第5章
次は真弓の番だよ。
うーん。わたし、里見先輩みたいに怪談ってあんまり知らないもの。もうネタがありません。
それじゃ、リハーサルの意味がないだろ? 百話会、もう来週だぜ。
ねえ、さっきの先輩の話、わたしにくれない?
いいけど、百話会じゃ「逆柱」って結構メジャーな話だよ。鳥山石燕も描いてるし、『西鶴織留』の第四巻にも「家主殿の鼻ばしら」として出てる。オリジナルの話はそんなに怖くないけど、現代風にもアレンジしやすいから、きっと、宿老あたりが先にすると思うな。
もう。どうして、話す順番が上回生から始まるのかなあ? ネタいっぱい持ってるくせに・・・。
百話会は上下関係の希薄な民研の中で唯一封建制が生き残ってる行事だからね。それに回数重ねてるだけあって、上の人は月並みな怪談をさせてもやっぱり上手いよ。妖怪などを題材にした怪談は一種の民俗芸能だろう? だから、落語と同じように何度も繰り返し話してるうちに味が出てくる。
むう。ずるいなあ・・・。ねえ、ちなみに百話会って、本当に九十九話で止めるの?
そうだよ。民研には現代人にしては迷信深い人が多いからね。それに蠟燭も百本は用意しない。一晩中燃え続ける大きなやつは高いから。
うーん。何だか怖くなくなってきちゃった。
いやいや、やっぱりそれなりに怖いよ。毎年、九十九話目の話が終わった後で「さて、もう一話」って切り出す某氏がいるけど、みんなに袋叩きにあってる。白状すると僕も多少は怖い。
里見先輩が? まさか?
本当だって。怪談話なんか信じちゃいないけど、それでも背筋が寒くなる。場の雰囲気っていうのかな・・・吉崎さんとか毎年泣くよ。
ええっ、見てみたい。
真弓は全然泣きそうにないね。どんなにきゃあきゃあ騒いでも喜んでるように思われるのが落ちだ。
もう・・・ひどいなあ。みんな、陰ではわたしのこと「理屈っぽいお転婆」とか呼んでるんでしょう? 一応、か弱い女の子なんだけどなあ・・・。
シチュエーションにもよるけどね。
里見先輩までそういうこと言う・・・。
むくれないの。さあ、身近な怖い経験でもいいから何かないかい? 民話や伝承にネタを求めるよりも、ああいう場では初出の話の方が怖いものだよ。
うーん。夢の話くらいしかないかなあ?
真弓の悪夢は聞き飽きた。
いつものやつじゃないんですよ。まだ、先輩には話したことがない夢です。
悪夢の宝庫だね。
悪かったですね。でも、あれ、本当に夢だったのかしら? 今でも夢か現実かわからないんです。もちろん、理論的に考えたら現実なわけないんだけど。
へえ、面白そうだね。話してごらん。
うん。あのね、わたしがまだ小学生かな? ううん、もしかしたら、中学生のときかも知れない。そのへんははっきりしないの。だけど、季節が夏だってことだけは覚えてる。夏休み中のことだから。
ほう。導入としたら、なかなかいいよ。
全部、本当なんですよ。脚色じゃなくて。
本当のことなの?
うん。わたし、今でも目が堅いでしょう? 子供の時からそうだったの。十二時前に眠ったことなんてないくらい。だから、長い休みになると、だんだん生活時間帯がずれてくるのね。
それは単純にだらしがないってことじゃない?
失礼ね。
あはは、なかなか可愛くていいよ。でも、ラジオ体操なんかはどうしてたの?
三日坊主。あ・・・やっぱりその夢を見たのは、中学の時かな?ラジオ体操なんてなかったから。
なるほどね、続けてごらん。
うん。夢かどうか判断できないから、現実に起こったこととして話すね。そのことが起きたのは朝の四時か五時くらいだったと思う。まだお日様は出てないけど、真っ暗じゃなかった。部屋の中の空気に蒼く色がついてたから。その日はそれから寝ようとしてたのかな? それともいったん眠ってすぐに起きたのかな? よく覚えてないけど、何となく台所に行こうと思って、二階の寝室から下に降りたの。そしたら、階段を下りる途中でね、お母さんと鉢合わせした。鉢合わせって言っても、わたしは階段の踊り場にいて、母親は一階の廊下にいたんだけどね。彼女はわたしを待ちかまえるようにして立っていたの。
うん。それで?
