10. ランバート家の邸宅
テインツの町とオーリスの森は近い……のだが、それでも馬で片道約一日かかる。
今回のクラフトギルド訪問に際して、二人は馬でテインツの町までやってきて、用件だけを済ませてまた馬で戻る予定だった。
途中、宿場町も小さな農村もあるので普通はそういったところで宿を求めるのだろうが、エルフは基本野宿だ。
「え、宿を取らないんですか?」
ディレルは完全に、ルルシアたちが城下町で宿をとるものだと思っていたらしく、すぐ帰ると伝えるとひどく驚かれた。
おおそれなら、とギルド長が嬉しそうに声を上げた。
「随分こちらで引き留めてしまいましたし、もしよろしければ我が家に泊まって行ってください」
「いえ、そこまでお世話になるわけには」
「ご息女に、せめてもの罪滅ぼしをさせてくれませんか」
「……」
ギルド長に責任はないとルルシアは告げているが、それでもせめて何かさせて欲しい……という断りにくい理由を掲げられ、ライノールが黙り込む。
「ライ」
まさか断るの? という気持ちを込めてライノールのローブを引っ張る。
ルルシアの心の中で、ギルド長の心情を慮る気持ちと『城下町での宿泊』につられる気持ちの割合が三:七くらいなのは内緒だ。
ルルシアとて、別に野宿が苦痛なわけではない。だが、野宿中の食事は基本的に固いパンと干し果物……。日本人の感性が完全に戻ってしまったルルシアには、若干ストイックすぎるメニューだ。
(スパイスたっぷりの羊肉の串焼き……ひき肉の入った揚げパン……)
この城に来るまでの間に見かけた、色とりどりの看板を掲げた屋台のメニューが頭の中を駆け巡る。
せめて何かおいしいものを食べて、そして可能ならば肉や香辛料を確保して帰りたい。食材を安く手に入れるなら、朝から昼にかけて立つ市がいいと森に来た行商人が言っていたことがあるので、狙うなら明日の午前中。
そのためには、テインツの城下町に宿泊するほうが都合がいいのだ。
「……はあ……わかりました。お言葉に甘えます」
「ええ! ぜひ。ただ、私はこのあともう少し別件の約束がありますので、息子に案内させます――ディレル」
「了解です」
ニコッと微笑んだディレルはそう言うと立ち上がり、家に連絡してくると席を外した。
扉が閉まると、ギルド長はルルシアたちの方を向き姿勢を正した。まだなにか用件があるのだろうか、と思っていると、彼はすっと深く頭を下げる。
「魔獣の恐ろしさは私も身をもって知っています。息子が無事帰ってきたことも、お二人へお礼したかったことの一つです……ありがとうございました」
そう言ってギルド長は顔を上げ、いかつい顔をくしゃりと崩して笑った。
笑った時の目元がすこし似てるな、と、あまり似ていない親子の共通点を見つけたルルシアはひっそり笑って、冷めてしまった琥珀色のお茶を飲みほした。
***
ギルド長、ランバート家の邸宅はテインツ城のすぐ近くにあった。
城下町というよりほぼ城の敷地内で、歴史のありそうな石造りの――一言で言って豪邸である。
ここです、と言われて屋敷を見上げたまましばし動きを止めたルルシアたちにディレルは苦笑した。
「うちの家というより、代々ギルド長に割り当てられる家なので無駄に豪華なんです。使ってない部屋も多いですし……ああでも、基本的に来客が多い時以外は家族とハウスキーパーが一人だけしかいません。クラフトギルドは機密保持を重要視しますし、周りの目を気にしなくても大丈夫ですよ」
「……お気遣い感謝する」
「いえ」
魔獣討伐の時に、ライノールがディレルたちに『エルフは自分たちの暮らす森の外で顔をさらしたり必要以外の会話をしたりしない』という決まりがあると話している。それを指して、決まりを破ることがあっても漏らしはしないと言っているのだ。
エルフっぽい喋り方があまり得意ではないルルシアとしては非常に助かる。
「ようこそいらっしゃいました、ビストートの妻のアンゼリカと申します。エルフのお客様は初めてなので十分なおもてなしができないかもしれないのですが、ご不便があれば何なりとお申し付けください」
ふんわりと微笑んで玄関で出迎えてくれたアンゼリカは、ほっそりとしてかわいらしい雰囲気の女性だった。ディレルは完全に母親似である。
外套はお預かりしても? と首を傾げた彼女に、ルルシアとライノールはちらりと顔を見合わせる。
さすがに人の家にお世話になっておきながら、ずっとマントやローブを纏っているのは不躾だろう。
「……お願いします」
