(2)魔の森②
――あ-あたしのバカバカバカ。こいつらに荷馬車と馬を盗まれちゃう。父ちゃんの思い出が詰まっている荷馬車なのに。
リルは激しく後悔していた。
もっと明るいうちに帰るべきだった。街に大道芸人がいたから、つい見惚れてしまった。その帰り道の待ち伏せだ。
荷馬車の中身は当座の食料品で、金目の物はない。となると、馬と荷馬車ごと奪われる可能性がある。それは非常に困るのだ。
御者台から引きずり下ろされた。午後のこの時間に誰も通りかからない。魔の森の近くだから当たり前だった。
魔の森は、商人泣かせの危険な場所だ。
最近は魔獣の四つ目の犠牲になる隊商も多い。夕暮れまでに次の街に辿り着かなければ、死を覚悟しなければならない。だから、皆午前中の移動を選ぶのだ。
リルは抵抗して相手を噛み、思いっきり殴られた。口の中に血の味が広がる。痛い。でも泣くもんか、とリルは唇をかみしめた。
突然、自分を殴った盗賊がいきなり真横に吹っ飛んだ。
――え?何?
リルは呆然とした。リルを庇うように目の前に黒髪の男がいる。
その男が盗賊の脇腹を蹴ったからだ、とリルは理解したが、蹴られた男は10メートルぐらい飛ばされなかっただろうか?
仲間がやられたことに気づいた盗賊団は襲撃に剣やナイフを抜いて構える。が、襲撃者の方が早かった。素手で犯罪者達に殴りかかる。
「危ないっ!」
男に向かって放たれた後方からの矢は、途中で見えない壁に弾かれた。
――今の何?精霊様?
男は目の前の男を掴み上げると、かなり離れた距離にいる射者に目掛けて無造作に投げた。投げられた男は、そのまま小石のようにまっすぐ飛び、弓を構えていた男を直撃した。
『おいおい、殺すなよ?』
「え?正当防衛が成立しない?」
『そんなのこの世界にあるかわからないだろう?』
黒髪の男は、武器を持った盗賊団相手に素手で立ちまわって、たまに見えない力で跳ね飛ばしている。この人は精霊使いかもしれない。そういう不思議な力を持つ人々がいると言う噂は聞いたことがある。
髪は黒いし、長い髪を後ろで束ねている。東国の人がそんな髪をしている。白い変な服もそのためかもしれない。
男の武術は変わっていた。まるで舞踊だった。少ない動きで、簡単に攻撃を躱して、流れるように反撃している。
5分もたたずに一方的な闘いは終わった。男は息を乱してもいない。
リルは突然の救世主にあっけにとられた。男は近づいてくるとリルを助けおこしてくれた。
「あ、ありがとう……」
「ドウイタシマシテ」
片言のエトゥール語。やっぱり異国の人だ。
彼は自分が半殺しにした盗賊達を見下ろし、指でさした。
「コレ、ドウシタライイ?」
「どうしたらいいって、街の警護隊に引き渡して――」
男は首をかしげる。
――え?そんな基本的なこと知らないの?
東国のお貴族様だ。リルは確信した。
リルは街道のそばの小さな街の警護隊に盗賊団を引き渡すことにした。黒髪のお貴族様は同行を拒んだので、その場で待ってもらうしかない。
男は縛りあげた盗賊を、ひょいっと軽い荷物のごとく乱暴に馬車の荷台に放り込んでいく。
――細身なのにすごい怪力……
彼はリルの視線に気づくと、唇に指を1本たてた。他の人には黙ってろ、ということらしい。こくこくとリルは頷く。
「絶対ここにいてね」
男は少し考えこむかのように首を傾げた。
「どこにもいかないでね?約束だよ?」
男が頷いたので、リルは安心して馬車の向きをかえて近くの街に向かった。
「子供なのに荷馬車を操ってるよ」
『けっこう手慣れているな』
「あの子はどこに向かったのかな?」
『ああ、街道を東に三キロほどのところに町がある』
「意外に治安が悪いね?街道に盗賊がでるとは」
『周辺の情報がないからなんとも言えないな』
「それにしても年齢相応の子供は、癒されるねぇ。誰かとは大違いだ」
『……その件についての感想は、生命にかかわるので黙秘権を要求する』
ガツっと音がして、音声が途絶えた。
「黙秘になってないし」
サイラスは大笑いした。




