最終話 大賢者を名乗った日① ~記憶の底、いつかの景色~
見知らぬ場所に見知らぬ光景。
けれどその玉座の主が誰よりもその場所を物語っていた。
――仰々しい玉座に肘をつき、鋭い目つきで付き人を睨みつける彼女の姿。
「魔王様、怪しい人間を取り押さえました」
付き人は黒髪の美人だった。
切りそろえられた前髪に腰まで伸びた後ろ髪。黒いナイトドレスに紫色のストールを蛇のように巻き付けた彼女は玉座の前に膝をつく。
「そんなどうでも良いことオレに報告するなよ……人間の一人や二人お前の好きにすりゃ良いだろ」
あくびをするその顔は、俺の知っている彼女の姿とはどこか違う物だった。
同一人物だという事はよくわかるが、その醸し出す雰囲気には冷たく険しい物だった。
「ですがその人間は魔王様に会わせてくれと」
「ハッ、ふざけた野郎もいたもんだ。ここがどこかわかってんのか?」
辺りを見回す魔王。
ここが伝説に歌われる魔王城なのだとわかる。ならば流れるこの光景は、遠い日に起きた事実。
「ええそうなのです、その人間は玉座への扉を眺めながら……私にそう言ったのです」
「敵か?」
「そこまではまだ……しかしその人間は丸腰であの扉の向こうに立っていました」
「どうやって忍び込んだ?」
「お会いすればお答えすると」
「……通せ。何、少しでも怪しい動きを見せれば首を刎ねてやろうじゃねぇか」
そこで二人の会話が途切れる。
人間、ふざけた野郎。
それと会話の端々から次の登場人物がわかる。
「あのー……お話終わりました?」
薄ら笑いを浮かべながら、扉を少し開けて首を突き出す男がいた。
その男を俺は知っていた。
「こいつか」
「ええ」
その顔を知っている。
その声は忘れない。
「お前は……何者だ?」
「名前と職業と……あとは何を答えれば良いですかね」
「オレに会いたかったそうじゃねぇか。まずはその理由から答えてもらおうか」
身を乗り出した彼は、深々とエルに頭を下げる。その名前は聞かなくたって十二分にわかっている。
「名前はアルフレッド……ただのアルフレッドです」
俺がいた。
瓜二つなんてものじゃ無い、そこにいたのは俺でしかない。
今の俺と何一つ変わらない姿が魔王城のど真ん中で恭しく言葉を続ける。
「職業は羊飼い、趣味は星を眺めることで好きな食べ物は甘いもの」
何一つ自分と変わらないその自己紹介に思わず眩暈がしそうになる。
けれど決定的に違う物が彼と俺の間にあるとすれば。
「ここに来た目的はそうだなぁ、ちょっと説明し辛いんですが……うんそうだな、これが一番正確だ」
にっこりと笑う彼。
「人類の天敵、魔王エルゼクス様にお願いがあって参りました」
「言ってみろ」
そこから出てくる言葉はきっと、今の俺が逆立ちしても出てこない。
「俺と一緒に……世界救ってもらえませんか?」
彼は大言壮語を吐く。
冗談のような軽口で、口笛でも吹くかのように。
「へぇーここが牢屋かぁー……ってちょっと看守さん!」
切り替わった景色。
羊飼いのアルフレッドは牢屋に放り込まれていた。
「命があるだけありがたく思えよ人間……全く、さっさと処分すれば良いものを」
牢屋に錠を下ろしながらため息をつくのは、白く大きな翼を持った鎧を着込んだ騎士の姿。
きっとその言葉は彼らの道理なのだろう。
「まぁまぁそう言わずに……仲良くしましょう」
けれどアルフレッドは何一つ動じずに鉄格子の向こうから右手を差し出す。
この人懐っこさと気楽さは、自分に無いように思えてしまう。
「状況がわかっているのか? 戦争中の魔族の本拠地にやってきて仲良くしましょうなどという言葉、寝言にしても出て来るものか」
「そんなにおかしいですかね? 地元の羊はだいたい友達だし俺の相棒は犬ですよ」
「貴様の事情など知らんな」
「なら初めまして、羊飼いのアルフレッドです、よろしく!」
嫌味すら通じないアルフレッドに呆れ交じりのため息を漏らす騎士。
「貴様に名乗る名前は無い」
「じゃあ看守さんで良い?」
「違う」
「わかったぞ……掃除の人だ」
「今すぐ殺しても良いのだぞ? 自分にはその程度の権限が与えられているのだからな」
「おっかないなぁ、軍人さんかな?」
剣の柄に腰をかけてようやく、わざと驚いて見せるアルフレッド。
それでも人懐っこい笑顔がそこから消える事はない。
「そうでない者はここにはおらん」
「じゃあ軍人さん、改めてよろしく」
再び差し出された右手に騎士は一瞥もくれず背を向けた。それでもアルフレッドは笑う。
――張り付いたような笑顔を浮かべて。
「魔王軍四天王と呼ばれた自分がここまで虚仮にされるとはな……」
「してませんよ」
一瞬だけ、アルフレッドの顔から表情が消える。息苦しさが混じったそれが本来の表情だとわかる。
「俺は本気であの人に、助けを求めに来たのだから」
「わからん奴だ」
「いつかわかって欲しいですけど……せめて今日は人間にも色々あるって知って貰えませんか?」
アルフレッドがそう言っても、騎士は答えようともしない。
それでも差し出した右手には、彼の背中の翼がほんの少しだけ触れた。