わたしは自分がどうして台所に降りようとしてるのか、その理由もはっきりしないくらい、ぼおっとしてたんだけどね、そのときお母さんが言った言葉だけは覚えてる。彼女は確かこう言ったの。「あんた、まだ起きてたの?」・・・ううん、「もう、起きたの?」だったかな? とにかくそんな感じの言葉。それに対して、わたしは「うん」って虚ろな返事をして、結局台所に行くのは諦めて自分の部屋に戻った。そして、ベッドに入って眠ったの。次に起きたのは、眠りについた時間からすれば意外と早くて、朝の八時か九時くらいだったわ。
なるほど。で、それから?
話としてはそれでおしまい。でもね、わたし、朝起きてから何となく違和感を感じてた。だって、階段の下にいたのは、お母さんじゃなくて、大きな人形だったから。わたしの家に昔からある古い日本人形。それが階段の下に立ってたの。今でもはっきり覚えてる。若草色の着物を着た等身大のそれが、いつもは眠ったように見える半目を、そのときは豁然と見開いてた。そして、凍りついたように動かない唇から声が漏れたの。――あんた、まだ寝てないの、って。
わっ、人形モノは苦手だ。
そうなんですか? うわあ、いいこと聞いちゃった。弱点発見。里見雅彦、日本人形に敗る。
男だったら誰でも人形モノは駄目だと思うけど。
へえ、そんなものなんですか? やっぱり子供の頃から親しんでないからかな? 性別の差って変なところにも出るんですね。
確かにそうだ。――で、真弓はそれからどうしたの?
別に何も。遅い朝御飯を母親と一緒に食べました。・・・もちろん、本物のお母さんとだよ。
怖くなかったの?
うーん。全然怖くないって言ったら嘘になるけど、でも、それほど恐ろしくは感じなかったなあ。確かに、今、わたしがしたような話を人から聞かされると怖いと思いますよ。だけど、そのとき当事者だったわたしはあんまり怖くなかったの。だから、逆にそれが怖かった。それは今でもそう思う。不気味な人形を特別疑問にも思わずに母と認識してしまった自分の意識がすごく怖い。
なるほどね・・・。最初、夢か現実かわからないって言っただろう? 今でもわからないの?
うん。だって、すごくリアルだったんだもん。
長年の謎を解き明かしてあげようか?
ふふっ。それは無理ですよ。そうね、例えば、先輩、こういうことを言いたいんじゃない?
え?
――入眠時レム睡眠。
何だ、知ってたか。
うん。夢関係の心理学とか大脳生理学ならね。きっと、里見先輩にも負けないと思う。
そうか。何と言っても、悪夢の宝庫だ。それくらいは調査済みってわけだね。
そうです。でもね、たとえそうだったとしても、辻褄が合わないところもあるの。入眠時レム睡眠が起こったときに見る現実感のある幻覚って、普通、金縛りを併発するっていうでしょう? だけど、わたしの場合、金縛りなんてなかったし、第一、自分の足で階段まで歩いた。
うん。それについてはどう思うの?
わからない。単純に特別な例だと思ってる。現実感があるという点では共通してるし、それに人間の記憶なんてあやふやなものでしょ? 金縛りにあった事実を忘れてるだけかも知れないわ。その夢を見た時期だって、今日先輩と話してて、やっと中学生の頃だって思い出したくらいなのよ。
確かにね。記憶の捏造は実際に起こるらしいから、何が本当かなんて結局わからないか。
でしょ?
でも、それだけ知ってて、どうして現実かも知れないって思うんだい?
それ、里見先輩とは思えない言葉。幻覚だと理屈ではわかっていても、どうしてもそうとは思えない。それが現実感のある幻覚でしょう? それに、わたしの体験を第三者が横で観察してたりビデオで撮ったりしてない限り、それを現実に起こったかどうか判断するのはわたししかいない。その個人の体験を本人が現実だって認識すれば、それはもう錯覚ではなくなるわ。すなわち、それがリアルです。
参った。失言と認めます。
やったあ。――ねえ、そんな素直に認めずに、もっと口惜しがって。ふふ、何だか今日は調子がいいわ。もしかして、真弓さん、突然賢くなったのかしら?
