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第二十五話

二十五、


 もう、大学では伊藤の噂をする人はいなくなっていた。それよりも、テストが近いせいか、みんな講義に集中しているようだった。高橋もテストが近かったが、いまいち集中できなかった。理由をつければ切がないが、一番の原因は自分である。今は集中しなければと思いつつ、講義に集中できなかった。

 それに加えて、昨日の直子との食事で高橋の気分は完全になえていた。それに、伊藤のことも気にかかった。どちらにしても、自分が解決の鍵を握っていることは間違いない。しかし、直子の方は、一時的な感情の変化に過ぎないだろう。直子も自分の身の回りの変化に着いていけていないだけなのだ。今思い返せば、自分もそうであったはずだ。伊藤が事故をした時、入院した時、薬物中毒であることを知った時、そのような劇的な変化に耐えながら、前に進んでいくのは大変な事であった。しかし、現在ではある程度慣れ、大概の事は冷静に処理できるようになった。これも自分が成長した証なのかもしれない。直子もいずれそうなるはずである。そう思うと気持ちが少し楽になった。

 午前中の講義が終わると、高橋は大学の食堂でひとり昼飯を食べた。周りでは、学生がわいわい騒ぎながらご飯を食べている。しかし、一人で食べていても寂しいともうらやましいとも思わない。むしろ、他の人に話を合わせたり、相槌を打ったりして気を使うのは面倒くさい。面倒くさいどころか馬鹿げている。そのような関係は友達ではなくビジネスだ。そういった考えから、高橋は友達からの誘いを断るのが常であった。

 食事を終えると、高橋は午後の講義室へと向かった。講義室には弁当を持参している人々が数人いた。高橋は、大学生でありながら弁当を作って来る人に感心しつつ、いつもの席を陣取った。それから机に顔を伏せて、浅い眠りに着いた。

 午後の講義も暇であった。やる事はたくさんあるのだが、いつも暇になってしまう。今日に限っては読書に精も出ない。講義で覚えている事といったら、先生の頭が禿げていたことぐらいなものである。

今はこような学生でもなんとか単位が取れてしまう。自分の事ながら、このような大学の現状には失望してしまう。かといって、これからどうしようという意欲はない。とりあえず、卒業して就職できればいいのだ。もはや、これは大学の風景になってしまったのかもしれない。勉強をするために行くのではなく、なんとなく行くのだ。そして、卒業した後はなんとなく生きて、なんとなく死んでいく。そう考えると自分はなんで生きているのかさえ分からなくなる。

 午後の講義は、このような感じで終わりをむかえた。それから、高橋は伊藤の病院へと向かった。それは行こうと予定していたわけではなく、足が自然とその方向へと向いたのだった。

 病院の玄関を抜けると、その前には大きなロビーがある。そして、そのロビーには緑色のソファーが所々に設置されており、そのソファーには患者が座って世間話などをしていた。このような閉鎖された空間では、こういった時間が至福のひと時に違いない。なかにはソファーに横になっている人もいる。こうなってくると、まるで自分の家のようだ。

 そのなかに、高橋は見覚えのある男を見つけた。一瞬、自分の目を疑ったが、それは間違いなく伊藤であった。伊藤は、週刊誌に目をやりながら片手で首の辺りをかいていた。高橋は、その様子を伺いながら恐る恐る近づいた。

「久しぶり〜。」高橋が顔を覗いてみると、それは、やはり伊藤であった。

「おう。驚いたな〜。」

「なんで、こんなところにいるんだ?」

「おまえこそ、なんでここに?それにその傷はなんだ?」

「これか、これは大した事ないから気にしなくていいよ。」

「気にしないって言ったって、気にするよ。」

「いいの、いいの。それよりお前は何してんだ。寝てなくていいのか?」

「最近、リハビリを始めたのさ。リハビリといっても院内を一人で歩いているだけだけどね。いつまでもベットに寝ていられないだろ。」

「そりゃあいいことをはじめたな。先生にやれと言われたのか?」

「いや、リハビリといっても勝手にやってるだけだよ。」

「そうか、そうか。」

 伊藤の様相はあいかわらず年老いて見えたが、口調は元気そうだった。

「それにしても、お前は何しに来たんだ?」

「何しにって、お前の様子を見に来たに決まってるだろ。」

「ははっ、そうだよな。ありがとう。」

「でも、元気そうで良かったよ。」

「まあ、そこそこかな。」

 高橋は、直子がお見舞いに来た時のことを聞きたかったが、なんとなく止めておいた。

「ここに来てくれるのはうれしいけど、忙しくないのか?もう少しでテストだろ。」

「俺の事は気にしなくていいよ。」

「俺もその言葉をそのまま返すよ。」と言って伊藤は微笑した。そして、次のように続けた。

「お前は、もう俺と関わらない方がいい。大方、その怪我もそのせいだろ?お前は俺に優しすぎるよ。それには感謝してもしきれないほど感謝してる。けれど、お前にはお前の生活があるんだ。それに、直子だっているじゃないか。俺はもう大丈夫さ。もう、決心はついてる。」

 その瞬間、伊藤がやけに大人びて見えた。

「そんな寂しい事言うなよ。」

「ははっ、でも本当にそうなんだ。お前はもっと自分と直子を大切にしろ。」伊藤は高橋の肩をやさしく叩いた。

「それなんだ。確かに俺には直子がいるけど、最近、なんで一緒にいるのかよく分からないんだ。」

「直子の事が好きじゃないのか?」

「いや、好きだと思う。だけど、付き合う意味が分からないんだ。」

「難しいこと言うな〜。」

「お前はどう思う?」

「俺は、付き合うのが自然だからだと思うよ。お互い好きだから一緒にいたいと思うだろ。それだけのことなんじゃないかな。お前は少し考え過ぎだよ。」と言って伊藤は笑った。

「そうかもな。」高橋は苦笑いをした。

「まあ、仲良くやってくれよ。お前には俺みたいな風になって欲しくないからな。」

「苦しい時はお互い様さ。ほうっておけるかよ。」

「ありがとう。でも、俺にはもう関わらない方がいいよ。悪い事はあっても、いいことはないと思う。お前には先があるんだ。」

「・・・」

 伊藤の真剣な眼差しを見て、高橋は言葉が見つからなかった。あの事故を通して、伊藤はずいぶんと成長したようである。以前は自分より子供だと思っていたが、今の伊藤には大人の輝きと落ち着きがあった。本来、自分は伊藤を励ます立場なのに、逆に励まされている。高橋はこのような状況が可笑しくもあり、また寂しくもあった。


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