第六話
六、
高橋が目を覚ますと、伊藤の姿が見えた。伊藤は高橋よりも早く起きていたらしく。
「もう起きてたのか。いつ目が覚めたんだ?」と高橋が聞くと。
「なんか、夜中トイレに行ってから昨日の事をずっと考えてて眠れなかった。」
「そうか、でも、もう過ぎたことだし、ストレスためると体に良くないぞ。」
「そりゃそうだけど、気にしないでいられるかよ。」
確かに伊藤の言うとおりである。終わった事とはいえ、気にしないでいられるはずはない。けれども、高橋にしてみても、気休めの言葉ぐらいしか、かけてあげられないのも確かである。
「そういえば、テレビ、テレビ!」と突然思い出したように高橋が言った。
しかし、昨日のニュースのことは一切やっていなかった。お婆さんは誰にも見つからなかったのだろうか。そして、今ごろどこか山の中で息絶えているのだろうか。今となっては、知る手がかりがテレビぐらいのものだ。ならば、テレビ局に直接聞いてみようか、いや、それでは変に怪しまれてしまう。現在の時刻は十二時五分、とりあえず、夕方のニュースまで待つとするか。高橋はそう自分に言い聞かせた。
それにしても、伊藤が元気そうで少し安心した。寝不足のせいか目の下にくまができているが、背筋はぴんと伸び、意識もはっきりとしている。おそらく、時間が経って自分のしたことに整理がついてきたのだろう。ただ、お婆さんの安否が分からないうちはなんとも言えない。もしも、お婆さんが亡くなっているとしたら、それはほぼ伊藤のせいである。それに気づいたとき、はたして伊藤は今のように落ち着いていられるだろうか。高橋の脳裏には、昨日からの不安がよぎった。
「伊藤、そろそろ腹も減ったし、昼飯でも食いに行かないか?」
「ん〜、俺はいいわ。今日は食欲ないから、家に帰って寝るわ。」
「そうか、でも、家でなにか軽く食えよ。」
「了解。いろいろとありがとな。」
「気にすんなって、困った時はお互い様だろ。」
高橋は車のところまで伊藤を見送った。
「じゃあまたな。もう終わったことなんだ、あんまり深く考えるなよ。そして、元気出せ!」
「おう。それと、このことは誰にも内緒だぜ。」伊藤の顔にはどこか曇りがかったものが見えた。初めて見る伊藤のその顔に、高橋は一瞬びくついたが、笑顔をつくると手を振った。車は滑らかに発車し、どんどんと小さくなっていった。
高橋は、最初、ひとりでどこかに食べに行こうかと考えていたが、外に出だすのが面倒になり、家で済ませることにした。かといって、冷蔵庫には何もなく、結局お湯を沸かしてカップラーメンを食べることにした。
もう一人暮らしをし始めて三年になる。故に、この部屋に一人でいるのは平気なはずだ。けれども、今の高橋の気分は、まるで異国の空港に一人ぽつんとおいてこられたような気分である。伊藤はなぜ一人になりたかったのだろうか。単純に、寝不足だったから?いや、そんな簡単なことではないだろう。昨日からあいつには波がある。泣いていたかと思うと突然冷静になってみたり、今まで見せたことのない表情を浮かべてみたり、よくよく考えるとあいつのことが分からなくなってくる。けれども、仕方ないことなのかもしれない。もしも、自分がその立場なら、そう考えると心の底から同情したくなる。かと言って、自分でなくて本当に良かったとも思ってしまう。それが、仲のいい友達だとしてもである。この思いはどこか矛盾していると思われるかもしれない。けれども、これはごく自然のことであり、人間すべてが持っている苦悩とでも言うべきものなのだろう。
この時、高橋がこの苦悩と戦っていたということは言うまでもない。そして、これからも高橋を苦しめていくだろう。「あいつは大丈夫だろうか?どうしたら助けてやれるだろう?あいつの力になりたい!」「自分だったら大変だった。とりあえず、自分でなくて良かった。あいつも不運なやつだ。」そういった二つの囁きが、高橋の頭の中を駆け巡っていた。「伊藤よ、すまない。」そういって、高橋は自分の身を清めた。まるで力士が土俵に塩を振りまくように。