(6)地上生活①
セオディア・メレ・エトゥールは、すぐに兵を率いて北部に向かった。
こんな初対面の男の話をよく真に受けたな、とその判断力と実行力にカイルは感心した。いや、実は信頼しているのは妹の異能かもしれない。
ファーレンシアは兄の指示を得て、カイルに部屋を用意したが、それは豪華すぎるものだった。
寝台も調度品も高級品であることは間違いない。自分が要求したにもかかわらず、想像以上の好条件にカイルの方が怯んだ。
「本当にここを使っていいの?」
「はい」
ファーレンシアは微笑む。
「等価交換の条件ですから。兄から最高級のもてなしをするよう、申し付かっております」
結局、あの時カイルは戦術的に必要になる数枚の周辺地図しか渡さなかったが、セオディアはそれで満足だったらしい。とりあえず滞在先は確保できた。重大な問題の一つが解決できたのだ。
次に立ちふさがったのは、当然ながら言語の問題だった。
予想通りファーレンシア以外と会話が成立しなかった。少女は通訳をかってでたが、いつまでも領主の妹姫に頼るわけにもいかない。
カイルはエトゥール語を学ぶ決意をした。
カイルはファーレンシアに基本文字を教わり、子供用の教本と辞書を借りた。辞書の内容を丸暗記することは容易く、基本発音をファーレンシアに協力してもらい、矯正するとあとは簡単だった。
翻訳インプラントが言語情報の記録をはじめた。
言葉の通じない使用人は、身振り手振りで突然の異国の客人と意思の疎通を試みたが、カイルは借りた辞書を片手に筆談という形で問題を解決した。
3日後には、カイル自身が流暢な現地語を話し、周囲の人間を驚かせた。
言語に問題がなくなったある朝、カイルはファーレンシアの侍女集団に取り囲まれ壁際に追い込まれた。あろうことかそれを指揮していたのはファーレンシアであった。
「お風呂に入っていただきます」
「風呂?!」
にこやかにファーレンシアは執行した。
「いってらっしゃいませ」
疾風のごとく、カイルは浴室に拉致られ、女性達に服を脱がされ、浴槽で洗われるという最大のセクシャル・ハラスメントを受けた。ディム・トゥーラあたりが大笑いしそうな事案だった。
体内インプラントで代謝コントロールされているから清潔さは維持できることをファーレンシアに説明するのは困難だったため、毎日風呂に入るかわりに、一人ではいる権利を勝ち取った。
侍女達が舌打ちしたのは気のせいだろうか。
慣れてくると湯を使う古典的な風呂は悪くない習慣だった。宇宙ではエアー・シャワーが常識だったため、お湯につかり脳が溶けるような未知の感覚は楽しめた。
――もしかしてこの湯には、人間を駄目にする未知の成分でもあるのだろうか?
カイルは本気で成分分析を考えた。
カイルの研究員服は体温調節がきき、他にも様々な機能があったため、ファーレンシアに相談して研究員服の上から着れる長衣を用意してもらった。
エトゥールの刺繡がほどこされた長衣を羽織り、特徴的な研究員服を隠すと、かなり現地の人間に酷似したが、金色の髪と瞳はやはり目立ち、隠しようがなかった。
エトゥールの城には領主が招待した異国人がいる、と噂が広まるにはそう時間がかからなかったが、当の本人は気づかなかった。