得意分野の話だからだろ。じゃあ、ちょっとリベンジさせてもらおうか。真弓はさ、人は一体何を恐れているんだろうって考えたことはない?
人の怖がるもの?
そう。人の怖がる、その根源的な正体。
え? 幽霊とかじゃなくて?
よしよし、いつもの真弓さんに戻ってきたぞ。
えーん。里見先輩の意地悪。ほんのちょっと優越感に浸っただけなのに。
あはは。攻守ところを変えたね。でも、さっき、真弓は正解を言ったんだよ。人形をお母さんだと認識した自分の意識が怖かったって。つまり、それは意識の変容だ。催眠なんかの変性意識状態(A・S・C)を指しているわけじゃないよ。言葉を変えて言うなら、精神や観念の変容かな。人はたぶんそれを恐れてる。
うーん。そっか・・・でも、里見先輩、ずるいです。ただ言葉を変えてるだけじゃないですか。
解答の体裁に気を使うのが大学生だ。
どうせ、女子大生には見えません。
そうは言ってないだろ? 確かに三つ編みにしたら中学生だけど。
失礼すぎです。
ごめんごめん。じゃあ、気分直しにその解答を他の方向から求めてみようか。例えば、殺人事件の捜査や裁判、それから報道なんかでは動機の解明に焦点が絞られるよね。それはどうしてかな?
すぐそうやって話題を変えるんだから――。
答えられないのかな?
もおっ。それを解明しなければ、検察側が裁判で不利になるからですっ。
そうかな? 確かに真弓の説も間違ってはいないよ。でも、それは「精密司法」と呼ばれる日本の裁判制度に由来する。陪審制が導入されてる欧米の裁判では、犯罪認定に不可欠でない限り、犯行動機や細かい経緯などの立証はさほど重要ではない。間違いなく犯人とわかっているのにその動機や犯行方法なんかをいちいち立証してたら、時間がいくらあっても足りないからね。現在の日本の裁判制度じゃ、人を一人殺すよりも百人殺した方が死刑になるのが遅くなる。ちょっと歳のいった犯人なら、裁判が終わる前に天寿を全うできるなんてケースも起こりかねない。凶悪犯罪がこのまま増加していけば、ラフ・ジャスティスへの移行が日本にも必要になってくると思うよ。
うーん、そうか。このまま話を続けてもいい?
ああ、いいよ。
どうして日本には陪審制がないんですか?
太平洋戦争の影響さ。戦時下で陪審員を何日も缶詰にできないだろう? 実際、戦前はあったんだよ。ちなみに今でも陪審法は生きてる。六法全書を開いてごらん。ちゃんと載ってるよ。ただ、「其ノ施行ヲ停止ス」という条文で眠らされてるだけだ。
そうなんですか? わあ、陪審法、復活すればいいのになあ。
陪審員、やってみたいんだろ?
うん。不謹慎かも知れないけどやってみたい。だって、何だかわくわくしませんか。
人を裁くのがそんなに楽しいかなあ?
違う。いろいろ推理して、無実を証明するの。
そいつが間違いなく犯人だったらどうするんだよ?
そういう場合は、デミ・ムーアさんみたいに脅しには屈しないパターンね。あくまで、真弓さんは真実の人を貫くの。
ったく、誰が脅すんだよ。――まあ、陪審制自体は国民の究極的な司法参加とも言えるものだし、導入については僕も異論はないけどね。確か去年、自民党が陪審制導入を検討する司法制度改革審議会の設置を謳ったから、二十一世紀には陪審制が復活するんじゃないかな。
本当?
たぶんね。上手くすれば、あと五、六年ってとこじゃない?
わあ、待ち遠しいわ。陪審員に選ばれるのってどのくらいの確率なのかなあ? 生きてるうちに一回くらい選ばれてみたいけど。
変な娘だなあ・・・。選ばれたりしたら、面倒なだけだと思うけど。ああ、話が大きくそれたね。そろそろ元に戻そうか? いい?
