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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の奇妙な体験

作者: 月影 一雄

私の体験した心霊体験です。

交通事故はいつどこで起きても不思議ではないができれば遭遇したくない事の一つである


 私の奇妙な体験

其の一

  その体験は、私が31歳になって間もなくの時である。

その当時、本業は土木工事で建設機械オペレーターを受け取りやチャーターで

  稼いでいた。

  受け取りとは、その工事の機械仕事を工期以内に仕上げる仕事で

  チャーターとは、一日いくらで機械を使い仕事をするのである。

  その仕事は、毎日あれば良いのだが、天候や工程の加減で暫く手が空く時があり

  その時は、若いころにお世話に成った運送会社の臨時運転手としてアルバイトをする時がある。

  その日もアルバイトのドライバーで運送会社に顔を出す。

  (おはようございます?)

  (カズさん今日も頼むよ)

  今日は、テトラポットの型枠を神戸のリース会社に返却する仕事である

  積み荷は前日に積み込んであり、鋼材リース会社まで運転し荷物の確認してもらい

  降ろして、帰りの荷物を積み会社まで帰る仕事で、一日で終了するはずでした

  私が運転するトラックはいわゆる大型トレーラーで重量物運搬用トレーラーです

  その日の重量は15トンぐらいでさほど酷な仕事ではない。

  暫くは知っているとポケットベルが鳴り(この当時はポケットベルが出始めた時期です)会社からです。

  電話ボックスを探し電話をしました。

  (あ、和也です何かありました)

  (あ、カズくんか済まんが、その荷物を下ろしたら敏夫さんに連絡してくれるか)

  それは、運送会社の重鎮ともいえる人で、今の社長の先代からの運転手さんです

  (何かあったんですか。)

  (俊哉君の車が逝かれたらしいので、君に代わって貰えないかな~)

  俊哉君とは、敏夫さんの長男で、トレーラーを運転して4年目のドライバーです

  もう一人、次男の裕也君が居るが、彼は大手運送会社の下請けでルート配送の

  定期便の仕事をしている。

  私は、リース会社の返却倉庫から電話を借り俊哉さんに連絡し呼び出してもらった

  (もしもし、親父さんどうしたんです、車が逝かれたみたいだと言う連絡貰ったんですけど)

  (おう、済まね~な俊哉の車のミッションが逝かれたみたいだよ)

  (俊哉君の車はどうするんです?)

  (メイカーさんが引き取りに来てくれるけど、ありゃ~廃車だな~)

  (じゃあ~私、降ろしたらそちらに行きますは)

  (よろしく頼むは~)

   私は電話を切り、荷物を下ろすため車に戻り倉庫で荷下ろしの手伝いをして

   伝票を受け取り敏夫さんの居る、鉄鋼製品の鋼材センターに積み込をするため

倉庫に向かった。

   時間はお昼を少し過ぎたくらいで倉庫の近くに着いた。

   俊哉君がトレーラーの荷台の近くで待って居てくれている。

  (あれ、親父さんは)

  (和也さん、ご苦労様です、親父はそこの食堂で待って居ます)

   私は車を止めて、親父さんのもとに行き昼飯を取りながら話を聞いた

  積み込み時間が多少遅れているため終わる時間が読めないでいる。

  私は、自宅に電話して帰りが遅くなりそうだと伝えた。

  俊哉君の話では、前々からあまり調子が良くなくて修理屋さんに修理をお願いして居たらしいのだが、なかなか修理が出来なかったらしい。

  (社長は今度こそ新車にしないと駄目だね~)

  (俊哉、新車に成ってもお前に乗せるかは解らんぞ?)