そう答えてライノールがフードをはずすと、少し乱れた銀色の髪が現れる。
その髪は光をはじいてキラキラと輝き、アメジストのような紫の瞳は、吸い込まれそうなくらいに澄んだ色をしている。理知的に見える整った眉目も、すっと通った鼻筋も、どこをとっても完璧に美しい。
ルルシアからしてみれば見慣れた姿だが、ライノールはエルフの中でも美男で通る外見なのだ。
アンゼリカは彼の姿に一瞬言葉を失い、すぐにはっとしてローブを預かった。平静を取り繕ってはいるが、その頬は赤く上気していた。
そして彼女は次にルルシアの方へ視線を移し――少しホッとしたような表情を見せる。
(こっちはどこにでもいそうな顔でホッとしたんですね分かります)
ルルシアとて、一応美少女で通るレベルである(はず)。
青みがかった黒髪は角度によって紫にも輝く。カラスの翼のような色で、自分ではなかなか気に入っている。そして瞳は夏の海のような、透き通った晴れやかな水色。
前世だったら、街中で芸能界スカウトされそうな容姿だ。
エルフでさえなければ、自分の美少女ぶりに自信を持てただろう。だが残念ながらルルシアはエルフなのだ。
若干やさぐれた気持ちで、ルルシアも軽く畳んだマントを預けた。
「ええと……お部屋はお二人一緒のほうがいいですか?」
「……どちらでも……」
別に一緒でも構わないが、出来れば別のほうがいいな……でも二部屋用意して欲しいなどというのは厚かましいだろうか……。
そう思っていると脳天にごつっと拳を落とされた。拳を落とした主は、睨みつけるルルシアを無視して、アンゼリカに微笑みを向ける。
「出来れば別の部屋をお願いできますか」
「……かしこまりました。では部屋をニつ準備させていただきますね」
指示を受けて下がっていくハウスキーパーの姿を見送りながら、なぜ叱られたのか首をかしげる。
言葉遣い? それとも同室だと何かまずいことが?
……男女だから?
「あ、そういう意味……」
恋人同士とか、つれ合いだとか、そういうものなのかと聞かれたのだ。
だいぶ遅れて言葉の意味に気づいたルルシアを、ライノールは世にも残念なものを見るような眼で見下ろしていた。
「ライのこと、そういうふうに見たことがなさ過ぎてわかんなかった。ごめんね」
「奇遇だな、俺もねえよ。なんかこっちがフラれてるみたいな言い方やめろ」
小声で言い合っているとアンゼリカに「仲がいいんですね」と微笑まれた。
ライノールはまさに今、虫けらを見るような目をルルシアに向けているというのに。よく見ていただきたいものだ。
「お部屋の準備ができるまで、少し時間がかかりますけれど、それまで客間の方で休んでいてください。庭にも出られるようになっていますので、散策もできますよ」
この豪邸の庭だと、広大なイングリッシュガーデンだったりするのだろうか。それだと、普段から森に住んでるエルフとしてはちょっと微妙だが。
客間はこちらです、とアンゼリカが玄関ホールの正面にある大きな扉を示す。
扉を開くと、その向こう側には明るい光があふれる空間が広がっていた。
最初に目に飛び込んできたのは、カラフルなタイルで作られたモザイクの床。そして、部屋の中が明るく感じるのは漆喰のような白い塗り壁のせいだろう。
また、部屋の中にある柱は一見普通の木の丸柱に見えるのだが、よく見ると細かい彫刻で花と鳥のモチーフがちりばめられている。
ちらりと見たところ、シンプルに見える木製の家具も全て同じように細かいモチーフが彫り込まれているらしい。
ぱっと見た印象はそれほど豪奢ではなく、品よく落ち着いた雰囲気でまとまっている……が、よく見るとあちらこちらに凄まじいまでの技巧が凝らされている。
部屋の奥側にはサンルームのようにガラス張りになった場所があり、そこから庭へ出られるようになっていた。
その庭は、前世のテレビや雑誌の『死ぬまでに行きたい世界遺産特集』辺りで見たことがある、中東系の庭園によく似ていた。
中央に水路があって、その両脇に歩道と植え込みが続いている。歩道のタイルもモザイクだ。
そして、一番奥には噴水が涼し気な水しぶきを上げている……という、植物よりも水路がメインの様式である。
なんとなく普通の洋間に、普通の洋風の庭を想像していたルルシアは絶句する。隣でライノールも同じように目を丸くしていた。
「クラフトギルドの長の邸宅なので、職人の気合が入った作りになっているんですよ」
言葉を失っているエルフ二人に、アンゼリカは微笑みながら、そして少しだけ得意げにそう言った。