はい。モード、切り替えます。
よし。殺人事件などにおける動機の解明については、日本の裁判制度も確かに影響してるんだろうけど、それよりも人間の意識が大きく関係してると僕は思う。つまり、人は殺人などの事件に出会ったとき、どうしてもそれに至った理由を欲しがるんだ。果たして、それは何故だろう?
うーん。あ、答えは「人間は意識の変容を恐れている」でしたよね。――なるほど。殺人なんかの非日常的事件に触れた人間は、人が人を殺す正当な理由を求める。それは、つまり、そうした犯行に至った納得できる理由を求めて、それで自分の中の世界を安心させるってことですね。再び、日常に戻るために。
そうそう、そういうことだよ。わかってるじゃないか。人はね、自分の理解を超越した不気味な知性や感情に起因する殺人の動機が出現するのを恐れてるんだよ。怨恨や物盗りなど、自分の理解しやすい動機を求めるのはそのためだ。そうした理解可能な動機のない殺人は通り魔だとか心神喪失状態なんかの言葉で片付ける。馬鹿げてると思わない? 殺人の動機なんて、当人にしかわからないよ。いや、もしかしたら、当人でさえわからないかも知れない。なのに、ましてや他人がそれを理解できるわけがないだろう?
うん。わたしもそう思う。逆を言えば、その犯人はお金が欲しかったから人を殺したんだって自分を納得させることは、自分もまたお金のためなら人を殺すかも知れないって言ってるのと同じことですものね。わたし、そっちの方が怖いなあ。理解可能な動機があれば殺人という凶行をある意味で容認することができちゃうってことが。
そうだね。人は何か勘違いしてる。――どうだい? 動機の解明っていう問題からも人が意識の変容を恐れているっていうことがわかるだろう? 意識の変容、つまり、それは精神の進化だ。人はたぶんそれを恐れているんだよ。
進化することを恐れる――か。うん、そうかも知れませんね。
先輩は予言とか信じます?
信じない。現にノストラダムスも当たらなかったろ? 未来は常に不定だよ。現状を分析してある程度の予測は出来ても、時期を特定してある事象が起こるのを予知するのは不可能だ。
なるほど。里見先輩らしい意見ですね。
真弓はどうなの? もしかして信じてるわけじゃないだろうね?
わたしは一応気にしちゃう人です。もちろん、信じこんでるわけじゃないけど・・・でも、多くの宗教は予言的な宗教的真実を掲げていますよね。それはどうしてですか?
多くの信者を獲得するために、明確な未来像を呈示して教義をより魅力的にするためだろうね。人格神の呈示と一緒だ。もう一つの目的は、神のいる理想社会と実際の世界のギャップを埋めるためだ。幻惑するためと言ってもいい。つまり、この世は仮の世だっていう思想だね。
里見先輩の言う後者のタイプは、キリスト教における『審判の日』とかですね。一信者として、それについてはどう思ってるんですか? キリスト教だけは特別扱い?
いいや。他の予言と同じだ。『審判の日』も確定的な未来ではない。当たるも八卦当たらぬも八卦ってとこだね。もっとはっきり言えば方便に過ぎない。もともと、僕は宗教が予言的真実を呈示することに反対だからね。人々の心を安んじるのが宗教の役目だ。それなのに、時期が来ればやがて壊れてしまうような真実を教義に盛り込むのはいただけないね。宗教はどのような形であれ、人々を信じさせてやらなきゃいけない。たとえその教義が嘘であってもだ。嘘なら嘘で騙し続ける義務がある。
不敬ここに極まれりってやつですね。
予言信奉者の真弓さんに言われる筋合いはないよ。
盲信してるわけじゃないですってば。
少しは気に掛かってるんだろう?
それはそうだけど・・・。
真弓は退屈しなくていいよ。終末予言なんて、数え上げたらきりがない。千九百年代に入ってからは、五年に一回は世界の終わりだと騒ぐ予言があったんだから。
本当ですか?
