(9)西の民①
やあ、ディム、元気かな?
地上の生活はとてもエキサイティングだ。僕は今、斬新な経験をしているよ。
なんと「牢屋」に入っているんだ。
陽の光がささない地下と思われる場所。古典文化を代表するような鉄格子。床は境壁止水が甘いのか、水がやや滲み出ている砂利土だ。灯もない。考古学の専門家が狂気乱舞しそうなネタの宝庫だよ……。
支援追跡者へ報告の義務はあるが、ありのままに語ったらディム・トゥーラに殺されるだろうなあ、とカイル・リードは思った。
城内でいきなり背後から襲われたのだ。
布に染み込まれた怪しげな臭いに意識を奪われ、気がつけばここにいた。ほぼ真っ暗だが鉄格子は確認できた。
カイルは体内の麻酔成分が中和されたことを確認した。緊急用の治療チップが自動消費されていた。
なるほど、この世界にも麻酔が存在するのか。新しい発見にカイルは満足したが、シルビアあたりがいれば「論点はそこですか?」と突っ込まれそうだった。
まさか城内で蛮行にあうとは思わなかったので、油断していたのも事実だ。
ただ自分が拉致される心あたりは全くない。人違いか金目当ての犯行か。
いったい犯人たちはどうやって城への侵入をはたしたのだろうか。スカスカの警備の方がはるかに問題だろう。
金属の手枷をつけられていたが、カイルは防御膜を発動させ、拘束していた金属を酸化腐食させ自由を手に入れた。
長衣の下の研究員服に組み込まれている小さな金属球を取り出し、スイッチをいれる。簡易の浮遊灯だ。まさか消灯後のステーション内を歩くための懐中電灯がこんなところで大活躍とは思わなかった。
灯がともり、カイルは自分の長衣に泥の滲みができていることに気づき、しょんぼりした。ファーレンシアが用意してくれた長衣は刺繍が素晴らしく、カイルのお気に入りだったのだ。
――おのれ、犯人めっ!!
カイルの怒りのベクトルはややずれたものだったが、本人に自覚はなかった。
浮遊灯がふわふわと空中を移動し、カイルは周辺を確認した。
「!」
離れた場所に手枷をつけられた子供が地面に転がっている。暴行を受けたのか痣だらけだった。息があることを確認して、違反行為を承知で裏技的に治療することにした。
目撃者がいなければ、応急処置をしてもいいだろう。
この世界には存在しない道具を使っての治療が終わると、子供の痣が薄くなった。長衣を脱ぎ、子供を包みこんで傍に横たえた。
看守がいないから恐らく非合法な監禁所か。ただ犯罪組織の拠点だとしてもこの子供と自分の共通点が見つからない。人身売買や奴隷はこの時代なら大いにありえる犯罪で子供をどこかに売るために監禁していることはあるかもしれない。
カイルは考え込んだ。
ここはエトゥールの街中か、街外か。
とりあえず、子供を連れて脱出を図ろうと立ち上がったカイルは、背後の闇からすさまじい殺気を感じた。
闇の中に獰猛な人食いの獣がいる心象だった。
――待った、動物の生餌というのは予想外だよ⁈
構えるより早く獣が飛び出してきて、カイルに襲いかかり押し倒した。
獣は人間だったが憎悪と殺意の塊だった。触れた瞬間に流れ込んでくる怒り、憎しみ、後悔と悲しみ――。
『――僕は敵じゃないっ!』
本能的に思念波を放った。男の振りかざした手が空中で止まる。
男は組み伏せたカイルをそのまま睨みつけていた。
「僕は敵じゃない」
「――」
帰ってきた言葉はエトゥールの言語ではなかった。
休戦の合図のように男は手にあった凶器を放り捨てた。それは拳大の石でカイルはぞっとした。撲殺されるところだったとは、斬新を通り越していた。
男は激しく息を切らしていたが、それは衰弱のためだろう。目がかなり鋭く、強面だ。頬がこけ、肉がそげ、長期間食事をしていない飢餓状態のようだった。だが、着ている衣服はエトゥールのものではなく、異国の装飾だった。薄汚れた服と無精ひげが彼の拘束時間を物語る。
自力で拘束をといたらしく、彼の片手には手枷の鎖が垂れていた。
カイルに興味をなくしたように、男は身体を起こし、あっさり彼から離れた。よろよろと立ちあがると奥に向かう。
驚いたことに奥にはさらに数人横たわっていた。衣服が似ているから彼の仲間であろう。
中でも老人はひどい状態だった。
老人の容態を見ようと手を伸ばすと、男に手を弾かれた。
「容態を見るだけだ」
男は顔をしかめたが、敵意がないことを認めたらしい。カイルが老人に触れることを許した。
暴行の跡、重度の栄養失調、脱水症状、発熱、肺炎の症状――生きているのが不思議なくらいの状態だった。
――長期間食事を与えず監禁されていたのか……
カイルは浮遊灯の照度を落とし、治療をすすめた。男はカイルを見張っており、仲間に何かあれば報復する気満々だった。
1時間がすぎ、老人と仲間の手当で彼の敵意はだいぶ和らいだようだった。が、自分の手当を許すほどではない。彼自身が重度の栄養失調のはずだが、動けるタフさにカイルは驚いた。
カイルは応急処置キットの中にあった携帯食糧を剥いて男に差し出した。男は首をふり拒絶したが、カイルは一口齧り再び差し出した。毒見に安心したのか今度は受け取り貪りくった。
だが、油断はしていない。鋭い眼光は、常に周囲を警戒している。
カイルは猛獣を餌付けしている気分になった。
男は食べ終わると、自分の手を開いたり握ったりしていた。
それからカイルの腕をたたき注意をひいた。
自分を指差す。
「ハーレイ」
名乗りはコミュニケーションの基本だな、とカイルは微笑んだ。
「カイル」
「……エトゥール?」
エトゥール人か、と問われたようなので正しくないが頷く。
ハーレイは顔をしかめた。エトゥールへの憎悪が感じられる。まあ、ここに閉じ込めたのがエトゥール人ならば彼の憎悪も仕方なしで――。
……そんな猛獣をエトゥールの城下に離すのはまずくね?
仲間が死んだら城や街に殴り込みをかけて大暴れする彼の姿が浮かぶ。
これはどう解決したらいい案件なんだ。そもそもなぜ彼等は監禁されて殺されそうになったのか。明らかに異国の装束で――。
「……西の民?」
隣の男への疑問系の問いかけに、男はカイルをじっと見つめ頷く。
――西国の民との和平もままなりません
ファーレンシアの言葉が蘇る。
和平もままならないって、この状況では無理だ。彼はエトゥールを憎んでいる。
いや、そうではない。エトゥールと西の民を不和に導こうとする悪意ある集団がいるのだ。セオディアとファーレンシアはその悪意の存在に気づいて救い手を『精霊』に求めたのではないだろうか。
カイルは二人の抱えた問題と見えない敵が大きいことに憂えた。