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100. 『平和ボケ』の

 怪我をしていた少女はエリカ。

 もう一人の少女はリアで、その弟はトリス。さらに赤毛の少年はアキレア、オレンジ髪の少年がクレオ。

 年齢で言うとトリスは三歳程度、その他は十~十三歳くらいといったところだろうか。

 おそらくエリカとアキレアが年長だろう。

 全員の名前を一気に聞いたものの、ルルシアはすぐに忘れる自信がある。

 とりあえず、今目の前にいる少女二人がエリカとリアであることだけは、何とか覚えようと頭の中で繰り返し唱える。

 エリカの傷自体は、出血の割にはひどくはなさそうだった。太ももを斜めに走る長い爪痕のせいで出血が多くなってしまっていたが、傷としては浅かったのだ。

 幸い咬傷の方も、皮膚がえぐれるようなひどい傷ではなかった。

 問題は、化膿や感染症などの方だ。出来れば医者に診せたいところなのだが――。


「私たちを看てくれる医者なんて、サイカにはいないよ。あいつら、壁の内側に住んでる人しか看ないんだもん」


 そう返したのはリアだった。

 事前に「ちょっとだけ薬がおいてある」と聞いていたとおり、確かに薬は置いてあるものの、本当に最低限のものしかない。

 消毒液、傷薬、鎮痛剤、それと熱さまし。そのどれもこれもが、もし使用期限の表示があったら全部切れているだろうな、と思えるくらいに容器が古びている。

 ――彼らは、少なくともこの場所では、十分な治療など望むことはできないのだ。

 ルルシアが薬の瓶を眺めている後ろで、リアが水瓶から水を桶に移し、エリカの傷を洗い始めた。

 リアの手元には消毒用のアルコールと軟膏と包帯。……軟膏はバターのような油と、薬草を煮出した液を混ぜたものだろうか。

 あまり詳しくはないのだが、古い油を塗るのは、逆に傷が化膿しそうな気がする。


「あの、洗った後にこれを使ってください。この消毒液なら、アルコールよりは痛まないと思うので。あと、こっちは化膿止めの軟膏です」


 ルルシアは自分の荷物を漁って、小瓶と軟膏を引っ張り出す。どちらも外に出るときにはいつも持ち歩いている物だ。


「これ……薬?」

「はい。まだいくつか持ってるので使ってください。……怪しい薬じゃないですよ? 何ならわたし、今使ってみましょうか?」


 ルルシアはそう言いながら、腰のベルトに差していた小型のナイフを取り出した。

 そのまま自分の腕に軽く当てて、傷をつけようとすると、少女たちが目を剥いて慌てだした。


「ちょっ……」

「そんなことしなくていいから!」

「じゃ、どうぞ使ってください」


 ルルシアはすぐにナイフをしまい、薬をリアに押し付ける。

 リアはぽかんと口を開けて、ルルシアがナイフを当てていた腕を見ていた。――そこは、切れてこそいないものの、うっすら赤くなっている。


「……あなた、ちょっとおかしいでしょう」

「あー、不本意ながらよく言われます」


 ルルシアとて止められることは予測していたし、実際のところ本気で切る気はなかった。

 ただこういう子たちの場合、「薬です」と与えても素直に受け取ってもらえないだろうな、と思ったから、断りにくい雰囲気にしたくてパフォーマンスとしてやっただけだ。

 リアは眉をひそめながら、押し付けられた軟膏と消毒薬を受け取った。そしてその表情のままルルシアの顔を見つめる。


「……なんでこんなことするの? あなたたちにメリットなんてないでしょ?」

「こんなことというのは、えーと……。薬はまだ予備があるので、現段階で出し惜しみする理由はそれほどないですし、それと子供が魔物に襲われてたら手助けするのは、冒険者としては割と普通のことですし」

「冒険者……」


 冒険者という単語にエリカがぴくりと反応する。彼女は剣を使うようなので、もしかしたら冒険者にあこがれを抱いているのかもしれない。

 だが、「冒険者として」などと言ったものの、ルルシアは冒険者ではない。

 今回のメンツの中で、冒険者登録しているのはディレルとセネシオだけだ。本来エルフはギルド登録できないはずなので、セネシオに関してはその登録が有効かどうかすら怪しい。なので実質ディレル一人。

 ……でもまあ冒険者(を含むパーティー)なので嘘は言っていない。ということにしておく。

 ルルシアはうんうん、と頷きながらリアに向き合い、エリカの方を手で示した。


「ところで、先に手当を」

「あっ、ごめんエリカ」

「ううん。……ねえ、冒険者ってことは、他の国から来たんでしょ?」


 エリカはリアの治療を受けながら、視線だけをルルシアに向けて尋ねてきた。


 ルルシアたちがサイカに来た目的は、クレセントロックドラゴンの素材採取。

 ドラゴンと名はついているが、実際は大きなトカゲで、その鱗と背びれは希少な素材として高値で取引されている。

 この周辺だと、サイカの山中にしか生息していないらしいが、素材目当ての乱獲によって現在はほとんど姿を見かけなくなっている――という、この世界にレッドデータブックがあれば、間違いなくレッドリストの上位に載っているであろう魔物である。

