うので、その辺記憶が影響しちゃってるんだと思いますよ? 声の出し方意識して、あんまり複雑じゃない歌で音程とれるようになったらレパートリー増やしてくようにしてけば癖も治ってく…はずです」
「…てかあんたは歌上手いよな。歌手志望だったのか?」
「んー、そういうわけでも…まだ将来のことちゃんと決めてなかったんですよね。フツーのJKでしたし」
「ああ年下か。てか高校生で死んだのか…ご愁傷様。俺はリーマンだった…つってもまあ短い人生だったのは変わんねえけどさ。三十路前だったし」
シオンはそこで言葉を切り、そして改めてルルシアの目をじっと見た。
「…なあ、あんたはこの世界どう思う? 死んだと思ったらいきなり全然違う世界でさ。ネットもスマホも車も飛行機もないかわりに魔法があって、剣で戦っててさ。亜人とかいうのがいるし。…前の世界とこの世界、未だにどっちかが夢なんじゃないかって思うよ」
「わたしの場合、前世のこと思い出したのつい最近なんです。だから多分生まれたときから記憶がある人よりかは戸惑いが少ないんだと思います。ああなるほど、だから自分は他の人と違うのかって」
「そういうケースもあるのか…俺は、日本がどれだけ平和で自分がどれだけ守られてたのかを嫌ってほど認識させられたよ。今じゃもうその感覚もほとんどわかんなくなってきてるけどさ」
確かにいきなり赤ん坊になっていて、ここまで世界観が違ってしまったら戸惑うどころの話ではないだろう。しばらくは夢を見ているのだと現実を受け止められないかもしない。ルルシアの場合事情があってやむを得ず記憶が封じられたが、逆に冷静に受け止めることができる時間ができてよかったのだろう。
「わたしはある日突然思い出してたんですよね。既にこの世界での生活の基盤が出来上がってたし、思い出したとき『あっ、これ漫画で予習したやつだ!』って思ったくらいで…あ、あと冷蔵庫とレンジ欲しいなって思いました」
冷凍庫でもいいけど、と続けたルルシアをシオンは口をぽかんと開けて見ていた。
「……あんたやっぱり変だよな」
「えっ、そうですか? …っていうかなんでディルも頷いてるの」
何とも言えない視線を向けてくるシオンは置いておいて、「やっぱり変」のところではっきり頷いたディレルをジトっと見つめる。
「…ルルが変なのは前世持ちだからなのかと思ってたんだけど、ルルだからだったんだなと思って」
「わたしはあまり賢くないけど馬鹿にされてることは分かるんだよ?」
「馬鹿にしてるんじゃなくて単なる感想だよ。多少変でもルルはかわいいし」
「…むう…」
単なる感想だろうと失礼なことに変わりはない。だが、にこりと微笑むディレルにルルシアはうやむやにされているのだと分かっているのにデレデレしてしまう。彼は可愛いとか綺麗と言った褒め言葉を普通に言ってくるので、褒め言葉に慣れていないルルシアが正面から食らってしまうとダメージが大きいのだ。
「……いちゃつくなら他所でやってくれ」
「他所でやりたいけど仕事が終わらないと他所に行けないんですよ」
シオンが舌打ちしつつ心底嫌そうな顔をして手で追い払う仕草をしたが、ディレルは涼しい顔で言い返す。それに対しシオンは「仕事ねえ…」と眉間にしわを寄せた。
「魔物の素材ってのはどうせ建前なんだろ? あの男は婆連れてくのは簡単だって言ってたんだからさっさと連れてけばいいさ」
「連れてくのは簡単だし最終的にどうにもならなければそうするんでしょうけど、こちらとしては穏便に解決したいですから。…ところで、このままだと戦争になるの分かってますよね」
戦争という言葉は今回の一連の件で今までも何度か話の中で出てきているが、何度聞いても嫌な気持ちになる。しかもこんなに身近で本当に起こるかもしれないのだと考えると背筋がひやりと冷たくなる。
「サイカが滅んで、その後の領土争いなら隣接してるシェパーズが圧倒的有利だろ。グロッサは拡大したシェパーズに戦争仕掛けるほど馬鹿じゃないだろ」
「グロッサはシェパーズに勢力拡大されたら困るんですよ。そんなことになったらグロッサは永遠にシェパーズの顔色を窺っていかなきゃならない。亜人への姿勢だって受け入れられないでしょうし、そもそも現状でも奴隷制度もった国として周辺国から非難されてますからね」
シオンは「亜人か…」と呟く。サイカは亜人がいないのであまり意識していなかったらしい。
「…だったとしても、戦争になったとしても魔術で縛った亜人の奴隷を大量に抱えてるシェパーズの方が有利だろ。あっちは人権なんか関係なく戦闘能力の高い亜人を使い捨てで投入できるんだから」
「実際に戦いとなればグロッサは外部に応援を求めますよ。奴隷制に反対する国は手を貸すだろうし、それに加えて、エルフと獣人は国に関わらず種族として必ずそれに応じます。彼らは人間やその他の種族と比べて飛びぬけて戦闘能力が高い。それ故に、シェパーズによって隷属させられて戦闘に投入される同胞を放置することができないからです」
エルフや獣人が戦争に加われば甚大な被害を生む。術者の決めた行動から外れると苦痛や、時には死すら与えられるという隷属魔術で縛られた彼らが、自らの意に反して人々を攻撃せざるを得ないというのであればそれを止められるのもまたエルフや獣人だけなのである。
だから――自らの種族の安寧と、隷属させられた同胞への慈悲として、彼らを葬ることを目的として種族全体が戦争に関与することになるのだ。
「………」
ルルシアは事の深刻さをやっと認識して拳を握りしめた。
そうなった場合、隣国であるイベリスのエルフで戦闘に長けたもの――ライノールやオーリスの森の皆がそこへ向かうことになる可能性は高い。ルルシアとて例外ではない。
グロッサが積極的に動いている今の状況を見たセネシオが焦るのも当然だ。彼はエルフや獣人が加わった戦争の悲惨さをその目で見ている生き証人なのだから。
「…実際そうなった場合、いきなり開戦とはならないよ。シェパーズだっていくら奴隷とは言っても労働力を戦いに持っていかれたくないだろうし、土地だって荒らされる。ある程度までは交渉で解決することを模索するはずだし、エルフなんかは特にその段階で圧力をかけるだろうしね」
ディレルは固く握りしめられたルルシアの拳を手で包むと「大丈夫」と言う代わりに軽くポンポンと叩いた。
言われてみればその通りだ。いきなり一足飛びに戦争とはならないだろうし、特に戦闘に対する規律に厳しいエルフが簡単に戦争への参加に踏み切るとも思えない。まず、そもそも戦争にエルフを参加させない方法を提案するはずだ。
ルルシアは小さく息をはくとディレルの手を握り返した。
(やっぱりわたしは勉強が必要だなぁ…)