そうさ。そして、そのことごとくが当たらなかった。二十一世紀に入ってからも終末予言はたくさんあるよ。聖マラキの予言だとか、ピラミッドの回廊解析だとか、ケネディ暗殺を言い当てたジーン・ディクスン夫人の予言だとか、諸説紛々だ。今回外したノストラダムス氏も二〇三八年に世界の終わりが来るって言ってるし、「大いなる数七の年」という一文から始まる予言詩も残ってる。これを西暦七千年と解釈してる人もいるよ。
うーん。確かに不健全だわ。
だろ? だから、余計なことに気を奪われる脆弱な精神を改めなさい。
はーい・・・そうします。そうなると健全な宗教は仏教だけかしら?
仏教も『審判の日』タイプの予言があるだろ?
弥勒菩薩降臨の予言ですか?
そうだよ。
でも、あれはお釈迦様の入滅後、五十六億七千万年後のお話でしょ? あと五十六億六九百万年以上先の話ですよ。そのくらい遠い未来の話なら、その宗教的真実は壊れようがないと思う。それより先に太陽系の寿命が終わってるもの。
思想は人が生きている限り生き続けるよ。あと数世紀もしないうちに恒星間宇宙旅行も実現するだろうから、地球がなくなっても人類の歴史が続く可能性は残っている。
うーん。それは詭弁だわ。詭弁じゃないにしても不毛な議論です。
わかった。じゃあ、原始仏教においては五十億年くらいの時間はそれほど長い時間じゃないのかも知れないと言いかえよう。
どういうことですか?
真弓は「劫」っていう言葉を知ってるかい?
コウ? 庚申講とか伊勢講の「講」ですか?
いいや。この場合、濁点がついちゃうけど、未来永劫の「劫」だよ。仏教における時間の単位を表す言葉だ。「劫波」とも言うんだけど・・・知らなかった?
うん。初耳です。じゃあ、一劫、二劫って数えるんですか?
そうだよ。
うーん、まだまだ勉強不足だわ。ちなみに一劫ってどのくらいの期間なんですか? 千年くらい?
いいや、桁が違うよ。
じゃあ、一万年?
全然、お話にならない。僕も劫の長さを正確に何年ですって答えることはできないけど、一億年とか十億年単位の時間じゃないことは確かだ。そうだね、劫はインドにおける最長の時間の単位なんだけど、『雑阿含経』では芥子劫とか盤石劫という喩えを使ってその長さを表現してる。真弓は芥子の実を見たことあるかい?
うん。栗饅頭とかの表面についてるちっちゃい粒々のことでしょう?
そうだ。その小さな芥子の実を一辺が一由旬の箱、真弓にわかるように現代の尺度に換算すると約七キロメートルの立方体の箱一杯に詰める。
わ、何個入るんだろう・・・えっと、芥子の実一粒の大きさを直径〇・四ミリとすると、体積は三分の四πrの三乗だから約〇・〇三立方ミリメートル。一辺が七百万ミリメートルの立方体の体積は三百四十三にゼロが十八個ついて、芥子の実の体積を簡単に〇・一としたときでも、ゼロがもう一個増えるから――。
あはは。不毛な計算をしてるね。箱の高さは七キロになるんだよ、下の方の芥子粒は相当圧縮されるんじゃない? まあ、話を最後まで聞けってば。その箱の中に入った芥子粒を百年に一回、一粒だけ取り除くんだ。
ということは、あと二つゼロがつくんですね。十の十六乗が京だから、まだあと七桁も上か。うーん、そんな大きい数の単位は知らないわ。
不毛な計算はやめろって。普段馴染みのない単位に直すよりは、真弓の数学的能力を超えた莫大な数だというぼんやりした理解の方がピンとくるだろ?
失礼しちゃう。もう・・・要するに、百年に一回、箱の中の芥子粒を取り去って、それがなくなったら一劫経ったってことですね。もうわかりました。
わかってない。
ええっ? どうしてですか?
それでも、まだ劫は終わらないんだ。
わー。すっごく、仏教的。
何が?
その・・・なになにしても、まだ終わらないってところ。
あはは、そうだね。言われてみれば、本当に仏教的な表現方法だ。
でしょう? じゃあ、先輩、盤石劫っていうのはどんな喩えなんですか?
