落ちこぼれ3
「はぁぁ!?」
マシロは、口に咥えたタバコを噛み潰した。
「今なんつった…」
「レインはねえ、今日お腹痛いから休むって」
Aクラスの生徒の一人にそう告げられ、マシロは呆気にとられた。第二学生Aクラスは、マシロの担当するクラスである。昇級試験の真意を問い質し、あわよくば試験を受けさせようとしていたのだ。
撒かれた、完全に。時期も時期だ、マシロに昇級試験のことを言われると察知したのだろう。
レインはこれまで、問題行動を起こすような生徒ではなかった。教師との衝突を恐れてのことだろう。多くの生徒たちに紛れ、息を潜めた生活を送っていた。目立たないように、目立たないように。執念すら感じるその行動のおかげで、目標通り、レインは魔法塾一の落ちこぼれという肩書を背負ってる今ですら、ほとんどの者がその存在を知らない。ルワーフの生徒の名前をほとんど把握しているマシロですら、レインを認識したのは担任になってからであった。
よっぽど、上に行くのが嫌なんだな。マシロは心の中で舌打ちをした。
受け持った生徒の中に、上昇志向のない生徒がいるのは、担任としては少し厄介である。ルワーフは表向きには、生きるのに必要な知識と実践を積むための塾である。だがその実態は、数いる生徒たちをふるいにかけ、シュトラウス自警団へ入るに値する者を見つけるための場所であった。
百数年前、戦争により、当時有志によって結成された兵団が壊滅。リュタウの戦況は厳しく、人員不足に悩まされていた。アスラの人口はリュタウの何倍もあり、戦力も比べ物にならなかった。
リュタウには魔法を扱えると言えど、この戦力には大きなデメリットが存在した。
時間。
魔法は、魔法構築に「リュタウが生まれながらにもつ魔力」と、「世界が与える時間」を代償とする。大きい魔法であればあるほど、その両方を多分に費やさなければならない。
いくら個々人として魔力値―――リュタウ一人がもつ魔力の量。一般のリュタウの値は、25Mnとされている―――が高くとも、世界に等しく与えられる時間は、アスラにも与えられている。魔法構築に時間を費やすと、アスラに接近される時間を与えてしまうのだ。リュタウは接近戦を最も苦手としていた。
リュタウは大きな課題を抱えながらも、辛うじて耐え凌いでいた。
その頃同時に、戦争による人手不足で作物がとれなくなり、ルナの治安が悪化。ルナ崩壊を危惧した、ファーレン・ヴィルがシュトラウス自警団を結成。
そして同じくして、ファーレン・ヴィルが、シュトラウス自警団入団の下準備として、ルワーフ魔法塾を結成。今となってはルワーフを教育の場としているが、当時のルワーフはただ単に、戦争に使用する駒を生産する工場だった。
シュトラウスは昔とは違う。団員一人一人の誇りを重んじ、規律を与えることで強大な力を発揮する自警団となった。入団した者は名誉を与えられ、それ目当てに入団を狙う者すらいる。団員の命をむやみやたら危険に曝す集団ではない。
昔とは違う。
ルワーフも変わった。当時校長だったエリハ・ヴィル(ファーレン・ヴィルの弟)が塾から追放され、方針もがらりと変わった。塾長、オウビス・ジェイリズは、リュタウをこれ以上無駄死にさせぬよう、まず身を護る術を教え、周囲を護る強さを与え、ルナを根本から変えようとした。
偉大な塾長だ。
だがそれは、上昇志向ありきのことであった。
ルワーフは、シュトラウスの必要とする優秀な人材を見極める場であり、自身の心身を鍛えるための場である。決して、“隠れ蓑”にするための場ではない。
担任は生徒を見極め、試し、あるべきところへ導かなければならないのである。
そうでなければ、罰を与えられるのはマシロの方なのだ。ルワーフの教師は、ルワーフの規則に従い、“生徒を正しく評価し、導かなかった場合は、それが明確になった時点でルワーフ魔法塾から追放、又、教員免許を剥奪。以降、教員試験の再受験を禁ず”となるのだ。
―――正しく評価、ね。
嫌がる生徒を昇級試験に臨ませるのが正しいのか。そこまで考えて、マシロは首を横に振った。
今はまだ、教師をやめることはできねェからな。
今はまだ。
教師として、ルワーフの人間として、やることがある。
考えに耽っていると、Aクラスの子供たちが足元にわらわらと集り出しているではないか。まずい、と思ったのも束の間、子供の一人が脚を登り始めた。
「マシロせんせ!今日は何するの」
足元に纏わりつく子供に、マシロは眉をひそめた。
教師をしているが、マシロは子供が嫌いである。
「自習だ!俺は用事があるから帰る、代わりの先生よこすから黙って待ってろ」
「えー!」
生徒たちが口を尖らす。マシロは不幸にも、子供によく好かれた。粗暴な言動の裏で、子供に好かれる何かが存在するのだろう。
マシロは脚をよじ登る子供を引っぺがし、集まった子供たちを無理やりかき分け、教室から出た。教室から出ても、中からのブーイングが鳴りやまない。マシロは大きく息を吐くと、眉を吊り上げた。
