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第九話

九、


 土曜日の朝、高橋と直子は駅で待ち合わせをしていた。高橋の計画では、今日はローカル線に乗って紅葉を見に行くということになっている。紅葉はもう見ごろを過ぎていたが、そんなことはどうでもよかった。美しいものは、その全盛期よりも、それを少し下っている辺りの方が心に訴え掛けててくるものがあって、非常に感慨深いものである。それに加えて、直子と出掛けるのも久しぶりである。それ故に、場所よりか、ふたりで会うということの方が重要であったのだ。

「おはよう。」向こうから直子が手を振りながら、足早に歩いてくる。高橋は声は出さなかったが、それに応えるため右手を頭の上にあげた。

「ごめん、待った?」

「いや、俺もさっき着たばっかりだから。」

「そう、ならよかった。ところで今日はどこに行くの?」

「えっと、今日は紅葉を見に行こう。」

「いいわね。場所は?」

「俺も行ったことないんだけど、なんとか渓谷。」

「なんとか渓谷?まあ、とりあえず渓谷に行くのね。」直子の顔からは笑顔がこぼれた。

 高橋は直子のそういうところが好きだった。そういうところというのは、余計なところで深入りしてこないクールなところだ。直子は、「それってどこら辺にあるの?」と聞いて、場所を絞ってみたり、「ちゃんと調べといてよ〜。」と冗談で言ったりして絡んでくることはなかった。ただ、笑顔で応えるだけである。それに応えるように高橋は笑顔でこう言った。

「まあ、場所は分かるから、行けば分かるよ。とにかく行ってみよう。」

「それじゃ、行きましょう。」そう言って二人は切符を買うと、プラットホームへと向かった。

 まだ午前十時ということもあり、少し寒かった。けれども、空は晴れていて出掛けるのには最高だった。十分ほど待っていると、クリーム色の電車が近づいてきた。よく見るとその電車は二両しかなかった。それを見た直子は、

「すごーい!私こんな小さな電車に乗ったことないわ。」と言ってはしゃいでいた。

 無論、高橋も心が高揚していた。高橋自信、産まれは田舎の方であるが、このような電車はテレビでしか見たことがなかった。

 プシュー。そういうと電車のドアが開いた。そうして、ふたりは中へと入った。座席は赤色で、二人がけのものはなく、山手線のようにすべて向かい合った座席だけだった。乗客も自分たち以外に制服を着た学生と、中年のおばさんの二人しかいなかった。土曜日のこの時間帯になぜ征服を着た学生がいるのか分からなかったが、それはさておき、電車はほぼ貸切といった状態だった。

 そのうち電車は街中を抜け、車窓の外は一面畑が広がっていた。そして、畑の中には、手ぬぐいをかぶった老夫婦がもくもくと仕事をしていた。どこか、日本の懐かしい風景を思わせる。延々と続くその光景を見ながら、高橋はうっとりとしていた。その時、

「私たちは何駅で降りればいいの?」と直子が突然聞いてきた。

「えっと、確か雄山駅だったかな。」

「ふ〜ん。後どのくらいで着くの?」

「多分、一時間くらいかな。」

「ふ〜ん。」

 高橋は直子の質問が、まるで小学生が親にする質問のようでおもしろかった。そうして一人でにやにやしていた。一方直子の方は、それには気づかず、車窓の景色を眺めながら鼻歌を歌っていた。

 それから一時間が経過するのは意外と早かった。直子はいつの間にか眠っていたが、「雄山、雄山駅です。」というアナウンスがなると、はっとして目が覚めたようだ。そして、ふたりは電車から降りた。電車から降りると、これまたテレビでしか見たことのないような光景が広がっていた。駅舎は、まるで昔の映画に出てくるような感じのもので、古く、小さく、すべてが木でできていた。ここでも二人は感動させられた。まるで、違う世界に来たようである。改札口を出ようとすると、一人の駅員さんが切符を受け取っていた。そうか、ここは自動改札ではないのか、そう思いながら切符を渡すと、高橋は駅員さんに渓谷のことを聞いてみた。

「すみませんが、この辺りに紅葉の綺麗な渓谷があると聞いて来たんですが、場所は分かりますか?」

「はい。えっと、それはおそらく百鬼渓谷のことですよね。この駅を出るとバス停があるので、緑ヶ丘団地行きのバスに乗ってください。そうしたら十五分くらいで着きますよ。」

