(8)精霊
一方、カイルを悩ましたのは『精霊』という概念だった。ファーレンシアに何度も説明されたが、わからなかった。
世界と自然を支配するという『精霊』――姿形のない非物質な存在が、ファーレンシア達に様々な助言や加護を与えているということが理解できなかった。
『精霊』の加護を得られるのは、ほんの一部の人間だという。
「その精霊の加護があるなしで、身分がわかれるの?」
「そういうわけではありません。貴族でも加護を持たないものは多数います」
「どうやって、その見えない存在と会話を交わすの?」
「声が聞こえたり、夢をみたり……」
「――」
「おかしな話に聞こえますか?」
「よく、わからない」
「困りました。兄ならもっと上手く説明できると思うのですが」
ファーレンシアは説明の難しさに途方にくれていたが、カイルも困惑していた。
子供の絵本にも精霊は登場していた。
道徳を教えるための架空の存在かと思えば、そうではないという。
だが、カイルが思念の網を薄く広げて探索しても、それらしき存在は感知できなかった。
カイルには見えない。感じることもできない。
何を基準に『精霊』は加護を与える人間を選ぶのだろうか。
もしかして『精霊』が探索機械を壊したのだろうか?
そうすると『精霊』は物理的破壊力をもった恐ろしい存在になる。
初代エトゥール王は建国のおり、幾つもの精霊獣を従え、加護を得て、理想的な統治を行ったという伝説があるらしい。
赤い精霊鷹はその精霊獣の一つ、ときいて、カイルは再び冷や汗を流した。
――いやいや、僕が同調した鷹は、たまたま赤かっただけで、人目のつかない絶滅危惧種とかだったに違いない。
得体の知れない精霊獣に同調したとカイルは絶対に考えたくなかった。現実逃避と言われてもいい。カイルは精霊について考えることをやめよう、と強く思った。
ところが、そう決意したにもかかわらず、中庭にいると幾度か精霊鷹を目撃した。
周囲は吉兆と繁栄守護の印の頻繁な降臨に歓喜したが、カイルは目撃しても徹底的に無視した。
――見ていない。僕は何も見ていないぞ。
あるときなどカイルが東屋で本を読んでいるすぐ目の前の石卓に舞い降りてきた。
「……」
カイルは無視を決め込んで本を読み続けたが、鷹も動かない。
そのうち、近くを通りかかった侍女がその光景を目撃した。邪魔をしないよう遠巻きに傍観者がわらわらと増えていくのをカイルは感じた。
――いや、邪魔してくれっ!
忍耐競争はカイルが負けた。
無視だ、無視。
呪文のように唱えると、さも本を読み終わったように立ちあがり、東屋をでた。
すると背後から羽音がし彼の肩付近を赤いものがすり抜け、目の前で急上昇した。驚いたカイルは思わず見上げてしまった。
鷹は彼の頭上を三回旋回すると、彼方へ羽ばたいていった。
――この野郎っっっ!
それはカイルが子供をからかった時の飛行軌跡と完全に一致していた。絶対に初回探索の嫌味だ。そうに違いない。
カイルは無視を決意したことを忘れ、去っていく赤い鷹を心の中で罵倒した。
その日、精霊鷹が異国の客人を祝福したという噂が流れた。
目立たないように生活したかったのにどうしてこうなる。カイルは嘆いた。
いろいろあるが三食昼寝付きの生活に慣れてきた頃、事件は起きた。