(3)事故
「カイル・リード!」
脳天をつく怒声と目の前に迫る男の顔があった。茶色の髪、茶色の瞳。自分に覆い被さるように深刻な顔をしているのはディム・トゥーラだ。彼が慌てているのは珍しい。
「――ディム、おはよう」
がっくりと長身のディム・トゥーラは、力つきたように膝をついた。周りで歓声があがった。
「なんだ、その呑気な反応は……」
「……なんだと言われても……何慌ててるわけ?」
「……お前、今、心拍停止していたぞ」
「へ?」
自分を取り囲む医療スタッフ達が大きく頷く。
「……マジ?」
「マジだ。自分の名前を言えるか。ここがどこかわかるか?」
「カイル・リード。観測ステーション」
「脳波、生体反応はそのまま記録しろ。精神跳躍による後遺症が怖い」
返答を無視するかのように、周囲に指示を出すディムにカイルはむっとした。だが尋常じゃない医療スタッフの数に事故が起きたことは事実のようだった。
「正常値を維持しています。今のところ問題ありません」
若い長い銀髪の女性が答える。
「誰か一人専任でそのまま生体反応追跡してくれ」
「私がします。二週間監視入院を推奨します」
「遮蔽隔離病室を一つ確保してくれ。普通の病室じゃだめだ」
「了解です」
「さて、カイル」
ディム・トゥーラは横になったままのカイルを見下ろした。
「俺は支援追跡が万が一切断したら、直ちに探索を中断しろと指示したよな?」
怒りの波動が彼の全身から滲み出ていて、周囲を圧倒した。
「切断後1時間帰還せず、あげくの果ての急性心拍停止の蘇生処置。このプロジェクトの初の死者登録おめでとう。さあ申し開きをきこうか」
ヤバい。ディム・トゥーラが怒っている。
「切断されたあとのトゥーラの慌てぶりは、記録に残してあるから、あとで楽しみなさい」
フォローにならないフォローを医療担当になったシルビア・ラリムがする。彼女のいつもの無表情と言葉から直訳すると、ディム・トゥーラを止める気はないということだ。
「……本当に心拍停止したわけ?」
「すぐに自動で蘇生処置がほどこされましたが、意識は戻りませんでした。素体事故か記録が中断されているか、不明です。心当たりの記憶はありますか?」
「あ――」
心当たりは現地の少女と接触したことしかない。適用法が変更になったとディムは言っていた。
違反者として、観測計画からはずされ、中央への強制帰還となることは、カイルはなんとしても避けたかった。
「――記憶が混乱していて……」
シルビアは嘘を見抜くような青い瞳でカイルをじっと見つめた。
カイルはたじろぎ、心が読まれないように、そっと思念遮蔽を強化した。
「……そうでしょうね。蘇生時の記憶の混乱はよくあることです。どこらへんまで記憶がありますか?」
「素体から離脱しようと、落ち着ける場所を探して……」
「探して?」
「……そこから記憶が曖昧……かな?」
「そうですか」
シルビアの反応が冷たいのは気のせいだろうか?
「生体反応はそのまま追跡記録させていただきます。療養期間を二週間。仕事は禁止。それではトゥーラの説教の上限は3時間ほどにしてもらいましょう」
「……その上限がないと?」
「彼は24時間ほど小言を言いたいそうです」
彼女の背後に、憤怒の表情をしているディム・トゥーラが腕を組み、待機していた。古代史に出てくる宗教遺物の彫像がこんな感じだったと、カイルは記憶していた。
カイルは思わずシルビアの腕をつかんだ。
「何ですか?」
「まだ、行かないで」
「何か問題でも?」
「このあと、すごい心理的ストレスがありそうな気がする」
「奇遇ですね。我々も先程、すさまじい心理的ストレスに見舞われました。貴方の支援追跡をしていたディム・トゥーラも同様だと思います」
「シルビア」
「諦めて怒られてしまいなさい」
「医者は担当患者の希望に寄り添うべきだ」
「無理です」
そのあと、本当にノンストップの説教が続いた。途中で所長のエド・ロウとオブザーバー役のイーレがディム・トゥーラを宥め、引き離さなければ、まだまだ続いたかもしれない。周囲はいつもと違うディム・トゥーラに唖然としていた。
カイルはカイルで思わぬ展開に呆然としていた。
何も死ぬ要素はなかった。素体が事故をおこしても本体が死ぬことは、ほぼない。なぜ、心拍停止は起きたのだろうか。
※ディム・トゥーラの憤怒ぶりの古代史宗教遺物彫像は、東大寺・南大門の金剛力士像(運慶作・阿形像)あたりでご想像ください(笑)