  (え~~そんな、それはね~~よ)

  (ワハハ、それは有るかもナ)

  そんな馬鹿話をしていると、積み込み呼び出しがあり3人が向かった。

  親父さんは角材を主に積み込みし総重量が16トンほど在り私がH鋼を主に積み込みし総重量が18トンほどになった。

  積み込みが終わると時間は午後4時半に成っていたので、親父さんと相談して

  早めの夕食を取り時間をずらして渋滞を避ける事にした。

  午後6時半に成り出発する事に、地元に帰るのにかかる時間は順調にいけば4・5時間で会社に到着するので夜中の12時ぐらいに着く予定である。

  国道はそれなりに流れており、1時間ほどで地元に向かう国道に向かって右折した。

  乗り換えるとスムーズに流れ順調に走っていた。

  途中で、主要県道に乗り換えると、国道を走るより時間短縮に成り渋滞もない

  しかし難所ともいえる場所がありそこはループ状に成った橋があるそこを過ぎると、カーブのきつい峠があり此方から向かうとなかなか走りにくい場所ではある。

  親父さんは、混む時間ではないので何とか行けるだろうと先行して走っていく

  私は、親父さんに少し間を開けて着いて行く事にした。

  親父さんには、俊哉君も乗っているので安心している。

  ループ橋もスムーズに抜けていき、途中のドライブインでトイレタイムを取り

  缶コーヒーに一息入れいよいよ峠に向かうのです、まさかあんな大きな事故に会うなんて思いもしませんでした。

  私がトラック運転から足を洗うほどの事故に遭遇するなんて。

  峠まで、ドライブインから40分ほどの距離です、親父さんが

  (カズ君、慎重にな、車間を開けて来てくれる)

  私は、了解ですと返事をして着いて行く。

  ここから峠に入る標識がある場所まで着て、後続車に道を譲り、私たちも峠に向かうのです。

  峠に向かうとさすがに速度が落ちて来る。

  低速で慎重に上がるが、後続車が来ると峠の上まで上がらないと追い越す場所がない、したがって後続車も低速で着いてくる。

  追い越し仕様と対向車線に出てくる車が居るが窓から手で合図してその車に追い越しできないことを合図するのです。

  対向車が来れば逃げ場所が無いので無理をすれば事故に繫がりかねないのだ

  この峠にはトレーラーにはきついカーブがいくつかあり中でも反対車線に荷台がはみ出る箇所があり、そこはトラックドライバーが慎重になる。

  そのカーブまであと少しの時、峠の上の方でタイヤのキキキキーときしませながら

  降りてくる車が来ることに気が付いた、ヘッドライトの光がスピードを出していることが判るほどである。

  親父さんは、カーブに差し掛かり曲がり初めで止まり、

降りて来る車をやり過ごすつもりだと思った。

そこえ、先頭を走る車が降りてきた、ヘッドライトに親父さんのトレーラーの

荷台が明るく見えた。

キキキーッキー、ドカーン、車が荷台の横に突っ込んだのだ。

親父さんの車の荷台が少し浮き上がり車が突き刺さると言う表現がふさわしい状況になっている。

そこえ、すぐさま後続の似た様な車が同じようにタイヤを鳴らしながら、逃げ場のなくなった場所に追突し道路の横の街路灯にぶつかり止まった。

私はすぐさま車を降り、街路灯にぶつかった車に向かいドライバーに声を架けた。

ドライバーは自力ではい出てきたが、助手席の女の子はうずくまり動かない。

後続の車のドライバー達も慌てて降りて来てくれた、その中の一人に、峠の入り口にある電話ボックスに行き警察と救急車に連絡を頼んだ。

助手席の女の子が居る側に行き出そうとしたが足が挟まれている様だ。

声を架けると返事をするので、救急車が来ることを伝えしばらく我慢するよう言い

親父さんの車に向かった。

二人とも車から降りて、茫然とたたずんでいた。

(親父さん、二人とも怪我はないですか)

