(3)代価
「カイル様?」
「……僕は救い手ではない。『精霊』とやらも無関係だ」
「だが貴方は、ここにこうして現れたではないか」
――いや、それは僕にもわかりませんっ!こっちが聞きたいっ!
カイルはその叫びを押し殺し、冷静であることにつとめた。
「何かの間違いだ。僕はここにいてはいけない存在だ。先日ここに降りたことで罰を受ける身なんだ」
その言葉に、はっとしたように少女は顔をあげた。
「先日、私が話かけたせいでしょうか?」
鋭い。
「いや、うん、まあ……」
カイルの返答はやや歯切れの悪いものになり、少女に追い討ちをかけてしまった。泣き出しそうになる少女に青年が慰めの言葉をかける。
最高に居心地が悪かった。
「……話だけはきいているが、僕は北の進軍も南東の水害も力にはなれない」
「北⁉」
青年は顔色を変えて立ちあがった。
「斥候からはなんの情報もないが、北だと⁉」
青年の反応にカイルはファーレンシアを見たが、彼女はふるふると首を振った。
「私にはわかりませんでした」
二人が欲する一番の救いは何か?
カイルはこの場を収める覚悟を決めた。
「……何か、かくものを」
青年はすぐに動き、ドアの向こうに指示をくだした。
「羊皮紙とインクを持ってこい」
用意された羊皮紙をカイルは卓の上に並べた。彼はペンを取ると一気に書き出した。
ファーレンシアは察して、すぐに予備の羊皮紙とインク壺を窓際に用意した。青年はカイルの手元から目を離さないが、邪魔もしなかった。時々、少女が作業をしやすいように角灯の位置を調整したり、新しい角灯を用意したりした。
カイルは自分で光源を作ろうかと思ったが、さらに騒動になるので断念し、作業に没頭した。
すべてが完成し顔をあげたころには、窓の外が明るくなっていた。
――我ながら大作だな。
カイルは自画自賛をした。
「……地図か」
青年が茫然とつぶやく。
「こんな精密な地図は見たことがない」
その賞賛にカイルの自己満足はさらに満たされた。カイルはほんの数時間前のディム・トウーラの会話記録を思い出しながら語り始めた。
「ここに集団がいる。僕が先日教えてもらった『隣国との争い』に関連している」
若き領主はその意味を正確に悟った。
「そこは隣国の砦だ。戦争時には拠点になる」
ディム・トゥーラの推測は正しかった。
「人が集まりつつある。数は二千くらいだったかな」
観測ステーションの一日は対象目的の惑星と一致させていたはずだ。
「約十四日前の話だ」
「私とお会いした時ですか?」
カイルは少女に頷いてみせた。
「クレイ!」
扉から体格のいい武装した人間が入ってきて、カイルはぎょっとした。この惑星住人の体格の個人差は激しいのだろうか。そんなに身長の低くないカイルが完全に見上げるほどの男だった。2mを越えているのではないだろうか。
「――」
「――」
青年が厳しい調子で何事かを告げているが、先ほどと違って二人の会話は全く違う音声であり理解できない。
カイルは翻訳インプラントが作動していることを確認した。翻訳されないのは言語情報のサンプル不足によるものだ。
「……やっぱり会話は君達だけに限定されるんだな」
「そうなのですか?」
「僕の言葉は、君には問題なく通じている?」
「異国の方より、はるかに聞き取りやすいですわ」
カイルは二人を顎で示した。
「彼らの会話はさっぱりだ」
「……不思議ですわね。精霊の加護の有無でしょうか?」
また『精霊』――全く理解できないキーワードだった。
兵士らしき人物が立ち去り、青年はカイルに向き直った。
「カイル殿。その地図をお貸し願えないだろうか?敵の侵入を阻む最大の武器だ」
この領主は頭がいい。この時代に欠けていて持ちえない、『情報』が武器になることを理解している。
責任と重圧を背負っている目。
――こういう目は嫌いじゃないんだけどな……。
「地上への干渉は禁じられているんだ」
建前上の理由を述べたが、セオディアは引き下がらなかった。
「地上への公平さを欠くことは理解できる。『精霊』は人に組しない。『精霊の御使』である貴殿もそうであろう。だが、昔より隣国の侵入は頻繁で犠牲も多大だ。掠奪、虐殺――私はエトゥールの民を守りたい」
……ですよね。
カイルはため息をついた。
『カイル様』
そっとファーレンシアは思念を飛ばしてきた。
『どうか、エトゥールの民にご慈悲を』
いやいや、職場の解雇が確定している身としては、慈悲が欲しいのはこっちだ。カイルは心の中で嘆いた。
先の先まで考えて立ち回る必要があるのだ。『精霊』うんぬんの下りはまったく理解できなかったが、勘違いに便乗するのは悪くない。
カイルは青年を睨み、威圧した。
「これは禁忌とされている。これを手に入れるには、相当の代価と覚悟が必要だ」
嘘は言ってない。
兄妹はその言葉に息を飲んだ。
セオディア・メレ・エトゥールは一方で理解していた。これが市場にでていたら、大金を積み上げても入手するであろう。等価交換の要求は金か、地位か、それとも妹の身か?
「――代価とは?」
「とりあえず宿泊と3食昼寝付きで」
「は?」