(12)刺繍
ファーレンシアは刺繍をしている手を止め、思い出し笑いをした。
「ファーレンシア様、どうされました?」
一緒に作業をしている侍女のマリカが尋ねる。
「カイル様のことですか?」
ファーレンシアは頷いた。
侍女総出でカイルの長衣を何着か作っていた。嫌がる者はいない。むしろ参加したい侍女が多すぎて、ファーレンシアが作業を細かくふりわけたぐらいである。
城内にカイルの贔屓集団が出現していたが、本人には黙っていようとファーレンシアは思った。
「カイル様がいらしてからよいことばかり起きますね」
「本当に」
侍女の一人はうっとりと思い出した。
「あの東屋でのカイル様は、とても絵になっておりました。書を読むカイル様、それを見守るエトゥールの精霊鷹、それから精霊鷹は彼を祝福をし、大空に羽ばたたいて去るのをカイル様はいつまでも見送って……」
目撃した侍女全員がうっとりと神聖な場面の余韻に浸り出した。
目撃できなかった侍女達がずるいと唇をとがらせる。日頃の行いの差だ、とか揶揄いの言葉が飛び交った。
――だいぶ脚色されている……
ファーレンシアがカイルから聞いたのは、忍耐度を試す無視合戦だった。侍女の語る描写をカイルが耳にしたら、全力で否定するであろう。
ふふ、とファーレンシアは笑いをもらす。
カイルが精霊鷹を苦手としていることはファーレンシアだけが知る秘密だった。
ファーレンシアは沈黙を守ることにした。
「はいはい、皆さん手が止まっていますよ」
女官長が注意を促し、作業は再開されたが、話は盛り上がった。
「カイル様は気さくな方ですね」
「優しいですし」
「時々、精霊樹の前で空を眺めていらっしゃる姿が、これまた絵になっていて……」
「無事でよろしかったですね」
マリカがそっと告げる。彼女が最初にカイルの不在に気づいたのだ。聞いたファーレンシアは胸騒ぎを覚え、自分の近衛隊を動かした。
怪しいフードの男の目撃情報にファーレンシアはぞっとした。エトゥールを導くために異国の客人がいることは、すでに有名になっていた。今回の戦況を有利にした知恵者だとも。
誰かが彼を害そうとしている。
心配でファーレンシアの胸は張り裂けそうになったとき、精霊鷹が彼女の元に舞い降りた。
――ああ、助けてくれるのね
すぐに羽ばたいた吉兆の鷹をファーレンシアは指差した。
「あの鷹が導きます」
エトゥールの姫巫女の言葉を誰も疑わなかった。
そして精霊鷹は導いた。
今回の不祥事に彼は激怒せず、むしろ救助の礼を言われた。
本来なら、外交問題に発展するエトゥールの大醜聞だった。寛大な対応に関係者は胸を撫で下ろした。
事件で保護した好戦的な西の民は、滞在中に護衛をつけることを侮辱と憤ったが、カイルの助言であることをつけ加えると、不思議なほど静かに受け入れた。
彼はどうやって西の民の心を掌握したのだろうか。
一緒に保護された子供は、北からの伝令だった。彼が襲われ監禁されたために、隣国の進軍の動きが伝わらなかったのだ。
あの出会った夜、カイルの言葉がなければ、今頃城下まで侵略されていた可能性すらあった。
ファーレンシアは戦場にいる兄に今回の事件を手紙にしたため早馬で知らせた。彼の返事は、勝利をおさめたので数日中に帰還する旨だった。
エトゥールの憂いの一つが取り除かれたのだ。
「意匠はどうされますか?やはり精霊鷹でもいれますか?」
マリカの問いに物思いから覚める。
ファーレンシアは悩んだ。精霊鷹嫌いのカイルに着てもらえないのは困る。
「知恵の象徴の精霊獣にしましょう」
「まあ、ふさわしいですわね」
不意に悪戯心がめばえ、ファーレンシアはこっそりと裾裏に赤い精霊鷹を刺繍した。それに気づいた時のカイルの反応を想像するのは楽しかった。