(53)閑話:アイリの菓子②
アドリーの厨房下克上物語。プラス食い意地のはったウールヴェのネタ。
「私のアイリの菓子を横取りするとは、万死に値します」と言ったとか、言わなかったとか……アドリーの口伝がひとつ誕生。
「マリカ!」
「アイリ!」
ウールヴェの背中に乗って到着した人物達を見て、ファーレンシアとシルビアは歓喜の声をあげた。
ウールヴェの移動が初めてであるマリカは蒼白になっており、同行者である専属護衛アイリに支えられるように、降り立った。
「ファーレンシア様?本当にファーレンシア様?」
侍女であるマリカはガタガタふるえて、まだ空間移動の現実が把握できないでいた。だが目の前に遠く離れたアドリーにいる主人の姿を認め、遠距離の移動をようやく理解したのだった。
「マリカ、私です。本物です」
ファーレンシアが再会の嬉しさのあまり、強く手を握った。
「こ、怖かったです」
「よく、来てくれました。貴方がいないと不自由で」
ファーレンシアは本音をぽろりと漏らした。
アドリーで滞在中に充てがわれた侍女はいても、長年の付き合いがあるマリカには敵わない。マリカはファーレンシアの好みや癖、望むことをすべて熟知しているのだ。
今回は御前試合と、探索にからんだ急な移動だったため、侍女も専属護衛も置き去りにしてしまった。
メレ・エトゥールの到着までの我慢と思っていたが、メレ・エトゥールがウールヴェでの移動を指示したという。
「まあ、メレ・エトゥールにお礼を言わなければ」
――シルビア様、メレ・エトゥールの術中に、はまっています
シルビアを除く3人の女性は、同時に思った。
メレ・エトゥールはシルビアからの好感度を荒稼ぎした気配があった。
「アイリのお菓子がなくて、死にそうでした」
「あら、カイル様宛の書状とともに送る、とメレ・エトゥールに命じられてお菓子の小袋を作りましたけど?」
「お恥ずかしいことに3袋では、焼石に水でした」
恥いったように頬をそめ、シルビアが懺悔する。
「3袋?いえ、10袋以上作りましたが」
「………………」
「………………」
「10袋?」
「はい」
話が噛み合わず発覚した事実に、シルビアとアイリがしばし見つめあった。
「私のウールヴェに託したのでしょうか?」
「いえ、カイル様のトゥーラが来た時に。ほら、シルビア様のウールヴェは小柄で量を運べませんでしょう?」
「…………トゥーラに?」
荷抜きの犯行の気配があった。
「………………トゥーラ、私のお菓子を横取りしましたね?」
再会の場の温度が急に下がり、ウールヴェは軽い気持ちのつまみ食い――量的につまみ食いでは最早なかったが――が、優しいシルビアの怒りを招いた事実にようやく気づいた。
――ご、ごめんなさい
「許しませんっ!!!」
「シルビア様、落ち着いて!!」
「すぐにお菓子を作りますから、落ち着いてくださいっ!!」
「トゥーラ!すぐにカイル様の元に戻りなさいっ!!」
女性3人がかりで、怒れる賢者を押さえ込み、その間にトゥーラは光速の速さで逃げ去った。
そこからはアイリの神業が発揮された。
彼女はアドリーの厨房を借りると、短時間で調理ができ、創作に飛んだ菓子を作り始めたのだ。
芸術のような薄さの焼き生地に巧みに薄く切った果物と生クリームが配置され、食べ易いように折り畳まれた。
厨房に高貴な方々が足を踏みいれることを、周囲は大反対したがそこを丸めこんだのは、菓子に執念を燃やすシルビアだった。
「賢者たるもの、あらゆる知識を欲しております。それが厨房の備品だろうが、菓子の作り方だろうが知識に国境はありませんので」
フォローしたのはファーレンシアだった。
「メレ・エトゥールを迎えるにあたって、足りない厨房器具や什器はありませんか?カイル様が気にしておられました」
この一言でアドリーの料理人の陥落に成功した。
次々と手際良くクレープをアレンジしていくアイリは、シルビアのウールヴェに対する「食い物の恨み」を消し去ることに成功していた。
シルビアは満面の笑みで平らげていく。
「次は野苺のジャムを加えましょう」
「まあ、なんて素敵」
普段は生真面目な女賢者の表情は、完全にくだけていた。
「……ファーレンシア様」
ファーレンシアは、不敬を覚悟で小声で話しかけてきた料理人を、振り返った。
「滞在中、シルビア様は晩餐にご不満があるように見受けられましたが、もしや、それは――」
「デザート類の不足です」
ファーレンシアは認めた。
「デザート類に力を入れていただけると、シルビア様は喜ばれます。シルビア様が好物のレシピは、専属護衛のアイリが全て知っています。シルビア様が満足されると、メレ・エトゥールの覚えがめでたくなるのは保証します」
アイリはこの瞬間、アドリーの厨房の全権限を手に入れた。