「ありがとうございます。」と高橋は軽く頭を下げた。駅員は腕時計を見ると、

「それとこの路線は一時間に一本しかないから、次のバスが来るまで三十分位かかるよ。」

「そうなんですか。」ふたりは驚いた。

「なんなら駅員室で休んでいく?」と軽い調子で言った。

「それはありがたいのですが、仕事の邪魔になりませんかね?」

「いいの、いいの、仕事と言う仕事はないから。外は寒いから中に入って。たいしたものはないけど、お茶ぐらいは出せるから。」

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」そういうと、ふたりは駅員室にお邪魔した。

 駅員室は八畳ほどの大きさで、こたつや水道、冷蔵庫などがあった。壁の柱には、「火の用心」と書かれたシールが貼ってある。また、床は畳であり、部屋全体に昭和の懐かしいにおいが漂っていた。それに、布団があればここでも生活できそうである。言うまでもなく、内装は古かったが、汚いという印象は受けなかった。それどころか、秘密基地に案内されたような気分で、わくわくしていた。直子の様子を見てみても、そのようだった。

「ふたりは恋人ってやつなの。」と言いながら、駅員さんはお茶を運んできてくれた。

「まあ、そんなところです。」と会釈をしながら高橋が言った。

 駅員さんの年齢は五十歳位で、背は高橋よりも十センチ以上高かった。また、背が高いだけでなく、横の幅もあった。ワイシャツのボタンがはじけ飛びそうなほどお腹が出ていた。その体型は、駅員になる前に相撲取りをしていたのではないかと思わせる位だった。けれども、その体型が、駅員さんの優しいイメージを強めているというのも否めなかった。

「僕もかれこれ二十年になるかな、ここで働いて。」直子は駅員の話にリズムよくうなずいていた。それから駅員は続けた。

「二十年前はよかったよ。ここら辺も賑やかで、朝と晩は通勤や通学で利用客も多くてね。それから、休日には観光客も多かったな〜。あの頃は僕も若かったし、ばりばり働いていたよ。それが、時が経ってみんないなくなってしまったんだよね。」

「いなくなってしまったというのは?」

「若い子たちは、ここから通うのではなく、みんな外に行ってしまったんだ。それに、僕ぐらいの人たちは退職ときているだろ。それが自然なことなのかもしれないけど、当時はそんなこと夢にも思わないだろ。なんかここで働いていて、みんなの成長を見ながら、共に生きてきた気がするけど、今はひとり寂しくここで働いているのさ。」

「そうなんですか。でも、素敵な駅舎だと思いますよ。」と高橋が言うと、

「私もそう思います。なにか他の駅とは違った温かみがありますよ。」と直子も続けた。

「ありがとう。そういってもらえると僕もこの駅舎もうれしいよ。」

 そのようなことを話しているうちにバスの来る時間が近づいてきた。

「そろそろバスの来る頃だな。」そう言うと駅員さんは、冷蔵庫からジュースを一本ずつくれた。

「すみません。休ませてもらって、こんなものまで。」

「いいの、いいの。僕の方こそ話を聞いてもらってありがとう。やっぱり、若い子と話すのはいいね。」

「それじゃ、また帰りにでも。ありがとうございました。」ふたりは礼を言うと駅員室を出た。山沿いの道路の向こうからは一台のバスがこちらへ向かってくる。きっとあのバスが自分たちの乗るバスであろう。

 バス停から臨む山々も赤や黄色に染まっていた。もう全盛期は過ぎているが、それなりに美しく、いろいろと考えさせてくれるものがある。それがいいのだ。この雄山駅も全盛期を過ぎている。けれども、内に秘めた美しさは全然衰えていない。むしろ、その輝きは増しているだろう。外見だけでは見落としてしまう美しさ、それは、その人の心でしか見えない。美しいものを感じるには、その人の心が綺麗でないといけないのである。高橋はそう確信した。

「バスが来たよ。」と直子が言った。

 緑ヶ丘団地行き、と書かれたバスが目の前に来ていた。高橋は、「おう。」と言うと、バスに飛び乗った。無論バスの中では、さっきの駅員の話で盛り上がった。


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