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第二十四話

二十四、


 怪我の事は、伊藤には言っていなかった。言ったところで状況が変わるわけでもないし、余計な心配をかけるだけだからだ。しかし、直子には言わねばなるまい。と言うより、会った時に怪我を見られてしまう。かといって、いつまでも避けているわけにはいかない。そのため高橋は直子と会う約束を断れなかった。その約束というのが今日である。

 二人は講義が終わった後、よく行くレストランで食事をすることになっていた。けれども、高橋の気分はさえなかった。まず、怪我の説明をするのが面倒だ。次に、伊藤の話を言わないようにしているのが厄介だ。それでも、前向きに考えれば、いい気分転換になるかもしれない。最近は人と話す事が少なかったので、どうしても内向的になりがちだった。今夜はそれを解消するいい機会かもしれない。高橋はそう自分に言い聞かせた。

 高橋がレストランの前に着いたのは、予定時刻の十分前だった。しかし、それより先に直子は来ていたようだ。レストランに向かう高橋を見つけると、店の前でいつものように手を振っていた。

「久しぶり、今日は早いね。」

「久しぶ・・・ってその顔どうしたの?」

「ああ、これね。まあ外でもあれだから中で話そう。」

「気になるわね。」と直子は心配そうに高橋を見つめた。

 二人は店内に入ると中を見回し、一番端のテーブルに腰掛けた。床はワックスをかけたばかりなのか、いつもよりピカピカと輝いて見えた。覗き込めば顔が映りそうである。また、壁にはヨーロッパ風の風景画が掛けられていた。絵のタッチはゴッホに似ているが、実際は安い絵なのだろう。しかし、雰囲気を味わうには十分である。それから、ウェイターがお冷を注ぎに来た。お冷を注ぐグラスも花瓶の様な形をしている。大方、お洒落ではあるが注ぎづらそうである。けれども、その姿は可愛らしくも滑稽で、実におもしろい。高橋はこの店の可愛らしい雰囲気が好きだった。

「それで、その怪我はどうしたの?」

「ちょっと街中で喧嘩に巻き込まれて。」

「誰の喧嘩に巻き込まれたの?」直子はいたって真面目に聞いてきた。

「まあ、話せば長くなるから手短に言えば、酔っ払いの喧嘩に巻き込まれただけだよ。」

「ええ〜、信じられない。それで?」

「それでって、それだけだよ。」高橋は水を一口飲んだ。

「そんなの聞いたことないわよ。酔っ払いの喧嘩に巻き込まれるなんて。」直子は不満そうである。まあ、それも仕方のないことである。事実、高橋は嘘を付いている訳であるし、説明が簡単過ぎた。

「そんなこと言われても、実際そうなんだから仕方ないだろ。」

「そりゃそうかもしれないけど・・・それにしても、なんで教えてくれなかったの?」

「それは・・・お前が心配すると思ったから。」

「当たり前じゃない。」と直子は少し大きな声を出した。

「ごめんよ。」

「まあいいわ。とりあえず今は元気そうだし。」

「怒った?」

「怒ってはいないけど、私は喧嘩する人と煙草を吸う人は大嫌い!」

「ごめん、これからは気をつけるよ。でもあの時は・・・いいや、この話はもうよそう。それより、料理を注文しようか。」

 高橋は、直子が喧嘩と煙草が嫌いなのを初めて耳にした。しかも、このようにはきはきと話をする直子を目にしたのも初めてだった。人間というのは不思議な生き物である。直子と付き合って、もうしばらく経つのに、新しい発見が絶えない。無論、喧嘩や煙草が好きな女もそうはいないが、自分のことを思って強く言ってきてくれるのはうれしいものである。それに引き換え、自分は本当に直子のことを大切に思っているのか疑問だった。以前にも考えた事だが、なぜ付き合っているのか分からない。確かに一緒にいれば楽しいが、それは他の人にも当てはまることだ。付き合う事の意味はなんなのだろうか?もし、意味があったとすれば、それは一人一人違ったものなのだろうか?正直、高橋は直子が自分にとってなんなのかさえ分からなくなってきていた。できるものなら、直子がどういうことを考えているのか聞いてみたかった。けれども、そんな事は聞けない。なぜ聞けないのかも分からないが、それは触れてはいけないものだということは直感で分かった。

 それから二人は料理をオーダーし、話の内容は伊藤へと移った。

「そういえば、最近伊藤君にあった?」

「いや、しばらくお見舞いに行ってないよ。」

「そう。」直子は下を向いている。

「どうして?」高橋は直子の顔を覗きこんだ。

「私、一昨日、ひとりで行ってきたんだけど・・・」

「どうだった?」高橋もしばらく会っていなかったので、あれから伊藤がどうなったのか気になった。

「なんか、前の伊藤君とは別人みたいだった。」

「それは外面的にってこと?それとも内面的にってこと?」

 直子は、少し頭を傾けながら次のように答えた。

「目立つのは外面的にかな。なんかおじいさんのように細くなっちゃってて・・・、肌も黒ずんで見えたわ。雰囲気は、一見いままでのようなんだけど、なにか心の奥に塞ぎ込んでいるものがあるみたいだった。」

「俺が会った時もそんな感じだったよ。」

「だいたい伊藤君はなんで入院しているのかな?」

「・・・」高橋は返答に迷った。

「しかも、こんなに長く入院しているのに、まだ退院できないんだよ。なんかおかしいと思わない?」直子の口調はだんだんと強くなっていった。

「病院にもなにか事情があるんだろ。そうじゃなければ、入院はさせないよ。」

「そりゃそうだけど、全然よくなってる感じがしないじゃない。」

「・・・」

 実際、直子の言う事は正しかった。あれだけ大きな病院でありながら、伊藤の体は良くならないどころか、むしろひどくなっているようにも思われる。

「あれじゃ、伊藤君が可哀想だよ。そう思わない?」

「そりゃあ思うよ。でも・・・」

「でも?」

「どうにもならないじゃないか。」

「・・・」直子は口を結んで下を向いている。

 それから、二人の元には料理が運ばれてきた。いい香りがするが美味しそうだとは感じない。きっと直子もそう思っているだろう。しかし二人は無理やり料理を口に運んだ。その間、噛む事以外に口を開く事はなかった。一方、周りのテーブルからは楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 こんなはずでは・・・と高橋は思った。そもそも、今夜は気分転換をするために来たのだ。それがこんなことになろうとは。高橋は何かが崩れていくのを感じた。それは、伊藤に関する事でもなければ、直子に関する事でもない。高橋自信のなにか大切なものが失われようとしていたのだ。けれども、それが何かは分からない。


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