99. 得体のしれない奴
サイカという場所は、領や区のような行政区画というよりも、『寄せ集め』や『吹き溜まり』と表現されることの方が多いという。
一応、サイカをまとめる組織は存在しているのだが、現在はならず者の集まりのような状態になってきている、というのが実情らしい。
そんなサイカの中心となる町。
名前は特に決まっておらず、人は漠然とその場所を『中央』と呼んでいる。
さらに、どこからどこまでの範囲が『中央』なのかもはっきりと決まっていない。
一応、壁で囲まれた一角があって、その中だけだというのが一番一般的な認識のようだ。
その『中央』の壁に囲まれたところから少し離れたあたりを歩いていると、微かな悲鳴が聞こえた。
「戦ってる音がする」
「子供の声かな……」
かかわりを持たない、という選択肢もあるのだが、どうやら襲われているのは子供のようだった。……そして、獣のような唸り声も聞こえる。襲っているのは魔物だろうか。
一行が「さてどうするか」、と顔を見合わせているところに、今度は絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
続けて泣き声、そして逃げろと怒鳴る声が響く。
「行こう」
その言葉を発すると同時に、セネシオが駆けだす。
ルルシアたちもそれに続いて、戦いの音がする方へと駆けだした。
「ルル、矢を射るとき気を付けて」
「うん」
隣を行くディレルが、ルルシアに聞こえるか聞こえないかというくらいの声で注意を促す。それにルルシアは小さく頷いた。
亜人を嫌うこのサイカにおいて、エルフしか使えないはずの魔法を使っているところを見られるのは非常にまずい。
ルルシアは魔術具の弓を使っているので、パッと見で魔法を使っているようには見えにくいとはいえ、それでも分かる人には分かってしまう可能性がある。
また、エルフは魔力量も人間と比べれば桁違いに多いため、魔術具を使っているふりをするにしても、連発しすぎれば不審に思われかねない。
(一本の矢を撃ち出すだけ、それで回数は四・五回程度が限度……)
普通の人間だとその程度が限界になる。
魔術師の適性があればもう少し回数はいけるだろうが、そもそも魔術師の適性がある人間は、基本的に魔術師になっている。その場合、魔術のほうが便利なので好き好んで弓など使わない。
――希少な魔術師の適性を持ちながら、何故か弓を選んだ人間など、それはそれで変な風に目立ってしまうだろう。
そのため、ルルシアはサイカにおいて主戦力にはなれない。基本的に他の三人の後ろで補助をする役目だ。それもうっかりやりすぎてはいけないのだ。
つまり、何もしないのが吉。
折しも、ディレルから嘘つくのが下手だと言われたばかりだ。
そう自分に言い聞かせたところで、その光景が見えてきた。
***
子供たちを襲っていたのは、見た目のまま「黒狐」と呼ばれる黒い狐の魔物だった。
動物の狐は基本的に群れないものだが、黒狐は群れを作って狩りをする。そのため――。
「うわ、いっぱいいる……」
「黒狐か。厄介だな」
アドニスがぽつりとつぶやいた。
黒狐が厄介な理由は、一つの群れの数の多さと、弱った獲物を執拗に狙う性質だ。傷を負ったもの、動きの鈍いものを集団で狙ってくるのだ。
今のこの状況下で狙われているのは、足に怪我をした少女が一人と、幼い少年を抱えた少女だった。
一方、戦っているのは、武器を手にした少年二人。
計五人の子供たちが、黒狐に囲まれていた。
先程「逃げろ」という声が聞こえたが、この状況では逃げることもままならない。まさに四面楚歌だ。
そんな場面に駆けつけたセネシオは……片手をあげて、場違いな笑顔を浮かべた。
「やあ! 手伝いはいるかい?」
「!? え? ……え?」
わざわざ駆けつけてきて、突然明るく声をかけてきた男に、短剣で黒狐に応戦していた少年たちが目を白黒させる。
人は予想外な出来事に驚くと、本当に二度見をするものなのだな、とルルシアも場違いな感想を抱いた。
――だが、そんな人間側の出来事など関係のない黒狐たちにとっては、これは絶好のチャンスだった。
セネシオに驚き、気を取られた少年の脇をすり抜け、一匹の黒狐が姉弟に向かって躍りかかる。
怪我している少女が咄嗟に足元に置いてあった剣を握ったが、明らかに間に合わない。
――肉薄する、その寸前に。
ガツンと鈍い音を立てて、ディレルの剣が狐を打ち払った。
「セネシオ、変に驚かせて隙を作るのやめなよ」
「ごめんごめん。一応確認した方がいいよねと思って」
「まったく……」と呆れた顔で続けながら、ディレルは黒狐の群れに目を向ける。そしてそちらを睨んだまま、まだ混乱した様子の少年たちに声をかけた。
「君たち、逃げ込める場所はあるの?」
「あ、えっと……公民館に」
少年たち二人は一瞬顔を見合わせ、そして二人のうち赤毛の一人が戸惑いつつ答えた。
それに対してセネシオが「ああ『公民館』ね」と頷いた。
「オッケー。じゃあここは俺らに任せて逃げなよ」
「で……でも! あいつら数が」