 ルルシアたちは、そういう「まず見つからないだろうな」というものを、依頼者の無茶ぶりで探しに来た冒険者パーティー……という設定だ。

 でも、本当に見つかったら素材が欲しい、というのはディレル談。

 その設定に沿って、話していい事といけないことを判断するのである。

 そうはいっても、特に聞かれなければその設定に関することも話すつもりはないが。


「はい。お隣のイベリスから来ました」

「イベリスって『平和ボケ』の」

「そうらしいですね」

「……だから人助けなんてできるんだね」


 エリカは馬鹿にするような、それでいて自嘲を含むような口調でそう言った。


「それは否定しません」


 ルルシアは肩をすくめて苦笑する。確かに自分に余裕がなくて、そして身の安全が確保できていない状態で、他人に手を貸すのは難しい。

 ルルシアは平和ボケした生活しか知らないので想像するだけだが、彼女たちからしたら愚かな行為に思えるのかもしれない。

 そんな話をしていると、手当を終えたリアが顔をあげて、ふう、と息をはいた。


「――はい、ひとまず包帯巻いたよ。でも無理に動いちゃだめだよ。エリカってすぐ無理しようとするんだもん」

「ありがと、リア。出来るだけ気を付けるよ」


 出来るだけ、というのがどうにも駄目な印象を受けるが、とりあえず化膿するのは防げるだろう。なにせ、消毒液は神の子からいただいたものだ。

 エフェドラへ向かう途中の宿場町で、ルルシアが持とうとしてディレルに取り上げられた、小さいのにやたらと重い箱の中身がこの消毒液だった。

 テインツが魔物に襲われたとき、冒険者の負傷が相次いだせいで一時的な薬不足に陥り、ちょうど神の子のために用意されていた薬を、教会側が提供してくれていたらしい。その時提供された分に、色を付けて返却するために運んでいたのだ。

 そしてその中から数本を、神の子がルルシアにくれたのだ。

 しかも、短い期間ならば効能があるという癒しの祈りを込めて。まだ二日くらいなので効果は期待できるはずだ。


***


 手当が終わったルルシアたちが部屋から出ると、なんとも重苦しい空気をまとった男性陣が立っていた。

 男性陣といってもアドニスはいつも通りだ。彼はもともと仏頂面だし口数も少ないので、基本的に彼がいるとその場の空気は重くなる傾向にある。

 少年たち二人は、やはりその雰囲気に気圧されたのだろう。部屋から出てきたエリカたちの姿に『助かった!』とばかりに表情を明るくした。

 それにこっそり笑いつつ、エリカたちに続いて廊下に出たルルシアは、おや? と耳を澄ます。微かにギターのような音色が聞こえる気がする。


「……なんか音楽が聞こえますね」

「シオン様が来てるんだ」

「しおんさま?」


 首を傾げたルルシアに、しかし赤毛の少年――確か名前はアキレア――は答える気がないらしく、すたすたと歩いて行ってしまう。


「……シオンはサイカの頭領の息子だ。孤児を気にかけて慈善活動みたいなことをしてる、ってのは聞いたことがある」


 アキレアの代わりに、アドニスが教えてくれる。

 バタバタしていてまともに説明を受けていないのだが、ここまでの色々を総合して考えるに、この『公民館』というのは孤児院のような施設らしい。

 そこで楽器を演奏しているというのは、慰問演奏ということだろうか。


「この曲は俺も知ってる」

「わたしも町で聴いたことあります」


 セネシオが前世持ちだと睨んでいるのは、まさにその頭領の息子だった。変わり者として有名らしいが、子供たちの表情を見るに、好かれてはいるらしい。

 前世のヒット曲を演奏してくれれば手っ取り早く『前世持ち』だという確信が持てるのだが、今演奏している曲は、残念ながらこの世界のはやり歌だった。

 アキレアたちはそのシオンがいる場所へ行こうとしているらしい。くるなとは言われなかったので、そのままうしろをついていくと、ギターの音がはっきりと聞こえてきた。


 学校の教室くらいの部屋に、ぱらぱらと子供や老人が集まっている。

 その人々が囲む中で、一人の青年がギターを弾いていた。

 長い髪はディレルと同じ亜麻色で、後ろでひとまとめにしている。顔立ちは整っていて、少し神経質そうな雰囲気だ。

 そして華奢で手足が長く――見た目の印象だけを簡単に言うと、インテリ系の美形。

 インテリ美形のシオンは、アキレアたちが部屋に入ってきたことに気づいてこちらを向き、そして「おや」という表情を浮かべた。

 その視線は、ルルシアの後ろに立つアドニスに向けられているように見える。――だが、特に話しかけてくるわけでもなく視線は逸らされ、そのまま演奏が再開された。


「アドニスさん、知り合いだったんですか?」


 ルルシアがひそひそとアドニスに話しかけると、彼は「いや」と微かに首を振った。


「遠目に見たことはあるが、話したことはない。よそ者が商売で出入りしてたわけだから、顔を覚えられてるのかもしれん」

「ああー、アドニスさん顔怖いですもんね」

「……悪かったな」


 そのやり取りを横で聞いていたオレンジ髪のクレオが、ぷっと小さく噴き出した。

 しかし、アドニスが視線を向けると、怒られると思ったのかクレオはカニ歩きでアキレアの後ろに移動して隠れた。

 アドニスは、ただ音がしたから見ただけなのだが。


「アドニスさんドンマイ」

「……」


 アドニスはジトっとルルシアを睨んで、そして小さくため息をついた。

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