(1)社交
カイルは耳を疑った。目の前の兄妹から理解できない提案をされたのだ。
カイルが目覚めてから、平和な日々が過ぎていた。
今もシルビアとカイルはお茶を飲んで、穏やかな時間を過ごしていた。
二人の元を訪れたエトゥール人の兄妹の言葉は、その堕落した平穏な時間の終了宣言に近かった。
「待って、理解できない」
カイルは頭を整理した。
「エトゥールの作法を覚えた方がいいという話だったよね」
「はい」
にこにことファーレンシアが応対する。彼女はすごく楽しそうだった。
「遠出するためにも乗馬を覚えた方がいい、までは理解できる」
「はい」
「だが、ダンスを覚えろというのは?」
「宮廷作法の一環ですね」
「いやいや、それはいらないでしょ」
「実はそれが一番重要だ」と、少女の隣に立つセオディア・メレ・エトゥールが不吉なことを告げる。
「メレ・アイフェスが社交の場に出ないと非難轟々だ。エトゥール王がメレ・アイフェスの自由を奪い、監禁しているという噂があがるくらいだ。定期的に生存を周囲に知らしめる必要がある」
「定期的にって、一度ですまない、ってことでしょう」
「まあ、そうなる。外交として、晩餐会があり、そういう場がある以上、ダンスを含めた礼法を覚えていただきたい。大丈夫、書物を記憶できるカイル殿には難しいことではない」
決定事項のようにセオディア・メレ・エトゥールは話をすすめる。
「礼法、乗馬は学ぶけど、ダンスはない。絶対にない」
「そうか、晩餐会なら一度の挨拶ですむが、個々に面会したいというならこちらも無理は言わない。こちらがメレ・アイフェスが面会すべき貴族のリストだ。かなり絞ったものだ」
カイルは蒼白になる。侍女が持つ書盆に乗る羊皮紙は山積み状態だった。エトゥール王特有の冗談かと思えば、面会依頼の書は全て本物だった。
「さらに増えていくことは保証しよう。シルビア嬢と分担でかまわない」
「え?私ですか?」
シルビアは飛び火した話題に慌てた。彼女は書盆を目にしてから、きっぱりと言った。
「カイルがメレ・アイフェス代表として晩餐会に出席でよろしいと思います」
「シルビア! 僕を人身御供にしないでっ!」
「私はそのような場に出る服もありませんので……女性にとっては重要な問題ですから」
シルビアは完全に憂えるふりをして、カイルの退路を断ち自分の安全を謀った。
「そこなんです!」
ファーレンシアは両手を握りしめて、シルビアに同意した。
「もう、ドレスを作り始めなければいけない時期なのです。シルビア様、採寸をいたしましょう」
「え?」
「出る、出ないはともかく、男性の正装服より女性のドレスは作るのに時間がかかるのです。隣室に侍女が控えております」
「え?」
「布、デザイン、髪飾り、耳飾り、首飾り、靴――ああ、いろんなものを決めなくてはいけません!」
「あの……?」
「さあ、シルビア様っ!」
混乱の中、目を輝かせたファーレンシアに、シルビアはすごい勢いで隣室に連れ去られた。
「……策士、策に溺れる、か」
セオディアは笑いを噛み殺している。
「シルビア嬢のドレス姿は楽しみだ」
「シルビアを人身御供にするから、勘弁して」
未来が予想できたカイルは、ぐったりと告げた。
「ファーレンシアをエスコートしてもらう男性のメレ・アイフェスが必要だ」
「サイラスがいいよ。彼は毒舌さえなければ絵になる」
ファーレンシアの横にサイラスが立つ。それはきっと映えることだろう。誰もが認める美男美女のモデルのようなカップルが成立する。
――なぜだろう?なにか面白くない。
「……やれやれ、ファーレンシアも苦労する」
ぼそりとセオディアがなにごとかつぶやく。
「サイラス殿には廊下で出会った時に、打診しようとしたらすごい勢いで逃げ出された」
怖い物知らずの先発隊員が逃げ出すほどの危機とは恐ろしい。
「とにかく僕にはダンスなんか無理だ。そんな運動神経はない」
「……実は、ファーレンシアは去年まで身体が弱く、こういうことは無理だった」
意外な独白にカイルは意表を突かれた。
「え?」
「最近は発作も起きず、体力もついてきたようなので、彼女が望む形で初の社交会を味合わせたかった。そのため信頼できるエスコート役をカイル殿にお願いしたかったのだ」
「……」
「カイル殿なら短期間で礼法も学び終えるだろうと、ついファーレンシアに言うと、あの子は予想外に喜んでしまったが……」
「……」
「信頼できるエスコート役が得られないなら、彼女には次回の晩餐会における初社交は諦めてもらおう」
セオディア・メレ・エトゥールは残念そうに吐息をついた。
騙されちゃだめだ。騙されちゃだめだ。
すごい勢いで外堀が埋められているが、ほとんど脅迫に近い。これは間違いなく、メレ・エトゥールの陰謀だ。
その時、妙な思念を感じた。
ふりかえると部屋に残っている数名のファーレンシアの侍女達からすごく睨まれている。代表者はファーレンシアが信頼しているマリカだ。
――ファーレンシア様のエスコート役を断るだと?この不届き者がっ!
彼女達の目は間違いなくそう語っていた。
「……今回だけなら……」
「ん?」
「……今回だけならファーレンシアのエスコートをするよ」
「そうか、ありがたい」
メレ・エトゥールは手をたたいた。
「彼の気が変わらないうちに採寸を」
侍女達にカイルは拉致られた。