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落ちこぼれ2

「まあ座って」


 ぼこ、と隣の瓶の液体が音を立てる。薄暗く手狭な部屋の中で、切れかけた電球の明るさが、更に気味の悪さを際立たせていた。漂う空気は冷たく、じっとりと重い。


言われた通り、恐る恐る、部屋の真ん中の椅子に(埃を払って)腰を掛けた。


 ここ、出来れば来たくなかったんだけどな。レインは顔を引きつらせる。

 棚に並んだ瓶の液体に沈む物体はなんだろう。肉片や骨のような物もあちらこちらに落ちている。"開かずの間"、生徒にそう呼ばれているこの部屋の不気味さは、ルワーフの名物でもある。


「ひひッ、レインくん、綺麗な傷―――いや、酷い傷だねえ。見せて、血を止めなきゃねえ」


―――そして、ここの住人も。



「お、お久しぶりです…ノルシー先生」

 

 "開かずの間"もといルワーフ医療棟第四室に住むシファ・ノルシーという人物は、ルワーフでも変人として有名な教授である。


「ほうら、手を出して」


 銀髪の髪が行き交うルナで、敵であるアスラの象徴―――真っ黒な髪を堂々と垂らす変人。前髪が顔に隠れて見えないが、時折覗く不気味な笑みは死神のようだ。ぎろりとこちらを見るたび、息が詰まりそうだ。白衣を翻したノルシーが、前髪の下でひひッと笑う。


 レインは息を呑んだ。


―――何がどうしてこうなった。



 つい数分前。レインは授業開始の鐘を訊きながら、図書館に向かっていた。


 ルワーフの図書館は、魔法塾の規則とは切り離されたところにある。利用者の大半が、生徒ではなく一般の人々だからである。情報の厳正さを追及するシュトラウス自警団すら、多分に利用していると有名だ。


 そこはルナ最大の図書館であった。

 ルナの英知が詰まっているその図書館は、全ての情報の源であり、また全ての情報の線路である。図書館の書物は現在もひたすらに増え続け、また、書き加えられている。図書館は、情報を吸収し続けているのだ。


 知識に目がないレインには宝庫のようだった。それに加え、魔法塾の教師にとっ捕まることもない。図書館の建物自体が気まぐれに変わる巨大な化け物であるため、そうそう同じ部屋に遭遇することもないのである。つまり、サボるにはうってつけの場所。あそこに行って、今まで一度だって捕まったことはない。


「アシガ花の効力は闇属性魔法と近いけど、どういう関係なんだろう…仮に花が自身で魔法を使えるとして、意思は存在するのか。魔法に意思が必要か否かで論争があるけど、そもそも植物に神の恩恵は与えられるのかな…」


 思考は上って、意識が完全に論理のパズルをはめにいく。没頭するといつもこうである。レインは浮足たっているときでさえ、気になることは考えずにいられない。図書館で調べものをするのが、レインにとっては一番の楽しみなのだ。本の虫、とレインを例えた者がいたが、レインはまさにそれであった。


「ああそうだ、闇属性魔法といえばキュレムの神話も気になるな。あれらは生物の身体に干渉するのに特化してるけど、キュレムは自身を制御できずに死んだとされている。『力を欲して闇に身を捧げ、闇に呑みこまれた』っていう文章は有名だけど…おかしいな。キュレムが自分を制御できないわけないし…」


 シャーネにちょっかい出されて怪我した手の痛みなんて、思考を組み立てていたら痛くも痒くもなかった。というより、ほとんど忘れていた。


 図書館へは、ルワーフの南―――呼子の森を抜けて行く。呼子の森は、森と呼ばれているがそんなに大きいわけではなく、ときどき広く感じたり、暗く感じたり、方向が分からなくなったり、たまに子供の笑い声がしたりするだけで、特に害はない。利用者が迷子になることもなく、多少時間がかかるときもあるが必ず図書館へ連れていってくれる。


 レインは忘れていた。呼子の森には、あの有名な医療棟があることを。


 止血するのを忘れていたレインは、指に血を滴らせていた。その血に吸い寄せられるように、人影が一つ。背後を迫るのに、レインは全く気付いていなかった。


「ひひッ、やあ」

「―――え、」


 ひんやりと氷のように冷たい手が肩に置かれ、レインは思わず「うわあ!」とのけ反った。悲鳴を上げながら死にもの狂いで距離をとったレインは、目を丸くした。


「あ…」


 お化けかと思った。いや、お化けみたいではある。

 森の薄暗い景色に背中を押され、更に不気味と化した教授がそこに立っていた。いつもより目の下のクマが濃いのは、きっと研究に没頭しすぎていたのだろう。彼は好奇心を餌に生きる人種の男であった。そうわかっていても、白衣を着た死神にしか見えない。見慣れない黒髪も死神を際立たせている。