黒狐の数は、十匹を軽く超えている。それらが連携して襲ってくるのに、たった数人で対処できるのか、と言いたいのだろう。
実際は、逆に子供たちがいなければセネシオやルルシアが魔法を使えるので格段に楽になるのだが。
「ルル、その子たちを避難させて。――アドニス、ルルについてって」
「!……分かった」
ディレルの言葉にアドニスは少しだけ目を瞠り、すぐに頷いた。
「了解。――行きましょう。貴女の怪我は早く手当てした方がいい。立てる?」
ルルシアも頷き、怪我した少女に声をかけた。
「……だ、大丈夫。歩ける……」
「そっちの二人も行きましょう。安全な場所まで先導してもらえます?」
ルルシアが声をかけると、オレンジの髪の少年が赤毛の少年に視線を向けた。
赤毛の少年は、黒狐に応戦しているセネシオたちと、怪我をした少女を交互に見ながら少しだけ思案し、「分かった」と頷いた。
どうやら、この子供たちのリーダー格は彼のようだ。
だが、足の怪我をかばいながら立ち上がった少女が、周囲を見回して顔をゆがめた。
「移動するっていっても、もう囲まれてる……」
「ああ、あのくらい大丈夫です……よね、アドニスさん」
「……ああ。問題ない」
ルルシアはいつもの調子で返事をしてから、しまった自分では戦わないんだった……と、アドニスの方へ振る。彼は少しだけ呆れたような顔をしたが、すぐに頷き返してくれた。
***
アドニスは黒狐二頭を剣で切り、もう一頭を投げナイフで仕留めた。
そしてその後は、ディレルやセネシオが食い止めてくれていたおかげで、囲まれることなく進むことが出来た。
中央の壁に近い場所はほとんど魔物が現れないらしく、民家がちらほら建っていて、『公民館』はそんな中でも一番壁の近く――しかし、囲いの外側に――あった。
ルルシアは公民館という呼び方から、住民が集まる小ぎれいな建物を想像していたのだが、実際は錆の浮いたトタンの壁に大きな板の扉……という、公民館というよりも古い倉庫とか町工場と言った方がしっくりくる外見をしていた。
(というか、この世界で初めて「公民館」って名前聞いたかも)
ということは、件の前世持ちの人物が命名したのかもしれない。そう考えながら、ルルシアは建物に足を踏み入れる。
「っ……」
建物に入った途端、怪我をしている少女がぐらりとよろけ、壁に手をついた。ルルシアはすかさず彼女の腋の下に腕を差し入れる。
実は、歩く時も手を貸そうかと聞いたのだが、彼女は頑なに「一人で大丈夫」と言い張って、補助させてくれなかったのだ。
だが、安全な場所に来たことで気が抜けたのだろう。ルルシアは、彼女の足に負荷がかからないように気を付けながらその体を支える。
額に脂汗を浮かべた少女の横顔を見て、ルルシアは赤毛の少年に声をかけた。
「手当てができるところは?」
「……この廊下の突き当たりの部屋に、薬が置いてある。……ちょっとだけだけど」
「じゃあそちらに行きましょう。傷を看たいので、男性は遠慮してもらえますか?――アドニスさんは……」
少女の怪我は足の付け根に近い大腿部で、咬傷と爪による引っ掻き傷だった。それなりに厚手に見えるボトムスを貫通して、かなり血が滲んでいる。
手当のためには、どうしたって衣服を脱いでもらわないといけない。それなら当然、異性は同席しない方がいい。
「あんたから離れたら、あいつに殺されるだろ。部屋の外にいるから何かあれば声をかけろ」
「あ、はい。……さすがに殺されはしないでしょうけど」
「お、俺も部屋の外にいる!」
アドニスの返事を聞いた赤毛の少年が、ルルシアの言葉を遮り声を上げた。オレンジ髪の少年も、緊張した顔でこくこくと頷いている。
そして、もう一人の少女も口を開いた。
「私はエリカと一緒に行く。二人とも、トリスをお願い」
幼い少年と、その少年の手を引いている少女は同じ金髪緑眼で、顔立ちもよく似ている。おそらく姉弟なのだろう。
少女は弟を赤毛の少年の方へ押しやり、ルルシアの方に向き直った。やはり緊張している表情だ。
その子供たちの表情に、ルルシアはぱちくりと瞬いて、……そしてやっと気付いた。
「あ、そっか。得体のしれない奴に仲間を任せられないですもんね。そしたら、彼女の手当自体はお願いできますか? 必要があれば手を貸すので」
基本的にルルシアは、エルフであるということが身分証明のようなものだ。
エルフは規律が厳しく、悪事を犯すことがない……というのが世間一般のイメージなので、ルルシアも、あまり人から不信感を持たれたり敵意を持たれたりした経験がなかった。
それに前世は平和な日本に住んでいた。怪我人を手当てしようとする者の善意を疑い、警戒する者はそうそういないだろう。
そのため、そういう警戒心への配慮をスコンと忘れていたのだ。
今のルルシアたちは、彼らにとっては突然現れて、何の目的かはわからないが魔物から救い、しかも拠点に押しかけて来た見知らぬ人物でしかない。
「え……うん。じゃあエリカ、行こ」
自らのことを『得体のしれない奴』と、あっけらかんと言い放ったルルシアに戸惑いの色を浮かべながら、少女はエリカと呼んだ少女を支えながら、奥の部屋に向かっていった。