(18)宴⑦
カイルが何も言わないうちに、トゥーラは皆の前で大きくなり、ファーレンシアが乗りやすいように彼女の前で身をかがめた。
ファーレンシアが躊躇うことなくウールヴェの背に横座りした。諦めたカイルがその前にしふしぶ乗り込んで、自分の腰にファーレンシアの手をまわさせた。
「お忍びの予行練習ですね」
「僕はそんな気になれない」
「カイル様」
「うん?」
「ごめんなさい」
「君はズルいな、ファーレンシア。君が謝れば、僕は許すしかないじゃないか」
「はい、知ってます」
カイルは首をめぐらせて、背後に座るファーレンシアの顔を見た。少女は少し頬を染めていたが、自分の我儘を通したことに満足そうな顔をしていた。
彼女はカイルの将来の伴侶として行動を選択しているのだ。そこにはカイルに対しての想いがあり、カイルに強く伝わってきた。
「……やっぱりズルい」
カイルは溜息をつき、ウールヴェを空間に跳躍させた。
ウールヴェは城壁の連絡回廊に踊り出た。
カイル達が降り立つと、トゥーラはいつもの大きさに戻った。
城壁に沿って設けられている連絡回廊は、開口部からの光と太い石柱の影がコンストラストを生み出し、モノトーンの世界を展開させていた。
彼等がどこにいるのか、はっきりとわかったので、カイルはファーレンシアと共に歩いて行った。
途中、城壁の見張りの兵達は昏倒していた。カイルは彼等の脈をとり、生存していることを確認した。
アドリーの城壁の見張り位置を熟知している元辺境伯には、彼等の意識を奪うことなど容易かったことだろう。
「エルネスト、アードゥル」
カイルが前方の回廊の柱影に呼びかけた。
「御前試合が終わってもいるのは、僕に用かな?」
カイルの言葉に人影が現れた。
フードを被った黒い外套姿のエルネストだった。
「何も見張兵の意識を奪わなくても、貴方なら気配を消すのはお茶の子さいさいでしょ?」
「出奔した辺境伯が闊歩していた目撃情報が横行したら困るのはそちらだろう」
「僕は暫定辺境伯だから、いつでも貴方に爵位をお返しするよ」
「エル・エトゥールと婚約破棄になっても?」
「――」
痛いところを突かれ、ぐっ、とカイルは唇を噛み締めた。
「大丈夫です。その時は駆け落ちをする予定です」
そう答えたのは驚くべきことに、ファーレンシアだった。
「前例もあることですし、社交会に斬新な話題を提供するのが、子供の頃からの夢でした」
ファーレンシアはにっこりと応じる。
姫の割り込みにエルネストは片眉をあげたが、エトゥールの正式な礼を返してきた。右手を胸にあて、90度の礼だった。
「エル・エトゥール」
「エルネスト・ルフテール」
それに対して、ファーレンシアはドレスをつまみあげ、わずかに膝をおる簡略な礼だった。完全に臣下扱いだった。
「エル・エトゥールがご一緒だとは驚きです」
「アドリー辺境伯の婚約者として、元辺境伯にご挨拶する必要を感じましたの」
「婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。婚約の儀に出席していただけなく、残念に思います」
社交辞令でありながら、ピリッとした皮肉をおりまぜるファーレンシアにカイルは驚いた。
それはエルネストも同様だったようだ。
「いつになく、厳しいお言葉ですね?」
「私の婚約者に対する不敬は許しません」
微笑みながらも、ファーレンシアははっきりと口にした。
「以後、気をつけましょう」
エルネストが譲歩したところで、カイルは告げた。
「西の地の占者からの伝言だよ。賭は貴方の勝ちだって」
鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてから、エルネストは大笑いを始めた。
カイルとファーレンシアは、その反応に戸惑った。
エルネストは腹を押さえ込んで、笑いに耐えていた。
「いやいや、さすが占者だ。ありがとう、私の勝ちを宣言してくれて。なかなか負けを認めない頑固者がいて、毎回、手を焼いている」
「毎回?」




