(56)変革㉛
お待たせしました。本日分の更新です。
お楽しみください。
「こんにちは、お婆様」
カイルはナーヤに軽く会釈をして、用意された茶の席に腰を下ろした。
ウールヴェのトゥーラは、密かに連れてきた褒美をイーレに要求した。イーレは焼き菓子を数枚トゥーラに渡し、カイルは己のウールヴェが買収されていた事実に軽いショックを受けた。
「僕に用って何かな?」
「あ、じゃあ、私から」
イーレが軽く手をあげて先陣を切った。
とても穏やかな笑顔を見せられて、カイルは一瞬ひるんだ。実年齢を当てた時と、同じ微笑みだったからだ。
「イーレ?」
「私が西の地にウールヴェの肉を食べるためにいる、というのはやめてちょうだい」
カイルはイーレを見て、クトリを見た。
「クトリ……本人に密告しないでよ……」
「上司に報・連・相は、探索時の基本ですよね?」
「いや、これは例外だと思う」
カイルは開き直った。
「事実だと思うけど?ウールヴェの肉がなければ、嫁取り騒動も成立しなかったと僕はひそかに思っているけどね?間違ってる?」
「うっ……」
「そうそう、僕もイーレと話合いをしたかったんだ。僕の留守中にファーレンシアに何を吹き込んだのかなぁ?」
カイルの一見、穏やかな笑顔が凄みを増した。
今度はイーレがひるんだ。
「……夫婦生活における基本の基よ」
「『夫を甘やかすな』『厳しくしつけろ』『スキンシップの機会を逃すな』が?」
「西の地の教えを婉曲表現しただけよねぇ、どう思う、ナーヤ婆」
「世界共通の妻側の心得じゃ」
「ほら」
「開き直らないで」
「西の地だと、『手のひらの上で転がせ』だな」
ナーヤの言葉に、カイルはがっくりと肩を落とした。
「……お婆様」
「夫側の視点から言えば『妻に理があるときは、逆らうな』だ」
「……あとでそこら辺は、じっくり聞きたいかな……」
カイルがポロリと本音を漏らしてから、イーレへの談判に戻った。
「あと、僕の不在時に、ファーレンシアをカストの避難民に関わらせたよね?いくらイーレでもひどすぎるよ」
「私と若長が同行して護衛についてるのに、それは侮辱よ?」
「西の民化しないで」
「まあ、確かに侮辱じゃな」
「お婆様、侮辱うんぬんじゃなく、エトゥールの姫の安全について論じているんだ」
「いい方向に向かっているのに、何を憂う?」
ナーヤは平然と茶を飲んで言う。
「いい方向か、当時では判断できない」
「お前の未来は読めないが、姫の未来ぐらい読める。姫の行動力と勇気は称賛に価するものじゃ。もっと姫を褒めてやれ」
カイルは深く息をついた。
「子供のように見つけた宝をかかえて仕舞いこむのはやめろ」
「――っ!」
カイルは自覚があるのか頬を染めた。
「僕はファーレンシアが大事なんだ」
「わかっておる」
「アドリーかエトゥールの安全な場所から出したくないくらい」
「わかっておる」
「危険なことをさせたくない」
「お前をこの地上につなぎとめる錨の一つだと世界の番人も理解しておる」
「――」
「その点は、世界の番人を信用しろ」
カイルは不満そうな顔をしたが、お茶を一気に飲み干すことで、渋々とした承諾を示した。
カイルは飲み干した茶碗に視線を落とした。
「………………お婆様、鎮静作用の葉を入れたね?」
「入れたとも。怒れる野生のウールヴェは鎮めるに限る」
しれっと、ナーヤ婆は言って、空いたカイルの茶碗に二杯目を注いだ。
「僕がイーレに抗議するのを先見した?」
「したとも」
「僕に関して先見できているじゃないか。もっと、先見してくれても――」
「夫婦仲は、日常生活の類だろうが。世界の滅亡の先見と同列に扱うな、馬鹿たれが」
カイルが唇をとがらせた。
「それより、クトリの坊の話を聞いてやれ。本題はそちらじゃ」
話をふられてクトリは背筋を伸ばした。
「本題?」
「カイル……あのですね……僕の気のせいかもしれませんが、見落としが、あるかもしれないです」