そう言いながらトレーラーに突き刺さった車を見た

それは、たとえようもない惨劇である。

車の前部分はボンネット部分を車体の半分近くまで荷台にめり込んでいる

運転席の、フロントガラスから上の部分はすべて潰れたように後部に固まっている

そこに、人の姿は似て取れる、一人は男であろうことは解る。

短パンに、アロハシャツと思しき赤いシャツを着ている様だ。

助手席は、たぶん女であろう、派手なシャツにミニスカートを履き持っていたであろうバックが足元に転がっている。

女の子の足が、後続の車がぶつかった水銀灯に照らされ赤とも黒とも判別できない様な感じに見える。

車の後部から運転席側に回ると、その惨劇の全容が解った。

親父さんも、俊哉君も言葉が無くただ見つめていたのは、手の出しようがないのが解った。

運転席の男は、肩から上が荷台に入り込んでいる。

助手席の女の子は、微かに痙攣しているのか動いているが見るからに手の施しようが無いのが解る。

その後、潰れた屋根部分の隙間から後部座席が見えた。

そこに在るはずの無い物が見えた。

男と女の子の首が物言わぬ物体となって転がっていた。

他の後続車や、対向車のドライバーさん達がこちらに来るので

{こちらに来ないほうがいいよ}

と声を架け、こちらの惨劇を見せないようにした。

救急車や、警察が来るのを待つ時間の長く感じていたのはこの場にいた人たち

すべてが感じていたに違いない。

暫くすると、サイレンの音が峠の下から聞こえてきた。

警察の車両が来て、その後パトカーが付いてきた、救急車が間を開けて到着した

警官が一目見て、無線で消防隊を読んでいる様だ。

(トラックの運転手さんはいますか?)

(あ、俺だよ)