―――違うな、今俺が考えるのはそこではない。
「あんのクソガキ、俺の授業をサボるたァ、どういう了見だ」
*
「―――ふぇっくし!」
「ひひッ…誰かがレインくんの噂でもしてるのかな?レインくんは賢くて良い子だから」
「いや、多分逆ですね」
レインはくしゃみの心当たりがないわけではなかった。今日も授業を休んでしまった。そろそろマシロに、昇級試験について勘付かれてしまう頃だろうと、近づかれる前にサボってしまったのだが。
―――きっと、怒ってるんだろうなあ。
レインのクラスの担任であるマシロは、ノルシーと同じく、ルワーフで有名な教師であった。マシロはシュトラウス自警団にスカウトされている数少ない強大な魔力値を持つ使い手である。しかしマシロはルワーフの教師に甘んじ、シュトラウスへの入団を拒否した。
シュトラウス自警団は基本的に、過酷な試験を通過して団員と認められる。スカウト、つまり試験を受けないということは、“選別する必要もなく”歴代でも最強なのだ、という証明に他ならない。シュトラウス自警団は、ルナで最も位の高い職業で、全てを犠牲にしてでも入りたがる者すらいる。それをマシロは断った。
「ところで、ノルシー先生」
「ひひッ、なんだい?」
「先生はなんで髪を黒く染めてるんですか」
黒い髪は、敵の象徴。ルナではそんなこと、言われずともわかる常識だった。ノルシーは口の端をぐっと上げ、楽しそうに笑った。相変わらず不気味な笑い方だが、よく見ると、心底喜んでいる表情だった。ノルシーはレインが今まで会った中で、最も素直な人物だった。楽しいときは笑い、嫌なことがあると顔をしかめた。
「レインくん」
「はい」
「アスラは憎いかい?」
予想だにしなかった問いに、レインは口を閉じた。しかしすぐさま首を横に振ったレインに、ノルシーは「何故?」とさらに訊いた。
「僕は戦場に立っていません。近しい人を誰も殺されていません。だから憎いという感情はもっていません。確かに歴史上“アスラは悪”と言われていますが、争いは両者ともに悪であり、善なんだと思います」
「善?」
「戦う人一人一人、自分の正義のために戦っているんだと思います。それは、根本として、僕らリュタウを殺すことが目的ではなく、自らの命を護るために戦っている。リュタウ側も同様に。始めから虐殺を好む人はいないのではないでしょうか。とすれば、リュタウもアスラも同様に、加害者であり、被害者です」
「ひひッ、客観的に見ればそうだね。しかし、それがわかっていても、戦争は続いている。何故だい?」
「リュタウもアスラも、感情があるからです。何人も殺してきてしまったから、歯止めがきかないんだと思います。両者ともに」
当たり前のことである。けれど、それを認知できない程に、現在のルナは憎しみに溢れている。憎しみに塗れた文献と、憎しみに塗れた語り手により。アスラは悪だ、それが常識だ、と、洗脳が続いているのだ。一歩引けばわかることであるが、それを気付かせまいとしているのが、ルワーフ魔法塾なのである。
「ひひッ…ひひッ、いいね。やはりキミは賢い。私もキミと同感だよ。だからこそ、私は髪を黒くしているのさ」
「?」
「私の祖父と父と弟は戦争で亡くなった。私はもともと、戦える体力を持ってはいなかったから、シュトラウスの選別には弾かれてね。そのおかげで今、ここで、研究をしている。私は特別、父を尊敬していたから、父が亡くなったと訊いたときには、酷く混乱し、アスラを憎んだものだった。けれどね、」
ノルシーは黒髪に隠れた目を、懐かしそうに細めた。
「そのときちょうど、アスラの一人が捕虜としてルナへ来た。当然牢屋へ閉じ込められ、拷問されていた。リュタウの兵士もね、やっと捕えたアスラだったから、なんとしても情報を訊きだしたかったのだろうね。やりすぎてしまった。酷い拷問の末、アスラの捕虜の方が体力尽きてしまったんだ」
不気味だった笑顔が、次第に消え、少し、ほんの少しだけ悲しげに歪んだ。
「私は当時、学者として戦場管理の職についていたことがあったんだ。ほんの数日だったけれど。そのとき、捕虜と対面する機会があった。父を殺されたこともあって、憎しみのあまりに罵倒したんだ。そのアスラはあまりに酷い怪我で、多分聞こえてはいなかっただろうけどね。最期、命耐える瞬間、彼はこう呟いた。”家族に会いたい”ってね」
ノルシーはぼさぼさの頭を掻いた。
「雷に打たれたかのようだった。ああ、アスラであろうと、彼も同じなんだって。わかっていたことが、わからなくなっていたんだ。憎しみって怖いね。私も、アスラは憎いよ。家族を殺された悲しみは、長い年月が経った今でも忘れられない。けれどね、私は学者だ。正しさを追及したい。私は、誰よりも客観的であるべきだ」
シファ・ノルシーは、それから小さく笑って、レインの頭を撫でた。
「この黒い髪は、それを忘れないためさ。憎むだけじゃあ、なにもわからないからね」