船底
暗く湿った大きな川を、朽ちかけた舟がゆっくりと進んでいく。
冷たくぬめりけのある川は、反射するものもなくただただ黒い。
霧がたちこめ対岸は見えず、空は曇天に閉じている。
黒のコントラストだけがその舟と水と、空とを分けていた。
その舟には五人がいた。 渡し守と、舟客が四人。
櫂はゆっくりと動かされ、川面に波紋を描きながら、舟はどこに行くとも知れずに進んでいく。
客の一人が言った。
「俺は兵士だった。 十以上の敵を殺し、そしてその倍の敵、そしてその家族に恨まれた。 俺は国の為に戦ったが、今こうしてこの舟に乗っている」
それを聞いて向かいの男が唸るように囁いた。
「俺は犯罪者だ。 人が言うような悪いことは全てやったし知っている。 だが金持ちの家に押し入る時にヘマをやらかして今ここにいるというわけだ」
二人は渡し守へと向かって言った。
「なぁ、これから俺達は地獄に落ちるのか?」
布で全身を隠した渡し守はそのボロボロの手を櫂から話すと、ゆっくりと二人の手元に紙片を落とした。
頭部は布で覆われて、布の奥は満ちる闇よりまだ黒い。
「これはなんだ。 地獄への切符か?」
渡し守は答えない。
「だが、何も書いてないようだ。 へっ! もしかしたら天国へ行けんのかもな」
ゴロツキの男は獰猛な目をして笑った。
それを聞いていた、ゴロツキの隣にいた若い男は渡し守へと言った。
「俺は病気で死んだんだ。 だけど本当の死因は働きすぎさ。 自分でも生きた心地はしなかったから。 だけど、家族と社会の為に働いた俺は天国へと行けるんだろう?」
渡し守は何も言わず、やはり紙片を一枚だけ、同じように働きすぎの男に渡した。
その紙片にはやはり、何も書いていないようだった。 男が落胆したように言う。
「こいつらとどこが同じと言うのだろう」
最後の男はゆっくりと、何も言わずに渡し守から紙片を受け取った。 最後の男が紙片を見て言う。
「私は地獄に行くだろう。 神の審判の下、私は異教徒の多くに鞭を振るったからだろう」
ゴロツキの男は身を乗り出して聞いた。
「なら、逆に天国に行けると思うんじゃねぇのか」
最後の男は首を振って答えた。
「神がいたのなら、私はそもそもこんなところにいないからだ」
そして誰も、何も言わなくなった。
ゆっくりと、ゆっくりと、五人を乗せた舟は黒く冷たい川の上を進んでいく。
しばらく進んだ時、渡し守が川へと向かって言った。
「おおい、死の底の者達よ。この者達は気づいておらなんだ。 死後の運命まで他所に委ねるとは」
渡し守は櫂を舟底へと打ち付けると、黒き水が溢れ、やがては全ては静けさの内に沈んだ。