「血が出ているじゃあないか!ひひッ!なあんと、ちょうど医療棟がそこにある。治療ついでに茶を飲んでいってくれ」

「あ、いえ僕は、」

「ほら、遠慮せず」

「あの、」

「ささ!どうぞ!今日の茶は昨日仕入れたばかりなんだ」


 るんるん、と鼻歌混じりに手を引かれると、何も言えなくなってしまった。


 当人は何も気にしていないのかもしれないが、シファ・ノルシーはこの森の、医療棟に一人きりなのである。たまにルワーフの学習棟(生徒が授業を受ける教室のある建物)にいるが、それでも彼は一人であった。彼にどうしても付き纏う不気味さがそうしているのだろう。


 退屈なのかもしれない。こんなところに一人でいて。そう思うと、断れなかった。そうして勢いに任せて手を引かれ、冒頭に戻る。


 "開かずの間"はその名の通り、開かないのである―――ノルシーが許可したとき以外は。そして、"開かずの間"がある医療棟は数年前に、管理不可となって閉鎖された。しかし、医療棟であまりにも多くの魔物を扱ってしまったため、魔物が増殖して今となっては制御不可能になってしまっている。魔物の住処となった医療棟は壊すこともできず、今もここであちこちの空間を捻じ曲げながら佇んでいた。


 ノルシーはそんないわく付きの建物を気に入って勝手に住みつき、自らの研究室として使用しているのだ。ルワーフは建物を処分することができないため、魔物を抑えつつ管理しているノルシーを追い出すことができない。よって、黙認せざるをえない、ということだ。


「久しぶりだねえ。ひひッ…最近顔を出してくれなくて、心配していたんだ」


 レインが図書館に通いだして間もない頃は、呼子の森に意地悪をされてよく医療棟へ導かれていた。そのたびにノルシーに図書館を案内してもらっていた。ノルシーは森から出るのを心底嫌がり、図書館の手前でいつも別れた。


 呼子の森は、レインが医療棟のような"幽霊屋敷"を嫌うことを感じ取ったのだろう。執拗にレインを医療棟へ向かわせた。

 

 森の通り方を知った今では、医療棟を避けて図書館へ向かうことが可能になり、ノルシーとも会うこともなくなっていた―――それが、今会うことになるとは。


 ノルシーは奥の引き出しから塗り薬を取り出した。柑橘混じりの香りだが、色が黒い。


「チゼの実、ですかね」

「おおー、そうそう。よく知ってるねえ。賢い子は好きだよ」


 長い前髪の下で、面白そうな表情を浮かべているのがわかる。

 シファ・ノルシーは化け物に見えても、立派な学者である。探究心ある若者にはめっぽう甘く、でろでろに甘やかす。建物の外に滅多に出たがらないノルシーが、迷い込んだレインを図書館まで送っていったのは、レインのそういった本質を初対面の頃に見抜いたのかもしれない。


「チゼは苦いが、香りがいい。口に入れると唾液に反応して毒を出すが、塗り薬としてなら良薬だ。ひひッ。リバー博士の『薬学総記』を読んだかい?」

「あ、はい、まあ」

「ほほう、いいね、感想は?」


 こういった話は割と好きだ。ここに来たくなかったのは、建物が気味悪くて嫌だっただけで、ノルシーを嫌っていたわけではなかった。寧ろ、本の話をレインと対等にできる者自体ルワーフにも数える程しかいないため、こういう時間はレインにとって貴重なものであった。


 手にチゼの塗り薬を塗られながら、本の感想や自分の考えを言った。

 本を読むことは、実践主義のルワーフの人間から見れば変人になってしまうが、それでもこの知識が不必要のものだとは思わなかった。本を読み漁り、ルワーフでの授業が退屈になった。教えてもらわずとも自分で学んだ。レインには、ルワーフでの教えは"遅すぎだ"のだった。


「ようし、もういいよ」

「あ、ありがとうございます…」


 薬を塗って包帯を巻いてもらったレインは、自分を手のひらを見て感心していた。ノルシーは研究以外何もできないイメージがあったから、包帯を慣れた手つきで巻いたのが不思議でならなかった。そのことを訊くと、ノルシーは驚いたようにレインを見つめ、相変わらず不気味な笑みを零した。


「実験をしているとね、失敗は付き物だから、よく怪我をしてしまうんだよ。ひひッ。自分の手当てをしていたら、自然とうまくなるものなのさあ」


 なるほど、よく見ればノルシーの長い指は包帯で巻かれていた。

 妙に説得力のある話に、レインはおもしろくなって噴き出す。ルワーフよりずっと楽しい。そこまで思ったところで、すぐ傍に並べられた瓶の一つが、ぼこ、と音を立てた。液体に沈んだ目玉(のような物体)がぐるりと回る。前言撤回、ここやっぱ怖い。


「さてレインくん、今日も図書館に行くのかい?」

「え、あ」


 当初の目的をすっかり忘れていた。

 はい、と返事をしようとし、口を閉ざした。まだ話していたい、珍しくそんな感情がレインの中で勢いよく渦巻いたのだった。レインが暫く黙っているのを見て、ノルシーは立ち上がった。


「そうだ、茶を淹れ忘れていたね。ひひッ…怪我の手当ても終わったことだし、ゆっくり茶を飲みながら、『薬学総記』のレインくんの見解、もう少し詳しく聞かせてくれないか」


 この人は、人の心でも読めるのだろうか。そう思いながら、レインは勢いよく頷いたのだった。

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