その後親父さんや、俊哉君の話を聞きながら事故の細かい、いきさつを聞いている

私も、事情を聴かれたので見たままを説明した。

警察官の話では、この峠で事故が良く起きているとの事で、みなスピードを出しての事故が多いようだ。

いはゆる、走り屋が起こす事故である。峠族と言うらしい。

だが、ここまでひどい事故は始めてだそうで、対外は怪我で済んでいるとの事だ

その後、救急隊の人が道路に座っていた男のけがを処置して、助手席の女性の

対応をしていたが、足が挟まっているので車から出せないでいる。

暫くして、消防車が2台、峠を上がってきた。

消防隊の隊員はてきぱきと指示を出し、足を挟まれた女性を救出していた

街灯に追突した車を、道路の端に寄せ、荷台にめり込んだ車にかかるが

隊員の誰もがその惨劇に声が出ない様だ。

消防隊の隊長と思われる方が号令をかけた

(黙とう!)、みな手を合わせる、私達や、警察官も手を合わせ黙とうする。

しばしの沈黙の後、作業に掛かり始めた。

めり込んだ車を、ウインチと滑車を使い徐々に曳き始める。

ギ~~ッギギギ~~、ガガッガ~~、亡くなった二人の悲鳴とも、断末魔とも

思える音が今でも耳に残っている。

車はほぼ引っ張り出されて、潰れた屋根部分をはがしすべてが見て取れた

男の体は、血まみれで赤いアロハシャツと思っていたのは青色のシャツで

血のりで、ほぼ赤く染まっていた。

体を引っ張り出し、シートにくるみ、頭部はタオルの様な物でくるまれて警察車両に積み込荷、女性も取り出していく。

女性の体も血まみれで着ている服も血のりで赤く染まっている。

その後、事故車を道路の端に寄せ、警察が依頼した業者に運んでもらうようだ。

一連の作業が終わるころに成ると、東の空が白み始めてきた。

時間を見ると午前4時を回っていた。

その後、警察官が、後日連絡が行くので警察署に来て欲しいと言われ、承諾した

此方に過失はないので調書を取るだけで済むようだ。

警察官が、交通整理して車を流し始めた。

私達も、トレーラーに乗り込み峠を登り始めた。

峠の頂上に着くと広い場所に車を止め、電話ボックスで会社に電話した。

皆無事である、親父さんの車の荷台の下側が壊れて居る事

運転に支障は無いが積み荷は、荷崩れなどしていないので会社まで帰れると思うなど、かいつまんで報告し、峠を降りる。

峠から会社までの時間は2時間弱の距離です。

私は無言で運転し、早く家に帰り風呂に入いってこの惨劇を早く忘れたいと思った

  あの事故から、2週間ほどして、警察から連絡が来た。

  私と、敏夫さんは警察に行き事故のありのままを伝え調書を作りサインした。

  警察の話だと、後続の車の男の方は軽傷で、女性の方は2か月のけがで今も入院しているらしい。

   どちらの車もかなりスピードお出し峠を降りて居たらしい。

   亡くなった二人の事は、遊ぶことは有るがあまり詳しくは知らないらしい

   亡くなった惨状を詳しく話すと、涙を流し泣いていたとの事だ

   その後私は、本業の土木業が忙しく成りトラックに乗る機会がなく1年ほどたってから俊哉君に偶然会った。

   敏夫さんは、車を降り倉庫の業務をしているらしい。

   俊哉君の乗っていた車が、新車に成り敏夫さんの車は廃車に成った。

   社長いわく、あんな事故にあった車は縁起が悪いので使わない事にしたらしい

   私は、俊哉君に本業が忙しくて手伝いに行けないがよろしく伝えてとお願いした

   それから私の仕事が大きく変わる事に成る。

其の三

   私は、本業の仕事で親しい土木業の比較的大きな会社の会長と釣り仲間であり

   その会長から提案されえた事がある。

   土木事業とは別にもう一つ事業を立ち上げたい、その事業を任せたいので

   手伝って欲しい。

   ゆくゆくは、君に責任者としてまかせたいという事らしい。

   そのお話は、とても魅力的でやりがいのある仕事で自分もぜひやりたいと

   思っている。

   しかしそのためには、今抱えている土木関係の機会をどうするかがカギとなる

   その事は、土木事業に売却しその資金で新規事業に参加すればよいという事を

   会長から提案された。

   その提案は、私にとってありがたい話である。

   重機購入の時の残債もすべて引き取り、機械も適正価格で買い取ってもらえるので、ありがたい話である。

   その事業とは、銀行管理物件の陶器や磁器の製造会社を買い取り

新しいセラミック素材の製造を手がけるという事だ。

かねてより会長と、このことをいろいろ話していたことであり

会長が動き出したのである。

私も、ベンチャービジネスに興味があり二つ返事でお願いした。

家庭の財政も、少しは楽になり、新しい事業に意欲も出て妻も応援している。

最初の内は、試行錯誤の連続でしたが、協力してくれる企業もあり

少しずつではあるが、それなりに業績も上がり、私もいろいろな企業に足しげく

通い忙しくしていた。

そんな日々のある日にその体験をしたのである。

その日は、数日の出張を終え帰路についていた。

時間は、深夜の2時を回ったころである、

