(12)精霊の泉①
別にカイルは目的地に急ぐそぶりはなかった。むしろ、彼はいろいろな物に気を取られていた。森の木々の種類から、雑草、小動物に至るまで、見つけては、馬で追随するハーレイに名前や特徴を尋ねてきた。
――好奇心が旺盛すぎる。
もはや、ハーレイは、「精霊の泉」への案内人というより、森の説明人だった。
だが、ハーレイは周囲に誰もいない今こそ、質問ができる機会であることに、ようやく思いあたった。
「カイル、倒れていたと聞いたのだが」
『イーレが言っていた?』
「ああ、和議が延期になったので、気づかず、こちらに戻ってしまった。身体は大丈夫なのか?」
『もう、平気だよ』
「……もしかして、俺のせいか?」
『いや、どぐされ精霊のせい』
「どぐされ――?」
『世界の番人に捕まってたんだ』
「!!!」
まさかの世界の番人を性根の腐った者扱いするとは!ハーレイは血の気がひいた。
「カイル、精霊に聞かれるぞ!」
『知ってる。聞かせているんだ』
さらにハーレイは血の気がひいた。
「頼む、カイル。村ではそういう不敬な発言は控えてくれないか?」
『ん?ああ、そうだね。村「では」控えるよ』
――しまった!懇願の仕方を誤ったっっっ!
これは話題を変えるに限る。ハーレイは急いで別の質問を投げた。
「カイル……そのイーレも……精霊獣になったりできるのか?」
『こんな風に、できるのは僕だけだと思うよ。もともと、イーレを探すために僕のウールヴェを飛ばすつもりだったけど……。イーレの悲鳴が聞こえたから、てっきり事件に巻き込まれたかと思って、ウールヴェに同調してみたんだ。案外上手くいくもんだね』
「そんな、ちょっと散歩してみました、みたいな口調はやめてくれ」
『散歩より労力はいるんだけどなあ。でも悪くない散歩だよ。こうして西の民の領地を見ることができるとは、感激だ。もっと早く、このやり方に気づけばよかった』
「……イーレはなぜ子供の姿をしているんだ?ナーヤ婆はメレ・アイフェスの技だと言ってたが……」
『……あのお婆様、本当に凄いね……』
カイルは感心したようだった。
『その通りだよ。僕達の外見は必ずしも実年齢に一致していない』
「イーレは何歳なんだ?」
会話が不自然にとぎれ、すごく長い沈黙が訪れた。
『……その質問はしないでくれる?僕はまだ死にたくない……』
精霊獣は本気で震えていた。どうやらカイルの首元にも、鎌は振りかざされているようだ。メレ・アイフェスの世界でも、女性の年齢に関する禁断の質問は存在する、とハーレイは学んだ。
たどりついた精霊の泉はいつもと変わらず静かだった。数頭の鹿が水を飲んでいた。陽の光が差し込み、水面に美しく反射していた。
『綺麗だね。イーレと出会ったのは「精霊の泉」みたいだけど?』
「彼女はその岩にいた」
『なるほど』
獣は巨岩の周囲を歩き回った。
「何をしているんだ?」
『イーレが着地した場所を探している』
結局、カイルの探していたものは、少し入った森の中にあった。草が回転上に倒れて、わずかに薄い金色に輝いている。
「精霊の輪?」
『……見たことあるの?』
「ライアーの塚でよく見かける」
『……なるほど』
「ここにきた理由はこれを探しに?」
『いや本命は別』
カイルはすたすたと大岩の前に戻って行った。
「?」
『ハーレイ、馬が逃げないように、ちょっと離れた場所に繋いでおいて』
ハーレイは指示に従った。
「これでいいか?」
『うん』
次の瞬間、ハーレイは遮蔽がなんたるかを悟った。
カイルが遮蔽を解いたからだ。
場の雰囲気ががらりと変わった。なぜ馬小屋で彼が遮蔽をしていたのか、今、馬を離れた場所に繋げるように警告したのか正確に理解した。
目の前にいるウールヴェから赤いオーラが立ち上る。泉にいた鳥たちは、一斉に羽ばたき、水を飲んでいた動物達は逃げ出した。
カイルは激怒しており、その怒りを今まで抑え込んでいたのだ。
『この腹黒精霊、でて来やがれっっっ!!』
青年の激怒ぶりと、精霊に対するあまりの不敬さにハーレイは絶句した。
セオディア・メレ・エトゥールは脳裏に響いた突然の罵声に、書いていた親書にインクをこぼした。
「……」
西の民の領地に、カイルが意識を飛ばしている事情は熟知していたが、いったい彼は何をしているのだろうか。
意識のないカイルの手を握って同調を補助していたファーレンシアと、それを見守っているシルビアは驚いて、顔を見合わせた。
アドリー辺境伯であるエルネスト・ルフテールは、ぷっと吹き出した。
彼と同じ声を聞いたのは、庇護している黒髪の歌姫だった。彼女は歌うのをやめて首を傾げた。
「……閣下、今の声はなんでしょうか?」
「ああ、気にしなくていいよ、ミオラス。聖地で精霊獣が遠吠えしたようだ」
「遠吠え……ですか?」




