(26)癒しの風⑤
「癒しなんだから、怪我人が対象でしょう」
「話が少し噛み合わないわね」
ジェニ・ロウは子犬サイズのウールヴェを見下ろす。
「貴方が嫌みでやっていると思ったのだけど?」
『私ではない。嫌みって、私を何だと思っているんだ』
「世界最大級のヘタレ」
言葉の暴力の直撃に、さらに縮みそうになるウールヴェをディム・トゥーラは庇うように抱き上げた。
「やめてください、ジェニ・ロウ。これ以上の彼へのダメージは、今後の進行に影響を与える」
『ディム・トゥーラ』
庇ってくれる存在にリードは感謝の視線を投げた。
「カイルを救出した暁には、存分にどうぞ」
『……………………』
ディムの腕の中でウールヴェは、物問いたげにエド・ロウを見た。エド・ロウは肩をすくめて見せた。
「すまない。彼はカイル・リードがからむと、やや人格に難がでる」
『喜んでいいのか、嘆くべきか困る事案だ』
「好きな方でいいと思う」
『ジェニ・ロウ。先ほども言ったように私の行為ではない。地上にいるカイル・リードがやっている。世界の番人も多少は補助をしているだろう』
ジェニ・ロウはその言葉を吟味しているようだった。
「本当に貴方ではない?」
『私ができるなら、君に食らったダメージを自己修復していると思わないか?』
「それもそうね。でも、これがカイル・リードがやっているのも問題になるわ」
「なんだって?」
ディム・トゥーラは、その言葉に眉をひそめた。
「どういう意味です?」
「そのまんまの意味よ。ちょっとは想像力を働かせなさい。これだけ強大な能力者を中央が放置すると思うの?こちらに戻れば、彼は間違いなく実験材料よ」
ジェニ・ロウは、淡い光がとどまることなく落ちてくる部屋の天井を示した。
「これを隠蔽する必要があるのだけど、もちろん協力してくれるわよね?」
――このエトゥールの癒しがディム・トゥーラに届けばいいのだけど
そんなことを思いながら、カイルがふと目をあけるとそこは聖堂ではなかった。
ただ白い空間が広がっていた。
――また世界の番人の精神領域に足を踏み入れたのだろうか。
だが、感じる気配はあの時とまったく違った。
耐えがたい重圧はなく、どちらかというと、西の地の禁足地に足を踏み入れた時の平穏さがあった。
そう感じた時に、景色は一変した。
「え?」
白い空間は一瞬にして、緑の平原が広がる西の地の禁足地にすりかわった。それは巨大画面で周囲映像を変化させたような感覚だった。
カイルは冷静に周囲の光景を観察した。
間違いなく、カイルの記憶にある西の地の禁足地と一致していた。それは一致しすぎていた。
「これは僕の記憶から抜き取ったの?」
カイルの質問に空間が揺らいだ。
草原の奥に、人が立っていた。カイルは既視感を覚えた。遠すぎて輪郭がぼやけていたが、あの時、のちにリードと名付けられたウールヴェを送り出した女性のように思えた。
――どういうことだろうか
カイルは顏もよく見えない遠方の女性を見つめた。彼女は立ち止ったままだった。
カイルは近づこうとしたが、そこには見えない境界線があり、それ以上近づけなかった。
カイルは困り果てた。相手の意図がわからない。
やがて、彼女がゆっくりと頭を下げた。その所作は、カイルもよく知っていた。最大級の敬意を表現するエトゥールの女性の礼だった。だが、それだけではなかった。
いつのまにか彼女の背後に、何十人の男女の人影と同じ数のウールヴェがいるのが見えた。
彼等も同じようにカイルに向かって拝礼をした。
「――」
遥か彼方に見える彼等に、質問を発する前にカイルはそこから解放された。
目をあけると、そこはエトゥールの聖堂の中であり、膝の上の子犬サイズだったはずのウールヴェは、元の大きさの巨大狼もどきに戻っていたが、重量を全く感じさせなかった。
――おかえり
カイルの膝の上を占拠しているウールヴェのトゥーラが呑気に挨拶をしてきた。