出張から帰る際いつも通る高速のインター手前で工事渋滞が出来ていて、仕方な

く一つ手前のインターで降り国道に出て自宅方向に向かう。

この道は、あの時私や敏夫さんが遭遇した事故に向かう国道です。

私の、脳裏にあの時の記憶が一瞬よみがえったが、今はループ橋の手前から

新道が出来、広い道に成り峠も新しいトンネルが出来時間も1時間以上短縮でき

ている。

深夜とはいえ道には街路灯が規則正しく並び明るく照らし出している。

そんな国道から県道に繫がり道幅も広い新しい道に出た、峠のトンネルを

抜けるまで、ほぼ直線の道である。

その時後ろからライトの光がルームミラーにまぶしく光る。

私は、左に寄せ後続の車を先に行かせる。

私の横を、凄いスピードで走りぬけていく二台の車が居た。

その車が抜けていくときに言い知れぬ感覚が背中を駆け上がるのを感じた

気お撮り直し車を走らせていると、左に曲がる道が見えた、その道は古い峠に向

かう道である。

その分かれ道からトンネルまでは、僅かの距離です、

その時、またヘッドライトの明かりが見え、左により道を譲る。

私は、何気に通り過ぎる車を見た、その車は先ほど追い越していった車である

私は、一瞬?え?と思いもう一度見た。

そこに在る車は、あの時の事故車にそっくりで背筋が凍る思いがした。

しかし私がもっと驚愕したのは運転手や助手席の人間の首が無く、その車と後ろ

の車にカスミの様な物がかかり、何か見てはいけないものを見た様な気がした。

私は、車を止め深呼吸をしてもう一度気持ちの整理をして前を見た。

そこには、走り去るその車から運転席と、助手席から手を振る姿が見えた。

私は、思わず手お合わせ、成仏してくれることを願った。

気を取り直し、車を走らせた。

トンネルも無事何事もなく通り過ぎしばらく走ると24時間営業のドライブイン

が見えたので立ち寄る事にした。

駐車場には、数台の大型トラックやトレーラーが止まっている

私は少し離れて止め、目をつむり今体験したことを思い返していた。

やはりあの時の事故で犠牲に成った二人が亡霊となってさまよっているのか。

しかし後ろについていた車は何なのか、あの時事故車は二台ではあったが犠牲者

が出たのは最初の一代目で、後続の二人は軽いけがと入院してはいるが助かって

いたはずである。

その時、私の車の窓ガラスをたたく音に気が付き見ると裕也君の顔が見えた

(カズさん、久しぶり、どうしたのそんな青い顔して)

(あ、裕也君か、いや、いましがた変な物みたから・・・)

二人でドライブインの中に入り、コーヒーを頼み一息入れて先ほどのいきさつを

話しなじめた。

裕也君が(カズさんも見たの?)

(あの事故以来、時々目撃するトラックドライバーが居るらしい)

(俺は、あそこの道は通らずに国道を通ってこちらに来るんだよ)

そう言って教えてくれた。

その場に居たトラックドライバーさん達も口々に言っている

しかし聞くと、目撃するのはトラックのみで乗用車は無いらしい。

ではなぜ私だけ、この時もう一度背筋に寒気が走った。

その場でもう一度 深呼吸して詳しい話を聞いてみた。

実はあの事故より、数か月後に同じような場所で死亡事故があったらしい。

スピードの出しすぎで、カーブを曲がり切れずガードロープに激突しそのまま

飛び越えて、今は別の場所に移転した電柱にぶつかり車が燃えたらしい。

その事故を、目撃したのもトラックらしい、火は殆ど車を全焼させて手の付けら

れない状態だったと言う。

似た様な時期に事故にあい、命を落とした者がこの世に未練があるのか?

さまよい帰れないのかもしれない。

そんな話を聞き、私はこの道を使う事はしないだろう。

安全運転で自宅に向かい早く子供たちや妻の寝顔を見たい。

裕也君に、親父さんや俊哉君によろしくと伝えて、車を出した。

自宅まで、コーヒーが効いているのか眠気もなく帰宅した。

子供と、妻の寝顔を見ると無事帰れたと思う。

その後敏夫さんが体を悪くしたと連絡があり、お見舞いに行くと俊哉君が

(裕也から聞いたけど、見たんだって)と聞かれ

(そうだよ、お払いに行こうと思てるよ)と伝えた。

親父さんの具合は、あまりよくないらしいが、御歳なでこの辺で

ゆっくり体を休めて元気になって欲しいものだ。

その後私の、親父とお袋が眠るお墓に家族で行き皆の顔を見せに行ってきた

お寺の和尚さんに事の顛末を話し、彼らの供養をお願いしたら、このお札を

肌身離さず持って居なさいと言われ、この年までいまだに持ち続けている。

その後は何もなく、事業も順調に進み今では従業員も増え、会社の新社屋が来月

完成する。

工場も新しく成りますます忙しくなるようだ。

あの時の体験は、私に取手忘れる事の出来ない記憶に残っている。

人はいずれこの世から、離れる時が来るだろうが少なくても思いもよらぬ

亡くなり方はしたく無い物だ。

これで、私の体験は終わりです、皆さんも交通事故にだけは会わない様に


その後の人生で守るべきは家族であり、

自分の命を守る事の出来ない人に人の命は守る事はできないのです。

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