うん。これも一辺が一由旬の盤石、つまり立方体の石をまず用意する。
用意するって簡単に言うけど、高さだけでも富士山二個分ですよ。石って感じじゃないわ。
そこは真弓さんの想像力に期待しよう。その石をだね、迦尸劫貝という柔らかい布で百年に一回拭う。そして、その結果その石が磨滅してなくなったとしても――。
まだ終わらないんですね?
その通り。
うーん。やっぱり仏教的だわ。
こうして考えると、たかだか五十億年くらいそんなに長い時間じゃないんだって思えてこない?
何となく詭弁に聞こえないこともないけど、確かにそうですね。時間って相対的なものだから、大昔の人の時間感覚では五十億年先の未来も結構身近に感じたのかも知れないなあ。
だろう? 認知動物である人間にとって時間はどんどん過密になっている。歴史年表を見ても、近代に近づくほど記述されてる歴史的事象の時間的なスパンは短くなっているだろう? 情報化があまり確立されてなかった大昔は、現代よりも時間が早く流れていたんだと思うよ。
うん。本当にそう思う。
と、まあ、一応の結論に達したけど・・・。
不毛な議論でしたね。
違いない。さて、ビールでも付き合うかい?
――うん。
真弓、今日の午後、空いてる?
四時間目休講だから空いてるけど、うーん、どうしようかな? デートのお誘いですか?
デートというほどのことでもないよ。喫茶店でお茶でもどうかなってくらいさ。でも、何か予定でも入ってるの?
うん。美容院行こうかなあって思ってただけだけど。
髪、切っちゃうのかい?
うん。暑くなってきたから、鬱陶しくって。先輩はショートの女の子は嫌い?
好みを言わせてもらえれば、ロングの方がいい。
ふふっ。だろうと思った。
どうしてわかるの?
普段の言動とそれから・・・あのときにわたしの髪を触る仕草。
なるほどね。真弓さんは何でもお見通しってわけだ。で、真面目に髪、短くするのかい?
ううん、うそです。安心して。毛先を切り揃えてもらいに行くだけだから。ねえ、ちなみに先輩はどのくらいの長さが好き?
肩から下三センチ以上、胸までの範囲内。
うーん。素敵な表現だわ。まるで、生徒手帳に載ってたスカートの丈の規定みたい。
そう。色は白でワンポイントまで許す。
それじゃあ、靴下です。あ、ねえ、ソバージュとかしてもいいですか?
真弓はもともと素直な髪してんだから、ストレートのままでいいよ。ちなみに、ああいうのってパーマ当ててするの?
うん。そうだと思う。
ふうん。ますます日本語は衰退してゆく。ソバージュっていうのは、フランス語で「野生の」って意味だ。野生の髪を人工的に作るのは矛盾してると思わない?
別に思いませんけど・・・ニューエイジだから。
理由になってない。まあ、髪型に関して希望を言わせてもらえれば、現状維持が望みです。
むう。里見雅彦も恋人の外見にはこだわる、と。
まあね。その程度は俗世の垢にまみれているということさ。でも、真弓がそうしたいんなら僕のことは気にしなくていいよ。
ううん。あなたの色に染まりますことよ。
それはどうも。でも、本当に真弓の好きなようにしたらいいよ。おかっぱ以外なら許す。
え? おかっぱ、嫌いなんですか?
いいや。別に嫌いなわけじゃないけど、思い出さない? 妖怪展。うん、あの写真は永久保存にしよう。
ああっ、忘れてた! 大学祭のときの写真、破棄したんじゃなかったんですか?
いいや、まだ持ってる。
もおっ、知らない! どうせ、ガマガエルですっ。あのときの言葉、今でも引きずってるんだから。
ごめんごめん。あれはさ、ほら、真弓の自主性を引き出すためのだね・・・発言というか、戯れというか。まあ、親愛の表現だ。
ふうん。なるほどね、先輩ってば、昔、スカートめくりするような男の子だったんだ。
いいや、残念ながらそういう甘美な少年時代は過ごしていない。大体、真弓は自分のルックスに自信あるだろ? 鏡、見てみろよ。アイドル並の美少女だ。だから、こっちも安心して冗談言えるんだよ。わかるだろ? もう、いい加減勘弁してくれって。
それ、本心から言ってくれてます?
