#110 空の帝王
ーー走る、走る、走る。
綺麗な一片の濁りも無い銀髪を風になびかせて1人の少女と狐の耳と尻尾を持つ1人の幼女は走り続ける。
ただ一つ、2人にとって最愛の人の無事を祈って。
不意に横から1人の少女が飛び出してくる。彼女もまた、綺麗な銀髪を持つまだあどけなさが抜けきれない少女であった。
『リラお姉ちゃんっ!どうしたのそんなに急いで!』
『アキトがっ、アキトがっ!!』
リラとエレムがオルレマイオス古代種を退けてから直ぐにアキトの戦っていたベガの街の中心部に向かう途中に同じくギルオークを退けたコトハがアキトに合流すべく走っていた所偶々ベガの街を全力で駆け抜けるリラを目にして合流を図ったのだ。
『しっかりしてリラお姉ちゃん!!アキトお兄ちゃんがどうかしたの!?』
今のリラはいつも見るリラの姿とはかけ離れていた、別人といっても差し支えないだろう。ただただ、アキトの事を、アキトの事だけを考えている。そんな感じであった。
『エレムが教えてくれたのっ、アキトが危ないって!』
『みゅう!!みゅみゅ!』
エレムが同意するように大きく頷く。それを見てコトハもまた、気持ちを切り替える。
恐らくリラとエレムが言っていることは正しいのだろう。その証拠にアキトから打ち上げられる筈の狼煙が上がらないのが良い証拠だ。
ならば自分はどうするか、アキトが魔獣程度に遅れを取るとは考え辛い、ならば不測の事態が起こったと考えるのが妥当であろう。それならば私も行こう。コトハにとってかけがえのない最愛の家族なのだから。
〜〜〜〜〜〜〜
『お久しぶりねえ、リラ・カーネリア・プレシア。それに貴女は…神凪コトハ……かしら?』
そして三人がアキトの元へとたどり着いた時、そいつはそう言った。
そしてその横に居るのは……
『アキトっ!!』
『お兄ちゃん!!』
全身を黒い魔力で覆われ、魔力の鎖で全身を縛られたアキトの姿であった。
『あらあら、私への挨拶も無しに男の名前を呼ぶなんて…悪い女達ねえ』
『黙れっ!アキトに何をしたっ!』
『何もして無いわよ。私はただ、神凪アキトという人間の罪を突きつけただけよ』
その言葉にコトハの顔が強張る。その瞳は目に見えて動揺していた。そいつは…キリコはそれを見てクスクスと笑うと、コトハに向かっておもむろに口を開く。
『はじめまして神凪コトハ……いえ、今はこう言おうかしら?封印の巫女様?』
その言葉を受け今度こそコトハは顔に動揺を隠せないほど表してしまった。
『貴女も久しぶりねリラ・カーネリア・プレシア……貴女はもう黒色魔力を従えてしまったのね。貴女もいれば私達の計画は万全だったのに、まあ仕方ないわ此処は神凪アキトに頑張って貰えば済むことだもの』
『キリコ・ティーエンス……何故あなたが此処に…いやそれよりもなんで』
『アキトを倒せたのか?かしら。その理由はそこの隣にいる妹さんに教えて貰えば?まあ、身内の恥なんて教えたくないでしょうけどね?』
ハハハッ、と醜く笑うキリコは心底面白そうに言った。
『貴女も罪な存在よね。【死神】と【咎人】の妹なんて…それが封印の巫女なんて、笑わせるわ』
『ーーーっ!私の兄達を侮辱するなぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
いつもの口調とは打って変わって感情を露わにしたコトハがツキウサギでキリコを襲う。しかしその攻撃は横から現れたユイによって弾かれてしまう。
『ユイ……』
『貴女達の攻撃は私には届かない。どう?かつての仲間に自分達の攻撃を阻まれる気分は?殺したと思っていた相手に最愛の人が辱められるのは?ーー私はね、最高よ?だって貴女達のそんな顔が見れたのだもの、それだけでも此処まで来た甲斐があったわ』
キリコはその醜悪に歪んだ笑みを隠そうともせずにそう言った。リラ達は今は憤怒に歪んでおり、キリコはそれを見て事もあろうに、最高と言い切ったのだ。
リラにとってさっきからキリコが言っている【アキトの罪】も【死神】も【咎人】も【封印の巫女】も何のことかはわからない。しかしアキトが、コトハが辱められていることだけは分かった。しかしいくら攻撃しようともユイが全てを弾いてしまう事は分かっている。
数では同数であってもキリコの、悪魔の能力は未だ未知数であり、迂闊に攻撃を仕掛けるわけにはいかなかった。こちらとて神の器と王の器という強力無比な力を有しているものの、その手の内は全てキリコに知られているわけでそれこそキリコが知らないのはリラの魔獣の魔力の力くらいであろう。しかしそれすらも悪魔であるキリコに知られている可能性を考えると、殆ど手詰まりと言って差し支えない。
『私はね、憎いのよ。私達のお父様を奪った貴女達が。殺しても、殺しても、殺しても、拭いきれないほど心に憎しみがこびりついているのよ。だから私は決めたのよ。どんな手を使ってでも貴女達にーー絶望を与えると』
キリコが言葉を紡ぐ度、アキトに纏わる黒色魔力が増大していく。
憎い、憎い、憎い。そう言う度にアキトの闇が増大していくように。
『そしてその方法は決まった。貴女達は最愛の人の手によって殺す、殺してやる。そしてその後に残ったその最愛の人は殺さず、生かす。最愛の人を手にかけたという自責の念と過去の罪で一生生かしながらじわりじわりと精神を、肉体を、心を、絶望で彩ってやる』
さらに呼応する様に、アキトの黒が更に増大する。アキトを縛る鎖がカチャリ、カチャリと音を立てて更にアキトを縛り上げる。
『さあっ!絶望の内に死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!お前達は神凪アキトの手によって殺されるのだ!!最愛の人に殺されるのならば本望だろぅ?さあっ!潔くその血肉を晒せぇぇぇぇぇ!!!』
そして自身の縛る力に負けた鎖が解ける。そしてアキトの体が地面に倒れこんだ。
しかしアキトは立ち上がる素振りすら見せない。黒を体に纏い続けながらただ、地面に突っ伏していた。
『我々はヨルムンガンド!!手足をもがれながらも空を望む、執念深き蛇だぁぁぁぁぁ!!!!』
『待てっ!お兄ちゃんを元に戻せ!!』
そんな嘲笑を残しながらキリコはユイと共に消えていった。そして後にはアキトと、少女達三人が残った。
『アキトっ!!』
そしてリラがアキトに駆け寄ろうとした時……アキトがいや、アキトの纏う黒がアキトを立ち上がらせる。
そして黒はアキトの周りを少し回ったかと思うと、いきなり膨張し出した。
それはアキトを飲み込み、爪を作り、翼を作り、巨大な胴と尻尾を作り、トカゲを連想させる大きな顔と牙を作り出す。
これこそが、神凪アキトにオル・グランクが埋め込んだ魔獣の魔力。空の帝王と称される世界に二種しか居ない超大型種。
超大型種、アジ・ラスパーダ。
一言で言うならば、こうであろうか。古より生命の生態系の頂点に君臨し続けてきた最強種。アジ・ラスパーダ。またの名を人は畏怖と恐れを込めてこう呼ぶ。
ーードラゴンと。
黒き鋼皮を持つドラゴンとなったアキトは咆哮を上げた。