言ってる。じゃなければ、アイドルとは言わずにチャイドルと言うさ。
どうせ、幼児体型だもん。本当に意地悪なんだから。真弓さん、可哀想・・・。
あはは、機嫌直ったみたいだね。
まだです。真弓さんは埋め合わせを所望します。
喫茶店でパフェでもおごるよ。
それだけ?
じゃあ、それを食べながら、思索の旅に連れてってあげよう。一泊二日の。
一泊二日は余計です。最近外泊多いわねって小言言われたばかりだから。
マジで? やばいなあ。
ふふっ、里見先輩も普通の男の子の悩みを持ってるんですね。
当たり前だろ。式を挙げるまでは、おじさんとおばさん、二人とも怖い。
大丈夫ですって。気に入られてるから。
なら、いいけどさ・・・じゃ、まあ、歩きながら話をしようか?
うん。どんな話題?
そうだな。じゃあ、さっきの真弓の言葉を導入に使おう。真弓はさっき自分のことを「可哀想」って表現したよね。
うん。あ、また、日本語になってないって言うんでしょう?
まあね。「可哀想」って言葉は、「不憫だ」とか「同情を感じる」という意味だから、基本的に外の対象に使用する言葉だ。
わかってます。でも、みんな、わたしみたく使ってませんか?
そうだね。でも、「可哀想」という言葉がそういう使われ方をするのは、個人の中の自我が不健全に肥大化してる証拠じゃないかと思うんだ。
うーん。そんなに深く考えて使ったわけじゃないけど・・・気に入らない?
いいや。誤解してるかも知れないから言っとくけど、真弓に注意をしてるわけじゃないんだよ。個人の表現に対して、僕の主観が混じることの方が問題だ。だから、別に構わない。今は真弓の言葉をダシに使って話を進めているだけだって。それに僕個人は真弓の言葉遣いやレスポンスはユニークで好きだよ。
ああ、よかった。話の腰を折ってごめんね。――先輩のさっきの考えはわたしも理解できます。だけど、それがそんなに大きな問題なんですか?
現状ではまだ表面化されていないけど、いずれ大きな問題になるような気がする。自我の肥大化とともに、人は自分のことさえ他人事のように感じるようになってきているとも言えるな。
え? でも、その二つの精神の変化は対立してませんか? それに客観性の向上は悪いこととは思わないけど・・・。
対立してるけど、矛盾してはいない。心の中の問題だからね。多重人格者のようにはっきりと独立していないだけで、誰の意識の中にもいろいろな価値観を持った人格は間違いなく存在している。それから、客観性の向上だけど、真弓はそうした変化の良い面ばかりを考えようとしてるだろう? 真弓のそうしたプラス思考は評価するけど、人間の未来についてはもう少し悲観的に考えておいた方がよい。
どうしてですか?
真弓が傷つくのを見たくないからさ。ヒトという種はね、確実に衰退していってる。そして、これからもますます駄目になっていくよ。
そんなことないと思います。わたしが良い面ばかりを考えているとしたら、先輩は悪い面ばかりを考え過ぎです。昔と違って、人は自然保護にも乗り出してるし、川に落ちた鹿とか、岸に乗り上げてしまった鯨なんかを大勢が協力して助けてあげたりしてるじゃないですか。ああいうの見てたら、まだまだ人間も捨てたものじゃないって気になりませんか?
人間が環境に配慮するようになったのは、科学が発達して自然の摂理や許容量なんかがわかってきたからだよ。自分たちのための環境保護だ。その証拠に人間は疫病のウイルスを絶滅させようとしているだろう。すでに米露の研究所にしか生き残っていない天然痘のウイルスはテロ対策という名目で廃棄が延期されたけど、生命倫理の問題からウイルスを救おうなんて動きは全くない。自我がないとはいうもののウイルスも生命の一つだよ。人が自分たちの暮らしのために意図的に一つの種を絶滅させようとしていることに違いはない。
うーん。確かに天然痘は人間しか宿主に出来ないっていうから、自然界で平和的に共存するのは無理ですね。
そうだろ? そういう結論に落ち着くしかないんだ。二者択一の問題では、ある種が繁栄するためには敵対する種を滅ぼすしかない。天然痘ウイルスの悲劇は人間の敵にまわったことだ。だから、人は環境を擁護してるんじゃなくて、自然の良いところだけを残しつつ、自分たちの都合のいいように環境を改造しているだけさ。もちろん、僕はそれを悪いと言っているわけじゃない。人為も自然の摂理の一つだからね。すべては神の御心のままにってやつだ。
でも、一方で共存可能な種は可能な限り助けようとしてるでしょう? 少しくらい日常生活が不便になっても。
それは自らの精神的安寧を得るための行為だよ。都会の人間がガーデニングと称して土に触れたがるのはそうした理由からだ。自然は本来動物である人間のストレスを大幅に軽減する。同じように鯨や鹿を助けるのも娯楽の一種だ。自分の利益とは関係の薄い事象に対してヒューマニズムを振りかざして奔走する。退屈な日常を忘却するためにね。何にせよ、不純な動機だと思わないかい?
思いません。動機に不純も純粋もないわ。同じように、善と偽善の違いもないと思う。最終的に善を裏切れば、それは偽善じゃなくて悪でしょう。逆を言えば、偽善や不純な動機からくる行動だって最後まで貫き通せば、それは善の行為と区別なんて出来ないわ。すなわち、偽善なんて存在しない。偽善なんてものは、客観の中だけにある幻想です。
真弓の言いたいことはわかるよ。確かにその通りだ。だけど、偽善は主観の中にも存在するだろう?
それは偽善じゃなくて、自嘲とか、内省とか、照れと表現される感情です。だから、人が環境に関わってゆくのだって、どうしても共存できない種もあるけど、その他多くの生命を大切にしようと努力を続けてる限りはどんな動機が背景にあってもいいと思う。その中にはきっと愛とか優しさが含まれてると思うから。どう? これでもまだ先輩は人は駄目になっていくって主張する?
むう、なかなか手強いな。
勝利?
いいや、まだ抵抗する。そうだな。映像や活字というメディアだけで表現された娯楽作品があるよね。映画だとか小説だとか。
うん。
「可哀想」という言葉が自分のことを表現するものに変化していけば、近い将来、そうしたメディアが人を感動させることはなくなると思うよ。
言葉が変化しただけでそうなるとは限らないと思うけど。
いや、それは真弓の見解が間違ってる。言葉は自分から変化するものじゃないだろう? 時代や人間の概念の変化が言葉を変化させるんだ。言葉というのは人間の思考形態の鏡だ。だから、ナポレオンは自分の辞書に不可能という言葉はないと言った。原始的な共同社会では「盗む」という言葉がなかったっていうけど、それも同じ理由だよ。所有という概念がなかったから、他人のものを盗むという行為もそれを表現する言葉も生まれなかったんだ。
うーん。確かに言われてみればそうですね。
だから、虚構であれ現実であれ、人は他人の行動や人生に感動できなくなる。それは主人公や他人に対して感情移入する人間の能力が衰えつつあるからだ。他人の気持ちを自分のことのように想像する能力の退化だね。
泣いたり笑ったりすることが出来なくなるんですか?
そうだね。娯楽作品を見て、笑うことは出来るかも知れない。感情移入したり自己を投影したりする必要がないからね。自分の殻の中に閉じこもったまま他人を笑うことはたやすい。すでに現在、他人の不幸を見せて笑わせるお笑いのパターンは隆盛を誇っているだろう? しかし、そこから生まれるのは嘲笑の類だ。ほのぼのとした笑いなどそこにはない。
うーん、嫌な世の中だわ。じゃあ、人は自分のことでしか泣けなくなるんですね。
最終的にはそれもなくなるかも知れないけどね。外の世界に対して不感症になってしまえば、感動するという心も鈍化してゆくだろう? 何にせよ、自我の肥大は種そのものに悪影響をもたらす。同種であれ、他種であれ、それらに共感する能力を失ったとき、人がどこまで自己中心的になるか想像もつかないよ。――さて、この店でいいかい?
うん。どこでもいい。・・・でも、パフェっていう気分じゃないなあ。
じゃあ、何にするの?
シロップ抜きのアイスコーヒー。今のわたしみたいに冷え切ってるやつ。




